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年末のNHK海外放送「SWITCHインタビュー 達人たち」で、能楽師・観世清和が内田樹と対談。観世は、能楽師自身のことばとしては稀な「複式夢幻能」ということばを使って、自分の先祖である世阿弥の天才創造性を語る。 内田樹:「羽衣」のなか序の舞。 全体のなかではほとんど観えないほどの、 小さな足を挙げる動き。 優美な滑らかさ。 重そう。 空間がぐっと重くなる。 濃密なる粘り気のあるものがある。 天女にとって、地上の空気はすこぶる重く ゆっくりと、ゆっくりと舞う。 「空気のなかを飛ぶことの重み。」これをことしのテーマにしたい。年末に書いた短編ファンタジーも、まったく「新しい翼」を手に入れたくせに、精神の純粋を貫いた状態では決して飛ぶことのできない人類というものを描いた。「風立ちぬ」における堀越二郎の飛行機への夢も、時代の波に飲まれて、ゆがんでいった。宮崎駿の物語を即物的にとらえることなく、これからは、大きな悪魔を祓う季節である。自ら飛ぶことの重みを感じるとき。 観世清和:インターネットの瞬間性や宇宙を駈けまわる映画の超スピードの世界は、 能と真逆にある世界。 そして序の舞は祝福。 全世界が平和であってほしい、という ささやかな天女の祈りのこころ。 漁師の白龍に感謝する、報謝の舞。 天空から国土に宝を降らせる。地上に祝福を贈りながら天へと帰る。 祈りと言祝ぎ(ことほぎ)。 はてここで、新春の国土への言祝ぎ、ということで終わってしまえば、金魚ブログも文科省優等生の<はなまる>を貰えるところだが、そうは問屋が卸さない。羽衣を纏った天女がこの国を褒め讃えたのは、いまを去ること650年まえ。当時もいまも、この国の中枢は、醜悪なる鵺(ぬえ)たち、政夢(まさゆめ)を喰う貘(ばく)たちに乗っ取られ、膿み腐っている。天女の踊りを観たあと、漁師・白龍のように天女の衣を返すつもりなど毛頭なく、国民をだましてばかり。東日本の子どもの命を救い、汚染を必死に食い止め、保障する気などもまったくない。沖縄の基地を民に返還する意志などさらさらない。まことに、悪魔の所業は悪意のかたまりであることが大バレの昨年。 われわれの想像力は、650年の過去と、650年の未来を見通したものであったはずだ。世阿弥の子孫はくり返す。 観世清和:能は、夢とうつつ、 生者と死者が交錯する。 亡霊が主人公の演劇は世界にもめずらしい。 世阿弥から650年をひとくくりにして、 そのまた先の650年後を見通して考える。 現代日本人は、 極端に短いスパンでしかものを観ていない。 世阿弥が考案した複式夢幻能とは、 前半は現実、後半は夢のなか、 亡霊が主人公(シテ)となる。 能の本質は<鎮魂>にある。 地獄に堕ちた亡者の、 かっての人生でいちばん輝いていたときを 再現し、 その魂を弔う。 正月そうそうの亡霊の出現は、その鎮魂のためにあり、そのことがすなわち、七宝充満の宝を降らし 国土にこれをほどこしたまふことになる。 能は人びとの悲しみの源から逃げるのではなく、さらにはっきりとその悲しみを映しだす演劇。舞う者と観る者を、過去・現在・未来を大きなスパンで結びつけることになる。 後半に主人公が幻の方に変換する「複式夢幻能」については、年末に観たブロードウェイでのサミュエル・ベケット作「ゴドーを待ちながら」(二幕もの)を絡めて説明したい。東京でおおむかし、この不条理劇と称する先輩たちの舞台を2-3度観たことがあるが、ムッツリ観つづけたそれらとはまったくちがって、冒頭から超満員の観客の大爆笑の連続。このちがいはいったい何だろう、と考えてしまう。主演は、映画・指輪物語、魔法使いガンダルフ役のイアン・マケレン と、スター・トレックのピカード艦長役のパトリック・スチュアート。このふたりの、絶妙を通り越えた絶対演技のせいかもしれない。ふたりにとってみれば「不条理をコメディにしてしまうのは、マンハッタンの観客のせい」と観客の方を絶賛する。 一幕目「奴隷」ラッキーの首に縄を付け、鞭打ちながら登場した「資本家」ポッツォは、二幕目で目が見えなくなり、奴隷の先導なしには生きていけなくなる。後半奴隷と資本家の立場は見事に逆転するわけだ。 エストラゴン:しかしあの二人はただ通り過ぎるだけだろう。 ポッツォ(資本家):助けてくれ! ヴラジーミル:すでに時間の流れがまるでちがう。太陽は沈み、すぐ月が出る。そして、私たちは立ち去れる—ここから。 舞台は前後どちらも「現世」なのだが、現代人の夢を語り、どこかで能の魂を弔う作業と、酷似している感があった。不条理を笑い飛ばしつづけるニューヨークの観客に健全性を感じ、日本人もこれができれば、という羨望すらも脳裏をよぎった。 戦争や自然災害でなくなった人びとへの鎮魂を、くり返し、くり返し、亡霊を主人公にしながら祈りつづける「多層的夢幻能」を提唱する。その祈りは、やがて現世の人間の無意識のなかにこびりつき、戦争そのものを憎悪し、回避するようになる。自然災害のすべてをとめることはできなくとも、異常気象の基を是正する、放射能を出すシステムそのものを廃棄する叡智が、すべてのひとのインナーにこびりつく。 それは、深く瞑想し、祈りを常習化する時間。 観世はおもむろに一枚の能装束を取り出す。先祖の音阿弥三郎元重(世阿弥の甥)が8代将軍義政から拝領したという、日本最古の能装束は、金の蜻蛉(とんぼ)柄刺繍。 まっすぐにしか飛ばない蜻蛉は、武家にとっての守り神、と観世はいう。500年以上の歳月を経て、舞うごとに蜻蛉の金泊は剥がれ堕ちるという。だが演者がその装束で舞うたびに、蜻蛉は身体を軽くし、まっすぐに、美しい国へと、未来へと旅立っているような気がしている。 「義政」がらみで、一昨年日本に発たれるドナルド・キーン先生にいただいた英文の「足利義政と銀閣寺」を紐解く。ここでのこの室町8代将軍が、恣につくりあげた建築、庭園、生け花、茶の湯、そして能などのが東山文化が、その後の日本人すべての美意識を決定づけた、とされている。 自宅周辺で応仁の乱が起こり、数万人が餓死しようと、十万二十万の大群が激突しようとも、一切知らぬふりで通し、なんの対処もできなかった将軍として無為無策の失敗者義政。私生活でも妻日野富子、一人息子義尚とうまく行かず不幸だったと描く。一方でキーン先生は義政をかぎりなく賞揚。「すべての日本人に永遠の遺産を残した唯一最高の将軍」であり、彼の心性こそが現代人の直接の祖である、と。政治的挫折者、史上最悪の将軍が、日本人に最高の美的遺産をのこした。将軍職を退き、応仁の乱が終わったあと、義政は東山山荘を建立し、そこに移住して東山殿と称され、その評価が一転する。そこに開かれた東山文化は、 日本人の趣味、日本の心の形成に多大の影響を与え、極めて大きな歴史的重要性を担っている。 観たくもないのに年末のNHK海外放送では、まさに悪魔の乗り移ったような、日本の現首相の顔がアップで再三現われる。未来のネット新聞に「戦争犯罪人」として名を連ねているかれの顔が観える。自らの無能をまったく気づかない悪意の施政者は、瞬時の好景気を自分の功績ミクス、といいつづけ増長をつづける。日本の国土を大きく歪める。そこには将軍義政のようなクリエイティヴな徳は、みじんも感じられない。 世阿弥の末裔は、ひたすら東北の海に向って祈祷の謡をつづける。 最近のキーン先生と瀬戸内寂聴氏との対談番組では、キーン先生も東京オリンピックに猛反対。東北の復興が済んでないのに、東京でオリンピックとはどういうことだと激怒されていたという。当地では観ることがかなわないが、当然のご意見と、心強い気持ちでネット情報を渡り歩いて観つめている。 キーン:戦後になってから日本人は一人も戦死していない。小さい文字で書かれた内容に注意しなさい、と現政権による戦前社会の回帰に、強く警鐘を鳴らされている。 キーン先生ではなく秘書氏のことだが、友人である秘書氏が暮れに金魚が書いたディストピア小説を読んでいただいたようである。読後感想は書かれていなかったが、龍安寺の石庭をアシモが掃き清めているシーンが印象的だったのか、下の写真が送られてきた。戦後間もない時期の、ピカピカに若いキーン先生の、瞑想の姿を見つめていると、その庭の存在する国の将来が、しだいに安定していく確信を持った。半世紀まえにこれほど豊かな精神性があったのだから、これから半世紀後はまたこのような様があるのではないか、と。 なによりこの新春を言祝ぐ一枚にしたい。
by nyckingyo2
| 2014-01-01 14:01
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