by nyckingyo2
検索
フォロー中のブログ
記事ランキング
最新の記事
FaceBook
以前の記事
2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 01月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 05月 2020年 03月 2020年 02月 2019年 10月 2019年 07月 2019年 05月 2018年 12月 2018年 10月 2018年 07月 2018年 05月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 07月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 カテゴリ
全体 はてしない物語 ことばと音をコラージュする モモのいた場所、モモのいる時間 遺伝子から魂伝子へ 金魚の超饒舌ファンタジー タネたちは故郷をめざす 続・多層金魚の戦争夢 続・ソラリスの海に泳ぐイカ NYC・アート時評 NYで観た映画たち・本たち 悪魔の国からオニの国のあなたへ 続・炉心溶融した資本主義 天の明星を飲む 写真構成 NYC 続・洪水からの目醒め Roll Away! 浮遊的散文詩歌 続・街かどでOneShotからの連想 愛は世界を動かす大きなエンジン ポートフォリオ 続・小さき者とのダイアローグ マンハッタン効果 NYC Music Life エッセイらしく 小 Japón 旅そのもの記 未分類 タグ
最新のトラックバック
外部リンク
ファン
ブログジャンル
その他のジャンル
|
76年前の日本民族の崩壊直前に、太平洋戦争はかろうじて終結したが、それとまったく同じ状況が、2021年8月15日の列島に起きているのだ。 国民の命を命とも思わぬ大本営政権と、その周りのほんの一部が、全国民の命を弄びつづけている。政権は自らの権力の保持のために必死で、それ以外のことはいっさい目に耳に入らぬ。そればかりが、あの戦争末期とまったくおなじく、死ぬ必要のない同朋を悉く抹殺しはじめた。 その戦争で当時の大本営=参謀本部に命を奪われた、霊界にいる全霊がこぞって立ち上がり、豪雨を降らせているのだ。「各地に被害がありませんように」と祈ってはみるが、その霊雨がやむわけはないとも思う。 この豪雨で、どうか全員の魂に、いまの政権を倒す『共闘の水滴』が溢れはじめますように。こころから。 #
by nyckingyo2
| 2021-08-28 06:05
在りし日のドナルド・キーン先生(30歳前後。龍安寺石庭にて)※写真は松宮史朗氏より 「太平洋戦争に至る過程では、権力中枢のごく少数が国民をだましたといえる。だまされた国民は兵士となって加害者となり、被害者にもなったのだ。だが、問題の根幹は日本政府、そして体制に迎合した国民による『現状の黙殺』だっただろう」 —ドナルド・キーンの東京下町日記・抜粋 2015年8月づけの東京新聞というから、キーン先生が東日本大震災後すぐに、NYCを離れて日本永住を決められてから3年後の記事である。紙面は当時の秘書氏が日本から送ってきてくれたもの。金魚は先生がNYを離れる日、最後にいただいた、キーン著作集第5巻『日本人の戦争』の分厚い中身で、似たような内容の日米戦争を疑似体験していたところだった。 冒頭に掲げたこの記事の最後の3-5行を繰り返すまでもなく、その狂気の戦争は、政府中枢のごく少数と、その体制に迎合した一部の国民の『現状の黙殺』からはじまったのだ。 ◉そして現在、アベ暴政の7年の後、スガ政権による更なる大暴政、パンデミックでの五輪の強行、医療崩壊を無視した『現状の黙殺』は、それがまさにその国のカルマであるかのように『暴走黙殺の果て』まで、という戦争輪廻の大輪を動かしはじめているようにみえる。ほとんど死に絶えた東京五輪とはくらべものにならない、みごとに腐り切った大輪ではある。 【ドナルド・キーンの東京下町日記】 「暴走黙殺の果て」 2015年8月9日 七十年前の今月、太平洋戦争が終わった。戦時中、米海軍通訳士官だった私は、多くの日本人捕虜と接してきた。その数は何百人になるだろうか。全員がそうだったわけではないが、多くは捕虜になったことを恥じていた。「どうせなら死んだ方がよかった。殺してくれ」「日本には帰れない。家族に合わせる顔がない」と頭を抱えた。「日本兵が捕虜になったことはない。神武天皇の時代からの伝統だ。捕虜となるなら玉砕せよ」と、日本兵はたたき込まれていた。いわば洗脳である。一九四三年五月、日本軍最初の玉砕の地となったアリューシャン列島のアッツ島の戦いに私は参加した。 日本兵は勝ち目がなくなると、最後の手りゅう弾を敵に投げるのではなく、自分の胸にたたきつけて自決した。そんな遺体が散らばっていた。全滅ではなく玉砕。他の国ではあり得ない光景だった。 民間人も「女は辱めを受け、男は戦車にひき殺される。捕虜になるなら自決しろ」と言われていた。サイパン島では若い母親が幼子を抱えて次々と崖から飛び降りた。その悲劇を米誌が報じると、日本の新聞はそれを「日本婦人の誇り」と美化して伝えた。 日本兵は本当に捕虜になったことはないのかと、私は疑問に思い、戦時中に調べてみた。すると、日露戦争では多くの日本兵が捕虜になった記録が残っていた。捕虜の扱いについて定めたジュネーブ条約を盾に、「ウオツカを飲ませろ」と収容所の待遇改善を求めた将校までいた。 それが、太平洋戦争時には一変していた。「勝てない」と言われていた日清、日露両戦争に日本は勝ち、力を持った軍部はおごりと野心からか、国民に「日本は神の国」と刷り込んだのだ。 太平洋戦争時に書かれた日本人作家の日記を読み返してみると、当時の世相が垣間見える。言論統制の影響も大きかったろうが、真珠湾攻撃の直後には高揚感にあふれる記述が目立っていた。 反戦的で親米派といわれた吉田茂元首相の長男の健一でさえ、「暗雲が晴れて陽光が差し込んだ」と興奮気味だった。伊藤整は「この戦争を戦い抜くことを、日本の知識階級人は、大和民族として絶対に必要と感じている」「民族の優秀性を決定するために戦うのだ」と書いた。 だが、太平洋戦争の結末は言うまでもない。日本が優勢だったのは最初の半年程度。四二年六月のミッドウェー海戦が転機となり、米国の圧倒的な物量に押されて、占領地を次々と失った。 当時、南洋諸島で最大の飛行場があったテニアン島を奪った米軍は、日本各地を空襲した。私は不思議で仕方なかった。イタリア、ドイツが落ち、日本は勝てるはずもないのになぜ降伏しないのか。勇ましい大本営発表は続いた。一方で東京は大空襲で壊滅状態に。沖縄は占領された。広島と長崎に原爆が落とされ、何十万人もの命が奪われた。 戦後、私が知り合った日本人の大多数は「勝てるはずがなかった」と自嘲気味に話した。だが、分かっていたなら、なぜ開戦したのか。旧満州(中国東北部)の建国に続き、日本軍のフランス領インドシナへの進駐で日米関係は決定的に悪化した。外交交渉には譲歩も必要だが「神の国」は突き進んでしまった。 開戦後も、私の友人で日本生まれの米工作員ポール・ブルームは欧州駐在の日本人武官を通じて終戦工作に奔走した。日本側からの反応は常に「敵にだまされるな」。理性的に考えた形跡はなかった。 戦前も戦時中も、戦争への反対意見はあった。高見順や清沢洌(きよし)、渡辺一夫らは、時代に翻弄(ほんろう)されながらも日記に反戦をつづっていた。太平洋戦争に至る過程では、権力中枢のごく少数が国民をだましたといえる。だまされた国民は兵士となって加害者となり、被害者にもなったのだ。だが、問題の根幹は日本政府、そして体制に迎合した国民による現状の黙殺だっただろう。軍部の暴走を誰も止められず、終戦に至るまで黙殺は続いた。私はアッツ島や沖縄の上陸作戦に実際に参加し、戦争がいかに悲惨で無意味なものかを身をもって体験した。同じ過ちを繰り返してはならない。 (日本文学研究者) ◉終戦記念日が近づく昨夜、夢見にキーン先生が久しぶりに現れ、懐かしさに落涙した。夢の中ゆえ言語は定かでないが、アべとスガの合作『内閣人事局』の強権は、戦前の参謀本部による『統帥権』の思想そのものではないのか、という意味を問われた。 思いつつ起きて、先生との対談もある司馬遼太郎の統帥権の話を開き、1行ごとに納得している。第二次安倍内閣以降、内閣人事局の超強権が異様に深まり、戦前の大本営による統帥権とほぼ変わらなくなった。現代日本の政治はたった1デケイ(10年)ほどで「底なし地獄」に埋没してしまった。 この度のスガによる『暴走黙殺の果て』がどこへ行き着くのか、近日続編『2021年終戦記念日当夜』 「浅茅が原で、巨大な青みどろの不定形なモノが横たわっている」=司馬遼太郎・雑貨屋の帝国主義。 #
by nyckingyo2
| 2021-08-14 22:40
かつて江戸の時代には草むらだった代々木の地に、今夜2度目の開会式の光が当ろうとしている。1度目の東京オリンピックの栄光とはくらぶるべくもなく、だれが言い出したか今回は、キツネたちの主催する『闇の五輪』と呼ぶそうな。 地球を壊す危険を顧みず、老齢原発を再稼働し、無理やり創り出した人工光によるオリンピック開会式の演出のテーマは『イジメ』『お笑い』『サブカル』そして極め付け『ホロコースト・ギャグ』という倫理感に基づいて創られたという。溢れ出てしまった日本の倫理不在を、世界中にこのまま見せつづけていいものだろうか? ウィルスと共謀する政権に牛耳られ、ただひたすら歪みきった現代日本を笑うしかない。闇の五輪がどのように進行するのかしないのか、ここではいくら美しい曙光に当てられても、ひらすら闇を護りつづける醜い五輪に至るまでのいきさつのようなものを描くことにする。 ◆メロスが激怒した、かの邪知暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王とはだれか。 戦後最長の腐敗政治を延々とつづけ、嘘、詭弁、データ改竄をくり返し、権力の中枢を自分たちだけに集中させ、その周りを幾重にも御用官僚に取り囲ませ、日本の民主主義を完璧に崩壊させた、暴君ディオニス=アへⅢ世に他ならない。すべての元凶はかれにある。 その邪知暴虐王は、あろうことか東京五輪は復興五輪であるとのたまわり「フクシマはアンダーコントロール」と世界に虚偽宣言し、原発事故からわずか2年後の2013年に開催権をかすめ取った。その時点で世界の知性は、深くその放射能源の国家元首に反撥し、軽蔑し、弾劾したが、アへⅢ世はその後も復興のフの字にすら動くこともなく、相変わらずの嘘と贈収賄に明け暮れて2020年の開催時間が過ぎてしまった。1年の延期期間はコロナウイルスの大活躍でさらにあっという間に過ぎさり、都民の7割が反対するなか、最悪の環境で五輪が開催されることになる。あたりまえのことだが、先日やっと福島県は「復興五輪」としていた東京オリンピック関連のイベントをすべて中止した。 贈収賄の塊は五つの大きな団子に膨れ上がり、ロゴ輪内部の五大陸を意味する空白を埋め尽くす。腐敗し切った巨大なサカナのアタマはみたらしの餡のように膿み溢れる。だれがこの五輪団子など喰おうとなどするものか。 おっと新自由主義の進みすぎたこの国の6大マスメディアは、みごとにこの政権の仕組んだ毒饅頭ならぬ膿んだみたらし団子を喰らって、スポンサー契約を結び、ひどい急性食中毒を起こしている。 この暗黒五輪のロゴは、すなわちモリトモ、カケイ、サクラ、そして広島大疑獄とスガーⅣ世時代に発見された学術会議疑惑が、それぞれの腐敗五大陸を象徴している。 「王様は、人を殺します」 メロス「なぜ殺すのだ」 「悪心をいだいている、というのですが、だれもそんな悪心を持ってはおりませぬ」 「たくさんの人を殺したのか」 「はい、はじめは王様の妹婿さまを。それからご自身のお世継ぎを。それから妹さまを。それから妹さまのお子さまを。それから皇后さまを。それから賢臣のアキレスさまを」 「おどろいた。国王は乱心か」 「いいえ、乱心ではございませぬ。人を、信じることができぬというのです。きょうは六人殺されました」 聞いてメロスは激怒した。「あきれた王だ。生かしておけぬ」(『走れメロス』p-5) 赤木ファイルは6月24日付のNYタイムズに詳細が載り、オリンピックと併記される国際的な問題に発展した。 「圧力の下で、一人の日本の役人が自殺した。今、彼の真実の物語が明らかになる」「赤木俊夫さんは妻に、政権中枢の公文書を改ざんするように強要され、様々な圧力に関して詳述した書類をまとめたと語った」 -NYタイムズ。 国が組織をあげて記録を改ざんし、アソ財務相以下、財務省関係者が全員真っ赤な虚偽を言いたて、大量の公文書を改竄し、一番下にいた担当者が自殺した。法治国家というくくりで、世界の歴史にも稀な汚点である。 2021年6月にはJOCの経理部長が電車に轢かれた。腹黒い大勢のためにばら撒かれた大量の札束を隠すため、元ジュードー・金メダリストの会長が弁明をはじめる。「経理部長の家族は自殺ではない。事故死ではないかと…」ホームドアのある駅のホームで、どんな事故が起こるというのか? 日本人の心の中であんなに輝かしかったオリンピックは、その組織ごととうに膿み腐りきっていた。腐りきったモノたちをさらにそのまま隠蔽し、あるいは隠蔽した事物をそのまま運び出そうとして、街頭に溢れかえる。これはなにもトーキョーだけの現象ではなく、世界各地に起こっていることなのだが、現象の密度が濃厚故に、トーキョーはその代表選手のように見られてしまっている。それが7年半で膿み腐りきった政権の扇動で行われつづけるのだから、もう止めようもない。 この時点で、今年4月に逝かれた遺伝子学の故村上和雄師のいう「サムシング・グレート」が、大きな問題意識を運んできた。2020年の開催時間が近づくと小さなウィルスが世界中を荒らしはじめた。超極小の存在が人類社会を壊滅せんばかりに動きはじめ、世界の各国には今まで以上の大きな時差ができた。東京五輪は一年の延期を強いられ、その間邪知暴虐のアへⅢ世は、広島大疑獄から逃れるため、後任スカⅣ世の摂政を置いた。この摂政の時間帯で権力はさらに横暴に、もはや凶暴といってもいい独裁となる。、国民の不満は最大限となったが、スカⅣ世は構うことなく『団子状五輪豚』を強行しようとする。 ドイツからかのぼったくり男爵が現れて、いよいよ開催か、というときになって、腐敗はおもしろいほど現出しはじめる。世界のメディアは溢れかえる五輪スキャンダルを逐一書き立てる。 「人間性を超えた思い上がった金儲け」「熱気が敵意に」 ワシントン・ポストは17日、開幕を23日に控えた東京五輪について、これまでのところ「完全な失敗に見える」と指摘し、1964年の東京五輪のように日本にいかなる誇りをもたらすことは期待できないと伝えた。 開催されても止める意志! ただひたすら、とんでもないことにならないことを祈るばかりです。=社会学者の上野千鶴子さん: 「『今さらもう遅い』『既定路線だから』『何を訴えても無駄だ』という無力感が漂っています。でも、諦めずに言うべきことは訴えるべきです。私は、戦後生まれの人間ですが、自分たちの親に対して、どうしてあの戦争を止められなかったのかと問い詰めた世代です。後から来る世代に、どうしてパンデミック最中の五輪開催を止められなかったのかと問われる日が来るでしょう。中止を求める市民の感情をちゃんと可視化できる場が必要ですし、たとえ、開催されてもNOを言っていた人がいたということだけでも、歴史の痕跡として残すべきだと思ったからです」 「新たな変異株による急速な感染拡大とワクチン接種の遅れなど、環境条件が刻々と変わってきました。客観的な条件が変われば、戦略と戦術を変えるのは当然なのに、楽観論で押し切ろうとしているのは、五輪後に総選挙が控えているので、すでに五輪開催が政局の一部になってしまっているからです。リスクは確率論ですから、ゼロはありえない。一か八かの賭けで、賭け金に差し出されたのが国民の生命と健康です。仮に、五輪関係者を受けいれたホテルの従業員や大会ボランティアにコロナ関連死が出たとしても、残念ながら因果関係を立証できないため、労災にもならず、誰も責任はとらないでしょう」 #
by nyckingyo2
| 2021-07-23 23:20
| はてしない物語
暗黒の虚空に重なるようにどす黒く輝く五つの輪。 ひときわの漆黒は、月桂樹ではなく「コロナの冠を戴いた黒い輪」=暗黒の絆。まのびしすぎた超長超超長期政権のさきにたどり着いた怪物どもは、さらなる延命のためこの黒い五輪を手押し車にして、冥府魔道まで押しつづけようとする。しとしとぴっちゃん。 どちらに転んでも、かぎりなく暗く、穢れている。その暗黒に撒かれたどす黒い大量の五輪マネーに埋め尽くされ、ほとんどなにも見えないほど暗い。今まで煌々と輝いていた部分は、すべて貼りぼてネオリベのインチキだったことがバレ、さらに隠すためにふたたび電源を切り、真の暗黒に戻したのだ。 暗黒といえば、自らが長年強く推し進めた原発が大事故を起こし、その大惨事を横目に見ながら全く何も手を打とうとしないばかりか、原発推進を押し進め、全世界に向かって「あんだぁこんとろーる」とだれが聞いてもわかる大嘘をこいてこの五輪の誘致してしまった。この欺瞞の連続と大時代錯誤の凋落の物語はここからはじまった。地獄では閻魔大王以下の大御所が大挙して、かれのその百枚舌を抜こうと手ぐすねを引いている。皮肉なことにコロナの冠は今回の閻魔軍に強力な武器として働きはじめた。 暗黒の中でもコロナの冠は増殖して飛び交い、足元あたりを探りまわる。足元にまだなにかが残っているのか、いま手に触れたそこにある柔らかい肉は人間のものだろうか? いや多少の温かみが残っているから冠の感染による屍人の肉ではあるまい。 JOCの経理部長が電車に轢かれた。腹黒い多方向の他者にばら撒かれた札束を隠すため、元ジュードー・メダリストの会長が弁明をはじめる。「経理部長の家族は自殺ではないと言われています。事故死ではないかと…」ホームドアのある駅のホームで、いったいどんな事故が起こるというのか? その言葉はだれの耳にも、札束をめぐる自殺/他殺を隠蔽しているように聞こえる。バレバレなのにすべてを隠したつもり。汚名を被った天国の嘉納治五郎も怒り心頭だ。 今や日本の自殺者数は、先進国G7でフランスやアメリカを凌いでトップ。自殺とはその多くが他殺の別名である。どれだけのクソ政治家とマスコミが五輪パンデミックで死んでゆく人びとを差別し、無視し、この実態のない国家的スポーツ祭りを持ち上げつづけるのか。魑魅魍魎と呼ぶにもはばかられる気が狂った悪魔たちの所業。本土決戦を唱え、三百万の国民の命をただひたすらに捨て去っていったあの大本営=統帥権の親玉は、前総理の超長期政権とともに高らかと蘇った。 もし五輪が中止になれば、広島選挙大疑獄で検察に逮捕されるであろう前総理は、ひたすら五輪開幕の日を祈りつづける。嘘つき・気狂いと呼ばれつづけたかれの感覚は限りなく麻痺し、冥府魔道行きの手押し車を押し、かれらのまわりからじわじわ国民に伝播していく。しとしとぴっちゃん。 2021年6月9日 三浦瑠麗なる右翼がオリンピックを中止することはまるで『鎖国』のようだと言ったそうだが、世界の世論に一斉に背を向けての五輪の開催実施こそ『鎖国』そのものではないのか。日曜日の朝、サンデージャポンなるワイドショー(5月末)を見たが、そこで交わされる五輪中止/開催論議は、どちらも幕府のうちうちの評議場で攘夷論を練り回しているだけだと感じた。敵はIOC などではなく、最悪の言語障害ショーグンを中心に魑魅魍魎が政権に集まってしまったことではないのか。クロフネ来航の19日後にショーグンに就任した家定は病状が悪化し、やはりさらなる言語障害に陥っていたという。クロフネが来たから、コロナ大禍のなかでのオリンピックで、ガイコクを脅かしてやろうとでも思っているのかしらん。 地球の裏側からの視点という言葉をよく使うが、地球のどこに住もうが、僕を含めた現代日本人には猛烈な鎖国意識が残っていると確信する。江戸エラが終わって、開国はしてみたのだが、国家と国民のインナーにある鎖国的な意識はさらに膨れ上がり、坂の上の雲をこえて全く無謀な太平洋戦争にむかっていったのは、日本人の鎖国意識が生み出したともいえる。大東亜共栄圏などという拡大帝国主義風は、鎖国意識をきれいに裏返したものである。全世界の世論に一斉に背を向けた、政府の強引な五輪の開催決定こそが『鎖国』そのものである。 ◆にゃんこそばさんのツイート @ShinagawaJP: 「海に出られない淡水魚にとって、別の水系は宇宙のごとく遠いのかも」 多くの人命を犠牲にして祝祭の儀式を行う感覚は、まさに太平洋戦争の日本軍そのものである。 五輪戦争で敗戦の後、もういちど廃墟の街にたたずんでも、こんどは経済成長どころか、なにものも生まれないだろう。その前に、アベとスガたちの鎖国意識の表象である東京手押し車五輪を中止に追い込むしか方法はない。しとしとぴっちゃん。 ◆望月衣塑子さんのツイート @ISOKO_MOCHIZUKI: 「これでは「特攻」だ。五輪期間に感染しても、政府は因果関係も責任も認めない。国民が、国の無策・愚策から身を守ることも「自助」なのか。おかしいだろう」 「組織委は解散し、政府は『俺たちは知らない』と言う。第2次世界大戦みたい。責任者おらず、突撃している感じ」 ◆写真はデヴィッド・ギルモア 2015 ポンペイツアー、巨大なコロナウイルスのまえで Money を演奏しています。 David Gilmour - Money, Live At Pompeii (with Corona) 2015 World Tour #
by nyckingyo2
| 2021-06-16 01:41
| はてしない物語
今回はまた『霊魂』などと叫ばないで、現世優先的に書く。 朝方の夢枕に、生前お世話になった故ドナルド・キーン先生が立たれて、例によって「戦後日本文学者の最高峰は、安部公房」であり、かれの『死に急ぐ鯨たち』を読むようにという言葉とともに、彼方にある大扉のそのまた向こうに消えられた。 コロナ・エラに突入してほぼ1年、他者とのコミュニケーション感覚が希薄になり、安部公房の小説における現実希薄感覚を激しく繋げようとしている。夢のなかでキーン先生と公房氏とのあいだで、霊界ZOOMで語ったことばを、そのまま現世に持ち込むのはむずかしいが、本とともに手もとに残っているこれら断片的な安部公房の言葉を媒体に、現代社会を語る試みにしたい。 安部公房『死に急ぐ鯨たち』より ◆人間の作り出す空間ー巨大なる空間というのは一体何であるのか。その空間に時間というものを付け加えて考えると、人間の歴史とは、結局のところさまざまな不安定要素に対して、日常を拡大しつづける努力であった、といってよいのだ。 しかるに核兵器というとてつもないものを作り出してしまった世界にとって、日常はかなりことなった容貌を持ってわれわれの前に立ち現れているのである。 もし想像力の助けを借りないならば、この現実は「盲人に連れられて歩く盲人の群れ」を描いたブリューゲルの絵のように、楽観的に見える。しかし誰かおびえた一人が、駆け出すとしたらどうなるか。たちまち全員が反応を起こして、パニックをもたらすだろう。 − 安部公房『死に急ぐ鯨たち』より 今週、全人類の悲願を込めた『核兵器禁止条約』が発効されたのに、核保有国はいわずもがな、世界で唯一の被爆国=日本政府の役人たちは、条約のことを語ろうともしない。ヒロシマ・ナガサキ・フクシマの犠牲者に尻を向けたまま昼寝をしている。ほとんど実態のない『核の傘』を最大解釈して、テレビだけを見ることができる国民という盲人団体を先導している。 ◆鯨の集団自殺はなぞめいている。高い知能を持っているはずの鯨の群れが、突然狂ったように岸をめがけて泳ぎ出し、浅瀬に乗り上げて座礁してしまうのだ。 もともと肺で呼吸する地上の動物だったから、何かのきっかけで先祖がえりの想像力で、水による窒息死に恐怖心を感じて、岸に殺到するのかもしれない。 人間だって、鯨のような死に方をしないという保証は、どこにもない。 − 安部公房『死に急ぐ鯨たち』より ◆金魚独白:この小冊子『死に急ぐ鯨たち』より以前、1959年に発行された公房最初のSci-Fi小説『第四間氷期』は、まだ学生だった僕たちを興奮させた。それまで読み込んでいた50年代アメリカ発の名作SF群が急に軽く古くさく、感じられた。 公房は、気候変動で陸地がなくなり、すべて海に埋没するという陸生生物の危機を感じながら、実験的にエラ呼吸しながら海底牧場を遊歩する水棲人の少年=『エラ人間』を登場させる。かつての鯨が陸生哺乳類から、海に帰還したように。 ◆未来は、日常的連続感に、有罪の宣告をする。この問題は、今日のような転形期にあっては、とくに重要なテーマだと思い、ぼくは現在の中に闖入してきた未来の姿を、裁くものとしてとらえてみることにした。日常の連続感は、未来を見た瞬間に、死ななければならないのである。未来を了解するためには、現実に生きるだけでは不充分なのだ。日常性というこのもっとも平凡な秩序にこそ、もっとも大きな罪があることを、はっきり自覚しなければならないのである。 − 安部公房『第四間氷期』あとがき 時代にとって怖いのは、異常が正当化されて正常が異端視されることである。そういう状況の中では、大多数の民衆には、ひたすら強大なボスを待ちうける気分が充満する。 核戦争は肉体の破滅であるけれど、 その前には強い独裁者が必ず現れて、彼の指揮によって誘惑的な精神の御破産を唱和する衝動が、大多数の民衆の心に用意されるのである。 −安部公房『死に急ぐ鯨たち』より ◆金魚独白:安部公房はもちろん村上春樹よりもまえに、1984年よりもさらにまえに、オーウェルが預言した『1984年』の世界を、小説や随筆のなかでさまざまに暗示しています。 ◆ビッグブラザーをトランプに差し替えた画像は、2016年の大統領選で彼が当選したときに創りました。 思えば移民の僕たちにとっては、薄氷のながい道のりを歩くような危うい4年間でした。いまはただアメリカ国民が、トランプを排除してくれたことを、こころから感謝しています。 そしていつ何時、オーウェルの預言が現実となる日が来ぬように、公房の言葉たちを更に噛みしめ、反芻を繰り返しています。 ◆金魚独白:ビッグブラザーの顔を、現代の政治家のだれに差し替えてもそれなりの安定感(?)と恐怖感が滲み出ています。鯨たちのあとにつづいての集団自殺=人類滅亡だけは避けたいと思いながら、トランプの2024年選挙を睨んだ「前大統領オフィス開設」のニュースを、さらに横目で睨んでいます。 #
by nyckingyo2
| 2021-01-26 00:47
| 悪魔の国からオニの国のあなたへ
|
ファン申請 |
||