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マンハッタンからたった40マイル(65km)北にあるインディアン・ポイント原発2号棟の稼動ライセンスが先月9月28日で切れた。期限切れの前にニューヨーカーの多くが「さぁ脱原発だ!」とよろこんだのもつかの間、当局は平気の平左でエクスパイアしたままの稼動をつづけている。 ニューヨーク市の電気使用量の30%は、インディアン・ポイント原発から供給されていたが、アメリカでは電力は自由競争で複数業者から選択できるので、原発減少ですぐに電力不足にはならない。ただニューヨークは送電線が過密状態のため、遠方からの電力を受け入れる能力が制限されていて、電力供給の安定性はインディアン・ポイント原発に大きく依存しているというのが当局の言い分。 フクシマの事故直後、アメリカは在日米国人に対し50マイル (80km) 圏内を立ち入り禁止としたが、インディアン・ポイント原発から半径50マイル圏内には、ニューヨーク・シテイの800万人を含め、なんと2,000万の人が住んでいる。使用済み核燃料の将来的保管の不備などから、今後のNRCによるライセンス更新を認めないという連邦裁の判決も出ていたので、そのまま原発を閉鎖するのではないかという期待情報も流れていた。そのライセンス切れの矢先、一言の弁解もなくそのまま平然と稼動をつづける傲岸不遜。なんのことはない、洋の東西を問わず、原子力ムラに居座る大ムジナたちのやることは、こういうことなのだ。 稼動ライセンスの失効した28日朝、グランド・セントラル駅集合の呼びかけがあり、金魚も抗議行動に参加した。オキュパイ・ウォール街運動での顔見知り「原発マン」も来てくれた。背中の「No More Fukushima」も鮮やかなかれは、オーストラリアからの活動家。ほかに日本人・日系人、ネイティヴ・アメリカンの有志。奇しくもフクシマからの放射能を巡る汎太平洋の民族集合となった。世界最大の大洋の周辺国は、最初の原爆実験地ニューメキシコ、広島・長崎、太平洋の原水爆実験地域、そして福島の原発事故によってより強くつながってしまった。 下のドイツ・キール海洋研究センターのヴィデオは、フクシマから10年間の太平洋汚染のシミュレーション。東電による放射能汚染水漏洩のニュース以前のものだが、それでも6-7年を過ぎた時点で、日本沿岸よりアメリカ大陸の汚染の方が圧倒的にピンク色が濃くなっている。おまけに最近は「完全にダダ漏れしてる」ことを「完全にアンダーコントロール」と言い替えて東京オリンピックを招致した。日本政府と東電のこれまでの無為・無責任と欺瞞は、これからすぐ全世界からの痛烈な批難として必ず返ってくる。世界は、人為の積み重ねで起こった事故からの放射能を、最大の公海に垂れ流しつづけることを決して許さない。 グランド・セントラル駅での唯一の朗報は、NY地下鉄や郊外電車など、公共の電力には、この日から原発電力を使わなくなった、ということ。NYPA(NY Power Authority)は、インディアン・ポイントと電力契約をしていたが、2号棟の免許が失効したのでその契約も解約した。原発反対というより、天然ガスやシェール・ガスなどのオルタナティブが安くなっているので、法律を考慮したかたちでそちらに切り替えただけ。市民が使う Con Edison などの電力会社は、いまだに原発電力の大行進である。 お昼前から、40マイル北のインディアン・ポイント原発前まで移動しての抗議集会。原発から3マイルしか離れていない「避難所」まで、走る、歩く、カヌー、カヤック、手段はなんでもいいから逃げてきてください、というイヴェント=Run for Your Life。写真上は、カヌー隊が逃げてきたところ。走って逃げられるとこなんかないんだぞ、という右上のワッペンがむなしく光り、われわれ現代人類の逃亡 =Exodus 能力の退化を嘆き悲しむ、という趣向でありますのだ。 それでもすぐそこにある原発はライセンスが切れても稼動しつづけ、10秒ごとに不気味な水蒸気を大量に放っている。現に昨年6月には2号棟でメイン発電機が機能しなくなり、原子炉が急停止する事故。また10月には全地球的な異常気象で毎年NYに上陸するようになったハリケーンのため、外部配電網が故障し、稼動を停止。年中行事のように小規模の事故をくり返している。年々異常になるこの星の気候変動に、ダイジョーブです、なんてだれも言えません。おまけに世界最大の憎まれっ子であるこの国は、テロで原発を狙われる可能性も高い。9-11の直後、友人と「次はインディアン・ポイントが標的だ」と、怯えおののいていた記憶がある。 日本でも大飯が定期点検で止まり、稼動原発ゼロ、というのに、目の前でモクモク煙をはいてる原発を見ると、核アレジーのぼくは、それだけで全身がすくみ上がってしまいます。黒澤「生きものの記録」のミフネ演じる喜一ではないが「死ぬのはやむをえん、だがあんなもの(放射能)で殺されるのは(死んでも??)いやだ」といいながらひたすら怯えている。映画では喜一は恐怖から狂ってしまうのだが、たとえかれがブラジルまで逃げおおせたとしても、現代のブラジルにはすでに古い原発が稼動していて、さらに新たな原発を売りつけようとする日本政府エイギョー団がモーレツな売り込みをはじめている。何という世の中でしょうか! みんなに「金魚なんだから泳いで逃げたら」と勧められたが、大事故は起こっていなくても、稼動原子炉のそばの水や空気は放射性物質で汚染している。フクシマで話題のトリチウムやセシウム・ストロンチュームは骨にたまるというではありませんか!生きてるときでさえ骨だけで泳いでいる金魚が「はだしのゲン」のお母さんのように遺骨も残らないなんてヤダ! 泳ぎません。むしろだれかのように念力で翔ぶ! この金魚の狼狽ぶりを見て、東日本に住む人びとはあるいは「事故も起こっていないのに狼狽(うろたえ)おって浅ましい!」と一喝されるかもしれないが、こちらが自然な恐怖なのだと堂々と反論する。見えない放射能をないことにしよう、などという妄想こそ、刹那的な、非人道の、浅ましく一喝されるべきものである。 福島の一号機も、40年の稼動期間を60年に延長したとたんの事故だった。インディアン・ポイントも、41年目の期限切れ原子炉災害の可能性は高い。 10月8日、アッパー・イーストでの「フクシマ=NY セミナー」で、原発技術者で分析家のアーニー・ガンダーソンは「40 Good Years and One Bad Day」というタイトルの演説をした。「稼動ライセンスの切れたインディアン・ポイントの古い原発の状況は、事故時の福島第一よりうんと悪い。おまけに東京は福島の120マイル先にあるが、NYCは原発からたった25マイルしか離れていない。」ガンダーソンは2011年12月のヴィデオで、フクシマにチャイナシンドロームは起こらないだろうが、多くの放射能汚染水が海に流出することを予測している。流出は少なくとも今後30年間止まらないだろうと。 もともと10年動かせば(採算が合うので)やめる、などと言いつつ、2,000万の人命と引き換えに、うまいシルを吸いつづけているのは、東西同じ穴のムラ・ムジナということが歴然としている。 マンハッタンから郊外行きのハドソン・ラインで一時間、湖状にふくれあがったハドソン・リヴァー沿いの原発の街—ピークスキルには、閑静(?)でリッチな集合住宅群や高級コンドミニアムまでが建っている。原発を見下ろすそのコンドの最上階で、購入した家族たちはいったいなにを考えているのだろうか。特にフクシマの事故以来、不安ではないはずはないだろう。 ほとんど湖のようなその静かな水面を見つめつづけて、いつのまにかぼくの頭は40年以上の歳月をタイムスリップし、意識はその原発がまだこの地に存在しなかった過去へと戻っている。この河は、ニューヨークを最初に発見したヘンリー・ハドソンの名前がつけられていて、この下流の街ピークスキルにも、エリー湖からの穀物運搬の船が行き交っていた。この街のすぐ南にあるタリータウンも穀物集積の地で、河の支流に入り組んだ湖には、今でも大きくて古風な水車がのんびりとまわっている。原発などという物騒なものがなかった古き良き時代のアメリカ。 原発の街を離れて、マンハッタンのグランド・セントラル駅につくころには、ぼくの時間旅行癖(?)にもいっそう磨きがかかり、エディソンがデンキを開発するまえ、120年のときを遡ったつもりになっている。 たった120年、ほんの120年まえ、エディソンが白熱電球の光をあふれさせる以前には、このマンハッタンもほかの都市と同じく、夜になるとわずかなガス灯で照らし出された小さな部分のほかは、まるで暗黒の世界だった。T型フォードもまだ走っていない時代、裕福な者たちは馬車で、庶民は歩いてダウンタウンのパブと呼ばれた簡易居酒屋へ行ってくだを巻くほかに、みんなが手軽に楽しめる夜の娯楽などなにもなかった。ここグランド・セントラル駅も今年が百周年だから、影もなかった時代である。そして19世紀末、エレキテル electric のひかりがはじめてこの大都会を奇蹟的に明るく輝かせた。エディソンが白熱電球を発明して3年後の1882年にはかれのアソシエーツが、赤青白色の世界最初の電飾クリスマスツリーを飾った。かれがマンハッタンの900棟のビルを1万個以上の電球で飾り、世界ではじめての光の都市を演出したのもこの年のこと。そしてそのあと、世界中の大都会は次々に輝きはじめた。 「デンキ」=白熱電球はトーマス・エディソンによって、ここから西に50マイル、ニュージャージーで具現した。産業革命以来急速に訪れた機械化・人工化は、この強力な人工照明で、人生に革命的なリズム変化をもたらした。マンハッタンは世界最初の光の都市となり、地球星の夜はそれまでの何万倍の光量を抱え込むことになった。 ぼくは、原発とおなじように「デンキ」も必要ない、などと言うつもりは毛頭ない。デンキのない原始生活にもどろう、と煽るつもりもまったくない。ただ、たった120年まえのそのかれの発明は、人間の欲望を倍増させたといえる。資本家たちはその24時間輝ける都市のなかにいて、マルクスのいう「剰余価値」というものを果てしなく追求しはじめ、その人工光をまるで太陽神に変わる存在のように崇拝した。このデンキ的価値観は現在もさらに加速してつづいていると確信する。 もしその強烈な人工光がなかった120年まえの時代に還れば、その夜たちはどれほどゆったりした世界だったかを、かいま見たことがある。カリフォルニアの山中で、当時何十年もデンキのない生活をしていた友人宅に滞在したときのこと。平地よりもはやい日没がすぎると部屋のなかは真っ暗。外に出て星を眺める。曇っているときは、薪ストーブのまえでほとんど真闇の夕食をする。薪を焼べる小さな火口の隙間から、強烈な火の光の妖精がダンスしつづける。ラ・トゥールやフェルメールが描いた小さな光の粒子のひとつひとつが、われわれの生活の原点であることを思い起こさせる。石油ランプをつけて本を読むこともできるのだが、なぜかみんなで闇のなかで興奮し、顔のない相手と語りつづけた。ほかにほとんど光のない真闇のなかで急にランプをつけると、光が激しすぎて話している内容が(現代的に)変わってしまう気がして、だれも使おうとしなかった。 やがて樹木の葉の隙間から、強烈な朝日が瞼を射抜き、この惑星の母なる太陽神からの光の恵みに深く感謝する。数時間前のあの真闇との対比が、魂の奥までを揺さぶる朝。 エディソンの発明は、われわれの夜に光を氾濫させた。それはそのまま「欲望の氾濫」ということばに置き換えてもなにも意味は変わらない。ニューヨークだけでなく、この人工光は瞬く間に世界に広がり、現代では70億の人類のほとんどすべてがこの恩恵を受け、この光の氾濫を楽しみ、慈しんでいる。デンキのない時代が「原始時代」だったのなら、たった120年前にやっと人類は「原始生活」から脱したことになる。 が、この強烈な人工光による欲望の氾濫は、人生を一瞬にして尋常ではなくしてしまったともいえる。 グランド・セントラル駅を出て5分、いまぼくが歩いているタイムズ・スクエアと呼ばれるエリアは、日没のあとの方が、昼間の光量よりもうんと多いのではないかという錯覚をおぼえる。夜とともに幾多の摩天楼にも灯がともり、巨大なクーラーやヒーターをまわし、巨大レーゾーコを動かし、おおぜいが超巨大皿に向って喰らいつづけ、TVやPCのまわりも光で埋めつくす。世界経済の都は欲望肥大症でさらなる錯乱をはじめる。そしてその錯乱はインディアン・ポイントの原発によって支えられている。その巨大なデンキ式インフラをもう少し鎮めて、せめて原発を閉じるすべはないのだろうか、と考える人間が増えはじめた。 人工光以外のもうひとつのデンキ・アナロジーを提示する。ウエスト・オレンジにあるエディソンの研究所には、彼の発明した世界初の「空飛ぶ部屋」=エレヴェーターが残っているが、そのほとんど「空飛ぶ牢獄」と言ってもいいような鉄格子の正面には「ミスタ・エディソンだけのため」と大書きされている。エディソンは自分の発明を守る訴訟の数もひどく「1%のひらめきと99%の訴訟」と評するひともいる。発明王は訴訟王でもあった。 電灯やエレヴェーターが摩天楼にも完備されたあと、また数十年が流れ、いまから80年まえのマンハッタンに、パリから一人の建築家が顕れた。ル・コルビュジェ。かれはマンハッタンの摩天楼は小さすぎると言いつつ、当時の最新鋭摩天楼=ロックフェラーセンターの80数階から降りる時間と、7階建てのパリの自分のアパートから降りる時間が同じだということに驚く。そのときの旅行記「伽藍が白かったとき」には、むしろ行きすぎたアメリカの功利性におののいているような表現がある。 もしも目が建物の不透明な壁を突き抜けることができるなら、かって見たこともない光景を見ることであろう…そこには三十万、五十万、おそらくはそれ以上の男女が、おなじ時間に、物理学の実験の浮沈子(ふちんし=浮き沈み人形)を演じているのだ。人類は、地上に繋がれた幾千年来の運命から解放されて、二十人一房、二百人一束となって大速力で上下している。それは新しい煉獄の一場面であろうか? それは、将来あらゆることが計算され、正しく評価され、正確に調合されるようになったとき「輝く都市(当時のコルビュジェの理想の都市)」を可能にしてくれる道具を、大きな尺度で実験中の現代社会の姿である。毎日、莫大な時間が節約されることであろう。(ル・コルビュジェ「伽藍が白かったとき」岩波文庫 p-126) そして現代では、世界の大都市に住む何千万、何億という浮沈子が上下運動をくり返すことになった。コルビュジェの時代には不可能だった透明のハコでできた高層高速エレヴェーターに乗り、地上を歩く人びととの急速な別離、急速な接近を実感できるようになった。地上を這いつくばるアリたちを見ている浮沈子としての優越感は、一瞬後の着地の瞬間に消え、すぐに自分もそのアリの仲間入りをして地面を這いつくばるはめになる。地上を歩きつづけている人びとから見れば、透明高速エレヴェーターのなかの人はそれこそまったく浮き沈みする人形=浮沈子であり、一瞬たりともホンモノの人間とは信じがたい。おたがいに人間としての魂のありようを忘れ、機械の部品となり、資本家の手先になり、かれらのために剰余価値を掘りつづける。デンキ的欲望のみが資本家とおなじくらい膨張してしまった自分にも気づこうとしない。 エレヴェーターの中をフワフワ、スイスイ。大きな重い石を高い山の頂上まで上げたとたんに谷底に落とされ、永遠の徒労労働をくり返すシジフォスの煉獄とはひと味、いやかなりちがう。だが、デンキという巨大なエネルギーに代替えされ、フワフワ自由人を気取らせながら、資本家が考えた「新しい煉獄」ではないかというコルビュジェの概念は鋭い。これが新しい巨大な岩を山に上げるための「労働」というものの正体である。どうせフワフワと頂上にたどりついても岩はまた蹴落とされてスイスイと階下に降りるのだから、最初から肉体をエレヴェーターに乗せなければいいのではないですか? イヤイヤそうはいかない。神話のなかの本物のシジフォスは永遠の徒労をくり返すのだが、この現世(現代)という場所でかれの真似をしているぼくら偽シジフォスたちには、わずかながらもこのフワフワを「商品交換券」に交換できるチャンスがあるのです。それゆえ簡単には、この新しい煉獄からは逃亡できなくなっております。こちら最上階=屋上、夢の遊園地と金融パラダイスになっております。ただし最上階ゆえに、お客様には爆破テロなどに充分お気をつけあそばされますように。 さて、このブログでも何度も書いていることだが、PCに向って故人の悪口を書いていると、急にうしろから髪を引っ張られるような感覚に襲われたりする。どうもなにかがうまくない。今月のコン・エディソン電力会社からの請求書の金額が突然増えているような気がしたので、あわてて故エディソン翁の悪口を最小限まで削除した。ここでは人類の夜に輝かしい光を与えてくれた功労者として讃えるのみにとどめる。 エディソン翁が晩年、霊界との交信を試みていたことは、首を傾げながらも好感がもてる。かれは人間の魂は宇宙エネルギーの一部であると考えていた。エネルギーは不変であり「魂」というエネルギーは人間の死後も存在し、このエネルギーの蓄積こそが記憶なのだという。エディソンが自分の頭で発明をしたのではなく、かれ自身は自然界のメッセージ受信機であり「宇宙という大きな存在からメッセージを受け取り、それを記録することで発明としていた」にすぎないのだという。 確かにデンキと霊はご近所づきあいしているのではないか、と思うことがある。 レイ・ブラッドベリの珠玉の短編デンキ・ファンタジー「発電所」。むろん原発などという物騒なものではなくて、田舎にある煉瓦造りの古い火力発電所での話。若い人妻が雨宿りのためにこの発電所で一晩泊まることになる。「電気」が絶え間なくハミングしているなかで、眠れない女性が夫とさまざまな話を交わす。やがてまどろみはじめた意識のなかで、女性は発電所の機械から送電線をすり抜け、すごい勢いで外の世界を駆け抜ける。実にデンキに対して好意的な、ほとんどデンキを愛しているといってもいい話。そう、霊界にどれだけの光が充満しているのか、まったくないのかは知らないが、この世で光を自在に操れるデンキはすばらしい、ということができる。 「いちどきに、いたるところに、女は在った!」 「ダイナモは女をぐるぐる振りまわし、その遠心力で投げとばし、幾千もの電線へ、幾百万ものソケットへ送り込んだ。紐を引けば、ノブをひねれば、スイッチを動かせば、光は生まれる。」 「光はどの部屋にも生まれるのだった。光が生まれないかぎり、どの部屋もまっくらだ。女はすべての部屋に、同時に在った。だからひとりではない。女の悲しみはひとつの巨大な悲しみの部分であり、女の恐怖は数え切れないたくさんの恐怖のひとつであるにすぎない。そしてまた、その悲しみは半分のかけらだった。ほかにもう半分ある。生れ出たものの悲しみ。赤子のかたちを借りた慰め。あたたかい体が求めた食物、目のための色と耳のための音、そして春の野の香り。明かりがパッとつくたびに、生命が新たに燃え立つのだった。部屋部屋はかぐわしく照らし出された。」(レイ・ブラッドベリ「発電所」 ハヤカワ文庫「太陽の黄金の林檎」に収録 小笠原豊樹訳) 古い原発や旧式の電気設備に、霊がついていることはよくわかるが、新型PCのなかやネットの世界も、霊界と密接に結びついていると感じるときがある。光の三原色RGBでできた上下の不確かな宇宙空間を彷徨っていると、突然ホタルイカのような霊の大群に出くわすのだ。もっともその群生世界のすぐとなりには、現世の何十億という人間たちのコミュニケーションというか、ディスコミュニケーションというか、罵詈雑言掲示板などからの邪念霊的エネルギーがすごすぎて、なかなか霊界からの純粋なメッセージが伝わりにくい。それでも、高次元へのアセンションをすませたおおぜいの人が、PCから霊界にコンタクトしていると感じている。そしてそこにもまた機械からのラディエーションなどのデンキ煉獄的障害が指摘されている。 いつものように、話が大きく飛んで旋回してしまった。この長い寄り道でいいたかったことは、こういったデンキ的拡大性発想が、近代人類の文明を大きく加速させ、その結果の経済戦争がふたつの大戦を引き起こし、原爆・化学兵器・原発・遺伝子組み換え、などという発想までに至った、ということ。 ぼくたちの肥大化した「功利的欲望」そのものを、なんとか、Reuse, Reduce, Recycle し、持続可能な自然エネルギーを使うこと、が金魚のつぶやきつづける大きなテーゼである。 先日参加した「NY=フクシマ・セミナー」というブーメランで、もとの脱原発の位置に戻り、そこを着地点としてこの稿を終わることにする。 10月8日アッパーイーストでの、“Fukushima: Ongoing Lessons for New York”と名づけられたセミナーに行ってきました。ラルフ・ネーダー、NRC前会長G・ヤツコ、菅直人、A・ガンダーセン、3マイル事故時のNRC会長P・ブラッドフォード、ほかがパネリスト。ヴィデオはエンベッドできなかったのでこちらから(約2時間50分)。平日朝なので会場はガラガラ(百人弱)。おまけに秋風が吹き抜ける気候なのに、広い会場冷房がめいっぱい効いていて、引きずっていた夏風邪をぶり返してしまいました。 原発事故を深く体験した代表として菅直人が登場。3-11当時首相だったとき、それ以前のかれの言動から、いまだにひどい菅アレジーに悩まされているが、かれの顔を見たくないという理由だけでセミナーは欠席できないと思って出かけた。以下論評を避け、かれが言ったことだけを書く。福島の最初の五日間について。格納容器、爆発の状態、東京市民の避難問題など、今まで見聞きしたことが多いが、現在問題となっている汚染水の海洋への漏洩について、原発立地の際の重要な証言があった。 菅:「福島原発の立地は、海抜35mの高台上の予定だったが、東電は原子炉冷却水をそこまで上げる不経済性から予定を変更した。35mの土台を10mの高さまで切り崩し、6つの原発が建てられた。もともと地下水の多い土壌を切り崩した軟弱な地盤に建てられたので、原発の下は地下水が溢れていた。そこに漏洩した汚染水と地下水が混ざり、太平洋にあふれ出る現在の事態となった。」 菅(約38分ごろ):「3-11のあと私は考え方を180度変えた。五千万人の人が逃げ出さねばならない事故など、原発事故以外には戦争しかない。原発を使わずともエネルギーは充分足りることを実証している。将来原発事故は決してなくならないだろう。事故をなくすためには原発をなくすしかない。再生可能のエネルギーへの変換を。」 政権を退いてからの菅の発言はえらく立派に聞えるが、福島の事故当時、首相だったかれはなにをしたか、数々のかれへの不信情報からひと言だけ: —米国の最高秘密文書の情報開示で判明。内閣は2011年3月14日の時点で高濃度放射性雲が15日関東に来ること把握、国民への屋内待避呼び掛けをだれかが禁止。官邸秘書たちは15日マスク、昼に渋谷線量100倍上昇と細野が寺田に電話。菅直人、官邸に引きこもり取材拒否報道。官邸は知ってて国民被曝させた。—という最近の報道がある。 グレゴリー・ヤツコ(1:05分ごろ):「米国のインディペンデント組織の試算では、福島第一原発事故の被害額は最低限で5千億ドル(50兆円強)に上る。明日か十年後か三十年後、原発事故はどこかで必ずまた起こる。福島の事故は日本の問題だけではなく、アメリカの、世界の問題です。 核燃料が溶け落ちる炉心溶融(メルトダウン)や、溶融した燃料が原子炉圧力容器を貫通する「メルトスルー」が起きていると分析しています。」 アーニー・ガンダーソン(1:40分ごろ):「40 Good Years and One Bad Day」という講演タイトル。上記赤字で記載したが「NRCのいう百万年に一度以下のメルトダウン事故は、過去35年間に5つ起きた。先月末に稼動ライセンスの切れたインディアン・ポイントの古い原発の状況は、事故時の福島第一よりうんと悪い。おまけに東京は福島の120マイル先にあるが、NYCは原発からたった25マイルしか離れていない。」 ラルフ・ネーダー(2:40分ごろ):「原発は、ただお湯を沸かすというひとつの目的のために原子力を使うというギャンブル。それはまるでロシアン・ルーレットだ。ハーバードを中心とするギルド複合体が作った、不必要で、不経済で、避難も撤去できない、危険で、非民主的なものである。」 長時間のセミナーでしたが、再生可能なエネルギーへの変換について専門家が語る、実に有意義なセミナーでした。お時間のおありのときにぜひヴィデオ全編をご覧ください。(約2時間50分) 主催者からメイルがきて、10月30日には上記の水車の街・タリータウンで、NRC(原子力規制委員会)の公聴会があります。マンハッタンのリヴァーサイド・チャーチからシャトルバス・サーヴィスあり。
by nyckingyo2
| 2013-10-18 00:29
| 続・洪水からの目醒め
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