by nyckingyo2
検索
フォロー中のブログ
記事ランキング
最新の記事
FaceBook
以前の記事
2021年 08月 2021年 07月 2021年 06月 2021年 01月 2020年 10月 2020年 09月 2020年 08月 2020年 05月 2020年 03月 2020年 02月 2019年 10月 2019年 07月 2019年 05月 2018年 12月 2018年 10月 2018年 07月 2018年 05月 2018年 01月 2017年 12月 2017年 10月 2017年 07月 2017年 05月 2017年 04月 2017年 03月 2017年 01月 2016年 12月 2016年 11月 2016年 10月 2016年 09月 2016年 08月 2016年 07月 2016年 05月 2016年 04月 2016年 03月 2016年 02月 2016年 01月 2015年 12月 2015年 11月 2015年 10月 2015年 09月 2015年 08月 2015年 07月 2015年 06月 2015年 05月 2015年 04月 2015年 03月 2015年 02月 2015年 01月 2014年 12月 2014年 11月 2014年 10月 2014年 09月 2014年 08月 2014年 07月 2014年 05月 2014年 04月 2014年 03月 2014年 02月 2014年 01月 2013年 12月 2013年 11月 2013年 10月 2013年 09月 2013年 08月 2013年 06月 2013年 05月 2013年 04月 2013年 03月 2013年 02月 2013年 01月 2012年 12月 2012年 11月 2012年 10月 2012年 09月 2012年 08月 2012年 07月 2012年 06月 カテゴリ
全体 はてしない物語 ことばと音をコラージュする モモのいた場所、モモのいる時間 遺伝子から魂伝子へ 金魚の超饒舌ファンタジー タネたちは故郷をめざす 続・多層金魚の戦争夢 続・ソラリスの海に泳ぐイカ NYC・アート時評 NYで観た映画たち・本たち 悪魔の国からオニの国のあなたへ 続・炉心溶融した資本主義 天の明星を飲む 写真構成 NYC 続・洪水からの目醒め Roll Away! 浮遊的散文詩歌 続・街かどでOneShotからの連想 愛は世界を動かす大きなエンジン ポートフォリオ 続・小さき者とのダイアローグ マンハッタン効果 NYC Music Life エッセイらしく 小 Japón 旅そのもの記 未分類 タグ
最新のトラックバック
外部リンク
ファン
ブログジャンル
その他のジャンル
|
日本は3月11日になりました。ニューヨークは早春の雪が深深と降っています。 ◆ 茨木のり子『水の星』のことばをくんでいると、あの6年まえの大惨事がもう消え失せてしまったような錯覚に陥りますが、とんでもありません。あの日以来、深く悩み、落ち込みつづけ、しかしながらできることはなにもなく、ひたすらブログを書きつづけていた日々が、6度目の走馬灯に乗って戻ってきます。愛する人びとの心根が、激痛としてこの地球星の裏側にまで届いているのに、ただ文をしたためる以外にどうすることもない。そしてなにも変わらないどころか、事態はますます深刻になっていくのはわかっていながら、そこに住んでいる多くの人びとはそのことを忘れよう忘れようとしているようにもみえてしまいます。人類と放射性物質の戦いはこれからであり、一刻も早く『脱原発』の地球に近づけなければなりません。正確には核兵器に執着し、放射能を無視しようとする気の狂った魑魅魍魎との戦いです。 茨木 のり子 宇宙の漆黒の闇のなかを ひっそりまわる水の星 まわりには仲間もなく親戚もなく まるで孤独な星なんだ 生まれてこのかた なにに一番驚いたかと言えば 水一滴もこぼさずに廻る地球を 外からパチリと写した一枚の写真 こういうところに棲んでいましたか これを見なかった昔のひととは 線引きできるほどの意識の差が出てくる筈なのに みんなわりあいぼんやりとしている 太陽からの距離がほどほどで それで水がたっぷりと渦まくのであるらしい 中は火の玉だっていうのに ありえない不思議 蒼い星 すさまじい洪水の記憶が残り ノアの箱舟の伝説が生まれたのだろうけれど 善良な者たちだけが選ばれて積まれた船であったのに 子子孫孫のていたらくを見れば この言い伝えもいたって怪しい 軌道を逸れることもなく いまだ死の星にもならず いのちの豊饒を抱えながら どこかさびしげな 水の星 極小の一分子でもある人間が ゆえなくさびしいのもあたりまえで あたりまえすぎることは言わないほうがいいのでしょう (2017年3.11の記念日が近づく日に) 朗読の後半部(いいところが)少し割愛されています。 今年も3月になり、ひとむかし前なら娘のひな飾りを出しはじめるころに、3.11 からほぼ1年後の2012年2月に出版された『それでも三月は、また』(講談社)を紐解いています。震災から1年のあいだに作家たちが感じた深い思いを封じ込めた創作集ですが、谷川俊太郎、川上弘美などの秀作のなか、敬愛する多和田葉子の『不死の鳥』という短編フィクションが異彩を放っています。 以下部分引用: 多和田葉子『不死の鳥』抜粋 ◆ 福島で事故があった年にすべての原発のスイッチを切るべきだったのだ。すぐまた大きな地震が来ると分かっていたのに、どうしてぐずぐずしていたのだろう。マスコミが、「フクシマの恐怖は終った」と主張しはじめた2013年の初春、わたしは京都に1週間滞在していた。大地震からちょうど2年経った日に生放送で天皇陛下のお話があるということで、ホテルの休憩室のテレビの前には従業員や泊まり客が群がり、落ちつかない表情で放送を待っていた。 ◆ ところがそのあとに現れたのは予想していた御顔ではなく、黒い覆面をした男だった。画面ががたがたっと揺れた。「すべての原子力発電所のスイッチを直ちに切りなさい。これが陛下のお言葉です」と言った。聴衆は凍りついた。覆面の男はやさしい声で「みなさん、心配はいりません。これは誘拐事件ではありません。わたしは今日ここで語られるはずだった方とは大変近い関係にある者です。そしてこれはわたくしたち全員の気持ちです」と付け加えた。覆面を通して感じられる頬と顎の線にはひな人形を思わせる何かがあった。 ◆ それから、また驚くべきことが起こった。内閣総理大臣が突然NHKの「みんなのうた」に現れて、どういう歌を歌うのかと思っていると、「来月、すべての原発の運行を永久に停止します」と叫んだのである。鷹のなかの鷹と言われてきた彼の変貌ぶりに、鷹も鳩もみんな、あいた口がふさがらなかった。なだめすかしても、脅しても、霊にでも取り憑かれたように原発反対を言い張るので、同僚たちは、特注のフグ料理を食べさせようとしたり、背中にタトゥーのある男たちを自宅に送りつけたり、レーザー光線で父親の幽霊を寝室に出現させ説得させたり、いろいろな手を尽くしたが無駄だった。それからしばらくして総理大臣はこの世から姿を消した。ふつうなら暗殺のニュースが流れるはずなのに、マスコミはなぜか「拉致」という言葉を使った。 ◆ 総理が姿を消してから、混乱期を経て、2015年、日本政府は民営化され、Zグループと名乗る一団が株を買い占めて政府を会社として運営し始めた。テレビ局も乗っ取られ、義務教育はなくなった。そのへんまではベルリンに住むわたしにもインターネットニュースや友達からのメールで詳しく情報が摑めたのだが、やがて日本では、インターネットが使えなくなったようだった。日本へは電話もかけられないし、手紙を出しても「日本への郵便は扱っておりません」というドイツ郵便局のスタンプを押されて、すぐに戻ってきてしまう。また、日本に着陸すると、放射性物質が機体に付着するという研究結果をあるドイツの原子物理学者が発表してから、飛行機も日本には飛ばなくなった。 ◆ そして、2017年に太平洋大地震が起こったのだがそれも衛星カメラのとらえた恐ろしい映像から判断するしかない…(引用以上) ● 金魚:前半は反原発派にとって、とてもポジティヴで痛快な物語ですが、ネタバレになるので後半数ページの引用を避けます。まことに見事なほら話で、現代日本を痛烈に風刺していますが、決して笑い飛ばせない、というか、現実というものの意味をさらにラディカルに考えさせられます。なにより、小説の方が現実で、現実の首相/政府の為政(と言うのかなぁ?)東電のもの言い、の方がまさにマンガのように思えてきます。マンガにはまり込んだ日本。マンガのなかのペラペラの二次元人格=日本人。 ぜひお読みいただきたいと思います。 西海岸に流れ着いた放射能で、肌の色がこんなに変わっちゃった。『差別』しないで! 福島原発事故とさまざまな生物への放射能汚染の因果関係を、決して認めようとしない日本政府に、カナダのブリティッシュ・コロンビア州からの痛烈な告発です。真っ赤に染まって泳いでいるサーモンたちは、フクシマ原発の爆発による放射能汚染であると証明しています。ヴィクトリア大学のリサーチャーはこれらのサーモンの汚染調査結果にショックを受けています。サーモンのアタマだけが海底に同化した保護色というのも不気味ですね。そして米大陸西海岸全域にも、フクシマからの深刻なセシウム123の海水汚染も見つかりました。(Reflection of Mind・2017年2月3日)◆ 自己弁護するんじゃないけど、金魚の肌の色とは明らかにちがいますね。 ここからは、2年前、2015年の今日まとめた『原発0(ゼロ)のためのポートフォリオ』を抜粋し、追加稿を加えて少し編集しました。いまだに寸分たがわぬことを告発しても色褪せないどころか、さらに後退してしまった日本の終末的状況が浮き彫りになります。いったい日本政府と東電、そして多くの国民の方々は何を考えて生きていらっしゃるのでしょうか。民族集団自殺願望? 汚染がはじまってから6年のここに至って、地球星汚染の元凶、日本と日本人の全員を、もちろんアメリカに住んでのほほんとしている自分自身をも含めて、激しく弾劾します! 下線つき緑色タイトルをクリックしていただければ、各記事に飛びます。 去勢された萎縮日本と巨大アメリカ—あるいは原子炉建屋とポップアート デンキを模し、クルマを模し、ヒコーキを、TVを、原子力を、コンピューターを模した他の国々は、その空洞というシロモノさえ模さねばならぬことになる。グローバリズム経済とはそういうことである。特に日本はアメリカの指示通りにしか動けない萎縮した国家となってしまったから、そういった負の空洞の輸入超過現象が起こる。津波による原発事故はそういった負の空洞の一例にすぎない。あまりにも大きな一例ではあるが。しかしながら危険な原発事故は、津波などなくてもさまざまな要因ですぐに勃発する。昨年一年でも米政府が発表しなかった数件の危機が、アメリカ国内の原発で起きている。対米テロを本気で考えている集団には、原発は格好の標的である。9-11の直後から、当然のように市民のあいだでささやかれていたこの問題は、いまや「空洞」として表面化している。オキュパイの運動と連動して、各地で脱原発のための真剣な市民運動がはじまっている。 http://nyckingyo.exblog.jp/15715788/(2012年4月) 密猟者が 発電所跡で秘宝を観つけた チェルノブイリとフクシマのための預言の書 ソ連の鬼才・タルコフスキーがチェルノブイリ原発事故の6年もまえの1979年、その預言の書のように創った映画「ストーカー」について、あえてこの時期に書く必然を感じた。(ストーカー Stalker は厳密には「狩猟管理人」あるいは「密猟案内人」と訳されるべきだが、映画のイメージから、より明快な熟語である「密猟者」と意訳してみた。)もともとこの草稿は、3-11よりずいぶん以前の2010年元旦にスタートした、シリーズ・エッセイ「ソラリスの海に泳ぐイカ」の一部として書きはじめたものだ。津波による福島の原発事故が起こったとき、いままで、タルコフスキー映画のなかでこの「発電所跡」の映画と、核戦争の恐怖をテーマにした遺作「サクリファイス」だけについてなぜか何も書いていないことに、妙な符合を感じてしまった。 密猟者は魔女のささやきを聴く。「そして大きな地震があった。太陽は、髪の毛で編まれた喪服のように真っ黒になり、月は血のように赤く燃えた。空の星々はすべて大地に堕ちてきた。まるでいちじくの樹が強風に揺らされたとき、まだ熟れていないいちじくの実を落とすように。」 「そして空は巻物が巻き込まれたときのようにばらばらに割れ、すべての山々と島々はその場所を離れていった。地球の王、偉大なる者、富める者、屈強なる者、そしてすべての自由なる者も、山の岩のあいだの洞穴に自らを隠した。そしてかれらはその山と岩に向かって叫ぶ。『われわれのところに堕ちてこい!王座に座る者の存在と子羊の憤怒からわれわれを隠してくれ。』だが、だれがそこに立ってなどいられるものか? アハハハハ、ハハハハハ!」 http://nyckingyo.exblog.jp/15986961/(2012年6月) 列島はほんとうに洪水から目醒めるのか キーン先生と「洪水」のことを考える この年末の日本語放送は、太平洋戦争をテーマにした番組が目白押しだった。この歴史的大戦争の原因を解明し、強い反省とともに未来を考えることは貴重ではある。だが、東日本大震災の津波が誘因で起こった史上最大の人災、福島第一原発事故が、現実にその列島をより深い戦時体制にしている。このたびの国民の敵は、外にある敵国などではなく、自分たちの国家そのものであることが明快である。このことも実は太平洋戦争時と同じ構図なのだが、国民のほとんどはその認識を限りなく遅延させている。国家の誘導により意識的に遅延させるそのことも、70年前とまったく同じである。やがて取り返しのつかない事態が起こり、チェルノブイリをかかえたソ連邦のように国は滅びるのではないかと、本気で危惧しはじめる。自分たちの未来である子どもたちから放射能に蝕まれる。その切羽詰まった状況から国民の目をそらしつづける国家など、存在そのものが害ではないだろうか。 上に掲げた瀬戸内寂聴氏とキーン先生の中尊寺対談のつづき: キーン:(中略)私は1950年5月、芭蕉の「おくのほそ道」をたどる旅に出て、中尊寺の金色堂で須弥壇のまえに立ったとき、全身が震えるほどの「美」に打たれた。あんな体験は他にありません。西洋美術の神々とちがって、ここの仏像には私たちに大いに関心がある様子でした。 瀬戸内:今日、金色堂の仏様にお会いしたら、何だか微笑されていましたよ。 キーン:藤原氏が滅んで約500年後に平泉を訪ねた芭蕉は、高館で「夏草や兵どもが夢の跡」と詠んでいる。 もっと重要なのは多賀城で奈良時代の石碑を見たときの文。「山崩(くずれ)川流て道あらたまり、石は埋(うずもれ)て土にかくれ、木は老て若木にかはれば、時移り代変じて、其跡たしかならぬことのみを、爰(ここ)に至りて疑なき千歳(せんさい)の記念(かたみ)、いま眼前に古人の心を閲(けみ)す」。山が崩れ、川の流れが変わろうと、人間の言葉は残る。芭蕉はそう言い当てた。最も感動的な場面です。」(金魚注:池澤夏樹氏との新春対談では、杜甫の「国破れて山河あり」を挙げて、芭蕉との対比をより鮮明にされている。)http://nyckingyo.exblog.jp/15206360/(2011年12月) 洪水からの目醒め(5)ドイツ「緑の意識」を逆引きする かくして「まっぷたつの子爵」の物語とほとんど似たような筋書きで、1989年、ベルリンの壁は崩壊し、東西ドイツは再融合した。東欧の民主化革命に呼応しての反応だったが、それらの革命の遠因が、チェルノブイリ原発の事故によるソ連の極端な国力の低下にあることは興味深い。 それでも国土を完膚なきまでに刻まれたドイツの人びとが、冷戦時代の分裂の痛みを簡単に忘れるはずもなく、フクシマの現実を観て「脱原発」に立ちあがった。 原発事故直後から、そのフクシマを体内に抱え持ち、似たような歴史を持つ極東の国になぜおなじ行動がとれないか、を論ずるひとであふれたが、それから二ヵ月以上がたち、状況は刻々変わりつつある。なにより放射能という見えない敵にさらされた国民の一人ひとりのなかで、精神の分裂がはじまり、お互いの意識を「脱原発」に向けはじめた。いまのところ、ドイツのような国家の分裂こそ起こっていないが、この二ヵ月の間に、同じような意識革命が個人のなかで徐々にではあるが進んでいるという確信がある。 http://nyckingyo.exblog.jp/13660044/(2011年5月) 洪水からの目醒め(4) 太陽神の炎で遊ぶこと この稿はフクシマの事故からちょうど2ヵ月後の、2011年5月11日に脱稿しています。 レイ・ブラッドベリの「太陽の黄金(きん)の林檎」は、冷えきってしまった地球を救うために、人類はなんと母星太陽のなかに飛び込み、その核融合反応している「炎」の一部を奪いとり、地球に持ち帰ろうとする宇宙船を描いたショート・ファンタジーである。この物語の表題はW・B・イェイツの「さまようイーンガスの歌」のなかの一節に基づいている。 宇宙船が太陽に近づくとともに外宇宙の温度は7000度まで急上昇し、太陽がすべてを焼き払う。一等航宙士の防護服が裂け、かれの酸素が、かれの命が、まっしろな水蒸気となって立ちのぼった。「凍死だ。」船内の低温を示すもうひとつの冷却装置の温度計は絶対零度。隊長は凍てついた死体を眺めた。「なんという冷たい皮肉だろう」と隊長は思った。高温を恐れていた男が超低温に殺されたのだ。 http://nyckingyo.exblog.jp/13562273/(2011年5月) なでしことナウシカ 精神の「腐海」を浄化する 2011年7月のサッカー女子ワールドカップ決勝戦「なでしこJapan」の雄姿と 映画「風の谷のナウシカ」の青き衣をまといて金色の野に降り立つシーンを重ね合わせました。 冒頭ナレーション:腐海一の剣士・ユパ:「また村がひとつ死んだ」「行こう、ここもじき腐海に沈む」。巨大産業文明が崩壊してから1000年。錆とセラミック片におおわれた荒れた大地に、くさった海…腐海(ふかい)と呼ばれる有毒の瘴気を発する菌類の森がひろがり 衰退した人間の生存をおびやかしていた。 いまわれわれのおかれている状況ととても似ていると感じます。物語はナウシカの生まれる1000年まえに何があったのかを説明していませんが、「腐った海」を造り出したのは人類の過剰なる欲望と、そこから派生した人類同士のばかばかしい戦いからにちがいありません。 ナウシカ:「腐海の植物の胞子を集め、地下500mからのきれいな水で育てたら、毒は消えてしまった。『土』が汚れているのよ。だれが世界をこんな風にしてしまったのでしょう。」ナウシカは涙する。 http://nyckingyo.exblog.jp/14140259/(2011年7月) 洪水からの目醒め(6)66年のあと、相似なるもの、異なるもの くり返せば、その核兵器とはすべての兵器のヒエラルキーの頂上に君臨し、もはや決して使われることのない帝王として、あらゆる戦争に睨みを効かす。抑止力というちからの権化。だが「使われない」というのは大勢の現代人の願望にすぎず、その兵器の帝王に今後どんな突発的事故や災害が起こるか、まったく予断を許さない。いやその核兵器庫や原発のうえに起こった小さな事故や災害が、人類を破滅に導くと断言した方が、より正確なのかもしれない。 現にその平和利用と称する詐欺的方法である原子力発電所のひとつ「フクイチ」は、創造主のくしゃみのような地震と津波で、いまだに全人類を滅ぼすかもしれない可能性を含んでいる。現にこの日曜日にも、創造主はおなじ東北地方にマグニチュード7.3のくしゃみをくり返し、3-11以降列島を襲った地震はゆうに千回を越えている。その千回のくしゃみの度に日本の全国民は怖れおののく。しかしながら政府は、列島にあるほかの多数の原発は、まったく根拠のないままに安全であるといいつづけ、おののきながらもそれを再稼動しようとしている。 http://nyckingyo.exblog.jp/14089940/(2011年7月) 生け贄The Sacrificeに至る道/至らぬ道—ソラリスの海に泳ぐイカ(14) フクシマから二年。またしても、さらなる重きタルコフスキーか、と映画館の椅子から腰を浮かすまえに、かれや黒澤が描いた「核の恐怖」というものを、いまこそわれわれが腹の底から再体験し、感じ、まずこころの片隅にある「核」というものを人類の一員として恥じ、捨て去る努力をする必然がある。 この地球星に、建設中のものを含めて五百基以上埋め込まれた核地雷=原子力発電所。巨大地震・津波・彗星の落下などの自然要因に加えて、カネとモノのため、人間が人間を憎みあうようにしむけさせ、醜い過剰欲望のいちばん大きな塊が、その核地雷=原発を燻らせ、また爆発させる。 この映画は、言葉を話せなかった主人公の子供 Little Man が再び言葉を取りもどすまでの1日の物語ととらえることができる。そのことはこの半世紀、マヤーク核施設の近郊や、ビキニ環礁の人びと、そしてチェルノブイリの人びとが、やはり何も語ろうとしない政府に向かって、沈黙の抗議をつづけたことにも似ている。そしてすばらしい民主的法治国家だと信じていた日本のフクシマからの汚染に対しても、政府はただひたすら黙してそれをなかったことのように振るまい、他の原発の再稼動、新設までを公言している。選択の不可能性を考慮に入れても、このような反動政府を選んだ国民の過半数は、確実に気が狂っているとしか思えない。 東日本の人びと全員が上げるうめきにも似た声すらも、マスコミと政府に無視されつづけている。もの言わぬ松の樹が死してモニュメントとなってのち、ほんとうにわれわれに何かを語りかけてくれるのだろうか。われわれが再びはっきりとした言葉を取りもどすまでに、いったいどれほどの時間が必要なのだろうか。枯れた松の木に毎日水を注ぎ、祈ることこそが、いまはまだ充分な言葉を持たないわれわれの魂をサクリファイスに至らせない唯一の道のように思えてならない。 http://nyckingyo2.exblog.jp/18347124/(2013年10月) 走って逃げよう! 原発から あるいはエディソンのデンキ煉獄からの脱出 + フクシマ=NY セミナー NY/フクシマ・セミナーリポート: ◆ グレゴリー・ヤツコ:「米国のインディペンデント組織の試算では、福島第一原発事故の被害額は最低限で5千億ドル(50兆円強)に上る。明日か十年後か三十年後、原発事故はどこかで必ずまた起こる。福島の事故は日本の問題だけではなく、アメリカの、世界の問題です。」 ◆ アーニー・ガンダーソン:「40 Good Years and One Bad Day」という講演タイトル。上記赤字で記載したが「NRCのいう百万年に一度以下のメルトダウン事故は、過去35年間に5つ起きた。先月末に稼動ライセンスの切れたインディアン・ポイントの古い原発の状況は、事故時の福島第一よりうんと悪い。おまけに東京は福島の120マイル先にあるが、NYCは原発からたった25マイルしか離れていない。」 ◆ ラルフ・ネーダー:「原発は、ただお湯を沸かすというひとつの目的のために原子力を使うというギャンブル。それはまるでロシアン・ルーレットだ。ハーバードを中心とするギルド複合体が作った、不必要で、不経済で、避難も撤去できない、危険で、非民主的なものである。」 そして現代では、世界の大都市に住む何千万、何億という浮沈子が上下運動をくり返すことになった。コルビュジェの時代には不可能だった透明のハコでできた高層高速エレヴェーターに乗り、地上を歩く人びととの急速な別離、急速な接近を実感できるようになった。地上を這いつくばるアリたちを見ている浮沈子としての優越感は、一瞬後の着地の瞬間に消え、すぐに自分もそのアリの仲間入りをして地面を這いつくばるはめになる。地上を歩きつづけている人びとから見れば、透明高速エレヴェーターのなかの人はそれこそまったく浮き沈みする人形=浮沈子であり、一瞬たりともホンモノの人間とは信じがたい。おたがいに人間としての魂のありようを忘れ、機械の部品となり、資本家の手先になり、かれらのために剰余価値を掘りつづける。デンキ的欲望のみが資本家とおなじくらい膨張してしまった自分にも気づこうとしない。 http://nyckingyo2.exblog.jp/19837638/(2013年10月) 愛は世界を動かす大きなエンジン(1) 春樹=アレクシエーヴィチ=春樹 たとえば2011年3月の福島原発事故ですが、その報道を追ってみると、これは根本的には日本の社会システムそのものによってもたらされた必然的災害(人災)なんじゃないかという暗澹たる思いにとらわれることになります。おそらくみなさんもおおむねおなじような思いを抱いておられるのではないでしょうか。 原子力発電のために、数万の人々が住み慣れた故郷を追われ、そこに帰るめどさえたたないという立場に追い込まれています。本当に胸の痛むことです。そのような状況をもたらしたものは、直接的に見れば、通常の想定を超えた自然災害であり、いくつかの重なった不運な偶然です。しかしそれがこのような致命的な悲劇の段階にまで押し進められたのは、僕が思うに現行システムの抱える構造的な欠陥のためであり、それが生みだした〈ひずみ〉のためです。システム内における責任の不在であり、判断能力の欠落です。他人の痛みを「想定」することのない、想像力を失った悪しき効率性です。 (春樹『職業としての小説家』より) なにかが起きた。でも私たちはそのことを考える方法も、よく似たできごとも、体験も持たない。私たちの視力も聴力もそれについていけない、私たちの語彙ですら役に立たない。私たちの内なる器官すべて、それは見たり聞いたり触れたりするようにできている。そのどれもが不可能。なにかを理解するためには、人は自分自身の枠からでなくてはなりません。 感覚の新しい歴史がはじまったのです。 (アレクシエーヴィチ『チェルノブイリの祈り』より) http://nyckingyo2.exblog.jp/22778497/(2016年1月)
by nyckingyo2
| 2017-03-05 09:04
| 続・洪水からの目醒め
|
ファン申請 |
||