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フクシマの原発事故は、根本的には(経済効率一辺倒の)日本の社会システム(=教育システムの矛盾)そのものによってもたらされた必然的災害(人災)なんじゃないかという暗澹たる思いにとらわれることになります。=村上春樹の新刊エッセイ「職業としての小説家」より (後半紫色文字部分参照)
村上春樹が2011年、3-11の大震災の3ヵ月後に、スペインからの独立運動の激しいカタルーニャで行なったインタヴューから読みなおしています。 「これからの十年は再び理想主義の十年になるべきです」というタイトルから、その年の春からほぼ5年となる今は、理想主義の真っ只中であるはずです。が、アベがアメリカとの戦争共闘法案をむりやり通したことで、僕たちのもっている理想憲法も風前の灯となり、いまは理想とは真逆の位置にいることになったようです。 インタヴューの終るころ、村上さんは自分が大学に入った1968年という年を挙げて、この理想主義の時代を述懐しています。 村上:当時は革命の時代でした。その頃の若者たちはたいへん理想主義で政治的でした。でもそうした時代は過ぎ去りました。もはや人びとは理想主義に対する興味を失い、利益を得ることに熱心です。日本の原子力発電所の問題は、理想主義の欠如の問題です。これからの十年は、再び理想主義の時代であるべきだと僕は思います。僕たちは新しい価値体系を築きあげる必要があります。 1968年や1969年には、人びとは「平和と愛」を謳っていました。僕たちは再び「平和と愛の時代」を迎えるべきなのかもしれません。そうすれば楽観的になることも少し容易になるでしょう。いま現在の状況では簡単なことではないでしょうが、乗り切るためには必要なことです。資本主義はいまターニング・ポイントにさしかかっています。僕たちはヒューマニズムの復興を模索しなければなりません。効率や利便性を追求することは容易ですが、ときに僕たちは険しい道を進まなければなりません。僕がいま感じているのはそんなことで、僕たちはもう一度このことを考えるべきだと思います。こんなことを言うと照れますね!(笑)でも僕はこれからも、とても暗く、奇妙で、残酷で、あるときには血なまぐさい物語を書いていくと思います。僕は理想主義で楽観的で、愛を信じてはいますが。 このインタヴューは、両者母国語でない英語で行なわれていて、読者にはその少しのぎこちなさもおもしろいのですが、日本語に訳すと村上さんはやたらに照れている感じで、こういうやり取りもあります。 村上:あなたは愛を信じていなくちゃならない。それは良い物語のコアにあるものです。やっぱり照れますね。こういうことを言うのは。 —マリア・F・ノゲラ (interviewer):言わなくてもかまいませんよ。 村上:そうですね。たとえ恥ずかしくても、やはりあなたは愛を信じなくてはならない。歌のタイトルみたいに。 —マリア・ノゲラ:そうですね。愛は世界を動かす大きなエンジンですからね。 このマリアさんの発言をそのままこの稿のタイトルにしました。 思えば人類は、新自由主義という資本主義の末期的症状のゆえに「世界を動かすエンジンの選択」をまちがいつづけているような気がします。ボタンをひとつ掛けまちがえば、すべてのボタンを永遠に掛けまちがいつづけるようにね。 カタルーニャでの、ふたりのインタヴューをつづけます。 村上:そのとおりですね。物語が、ハッピーエンディングであろうとなかろうと、主人公が愛を信じていればそれは楽観的な物語です。それが暗いものであるかどうかは関係ありません。 —マリア・ノゲラ:そうすると、たとえ(この2011年の東日本大震災で)日本が甚大な被害に見舞われたとしても、もし私たちが愛を信じていれば、私たちは前に進むことができる、と言えそうでしょうか。 村上:そうですね。それは重要なことです。楽観的でいることは、ときにとても難しいことです。でもよい物語は、誰のなかにも前向きな思いを呼び起こすはずです。よい物語というのは、人の心を鼓舞し、喚起し、揺さぶり、そして愛がとても重要なものであることを信じさせるはずです。『1Q84』は僕の最新作で、とても長く、ものごとが複雑に絡み合った、暗くて残酷な物語ですが、中心にあるのは愛です。もしあなたが誰かを愛していれば、あなたが暗闇を抜ける助けになります。シンプルすぎることですが。 (村上春樹インタヴュー集「夢を見るために毎朝僕は目醒めるのです」に収録・2011年) 1714年にスペインに武力で占領されて以来、カタルーニャは激しい独立運動をつづけてきました。カタルーニャ人にとって、自分たちの言葉と文化を取りもどすための、スペインからの分離・独立は、大きな「理想」でありつづけています。ことし9月には、バルセロナで、分離独立を求めるデモに140万人が歩きました。よくみると、人びとの衣装が、カタルーニャ独立支持旗の青・黄・赤に塗り分けられています。総人口750万のうちの140万だからすごいことですね。 日本の戦争法制反対の国会前デモもこれぐらいになってたらなぁ。 2015年11月9日、カタルーニャ自治州議会は17年までに州独立を目指す決議を賛成多数で採択。スペイン政府は独立を断固阻止する構えで、憲法裁判所に決議の無効を訴える方針。12月20日のスペイン総選挙では、中央政府と自治州がはげしい対立をくりかえしました。言語も文化も取り上げられて300年、それほどの苦悩からはじめてホンモノの理想主義が生まれるのでしょうか。 一方、分離をせまられているスペインの方は、12月20日の総選挙で結党わずか2年、新左派政党ポデモス(I canの意味)が、初参加でなんと69議席を獲得しました。長年の二大政党制を崩したのは、党首のパブロ・イグレシアスと必死の草の根運動をつづけた若者たちでした。ポデモスは「Catalunya Si que es Pot・できるのだ!カタルーニャ」という会派 を作り上げ、独立派にも接近しています。今後の「物語」が楽しみです。 2011年にポデモスが結党される以前、金融権力に逆らえない二大政党への不満が表面化したのが、統一地方選挙投票日を1週間後に控えた2011年5月の「インディグナドゥス(怒れる者たち)運動」。この運動がその半年後に、ニューヨークの「オキュパイ・ウォール街」をはじめ、世界各地での占拠運動の先駆けとなりました。こちらも若者たちの理想主義が、本格的にはじまりつつあり、日本の末期的政治状況とくらべると、まことにうらやましいかぎりです。 さてこの村上春樹のカタルーニャでのインタヴューは2011年、カタルーニャ国際賞授賞式での有名な受賞スピーチ(日本語)の翌日に行なわれたものです。スピーチのヴィデオは、引用文のあとにリンクしてありますが、このスピーチは「福島の原発事故」をメインテーマにしています。それからまた5年が過ぎようとしているいま、スピーチの基本的な言葉を抜粋して、この問題を当初から見なおしてみます。 村上春樹・カタルーニャ国際賞授賞式での受賞スピーチ・抜粋(前半最後部から) どうしてこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因は明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことがあり、安全基準の見直しが求められていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。どうしてかというと、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。 また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するはずの政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節があります。 ここからは終戦直前、日本が世界唯一の原爆被爆国になってしまった後の話。 広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」素晴らしい言葉です。われわれは被害者であると同時に、加害者でもあるということをそれは意味しています。核という圧倒的な力の脅威の前では、私たちは全員が被害者ですし、そのちからを引きだしたという点においては、またそのちからの行使を防げなかったという点においては、私たちはすべて加害者でもあります。 今回の福島の原子力発電所の事故は、われわれ日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害です。しかし今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。私たち日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、自らの国土を穢し、自らの生活を破壊しているのです。 どうしてそんなことになったのでしょう? 戦後長いあいだ日本人が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?われわれが一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう? 答えは簡単です。「効率」です。Efficiencyです。 原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を抱き、原子力発電を国の政策として推し進めてきました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。 そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが、原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、この地震の多い、狭く混み合った日本が、世界で三番目に原子炉の多い国になっていたのです。 まず既成事実がつくられました。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」「夏場にエアコンが使えなくてもいいんですね」という脅しが向けられます。原発に疑問を呈する人々には「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。 そのようにして私たちはここにいます。安全で効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けたような惨状を呈しています。原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な便宜に過ぎなかったのです。それを彼らは現実という言葉に置き替え、論理をすり替えていたのです。それは日本が長年にわたって誇って来た技術力神話の崩壊であると同時に、そのようなすり替えを許して来た私たち日本人の倫理と規範の敗北でもありました。 「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」私たちはもう一度その言葉を心に刻み込まなくてはなりません。 私たち日本人は、核に対するNO! を叫びつづけるべきだった。それがぼくの個人的な意見です。私たちは技術力を総動員し、叡智を結集し、社会資本をつぎ込み、原子力発電に替わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する私たちの集合的責任の取り方となったはずです。それはまたわれわれ日本人が、世界に真に貢献できる大きな機会となったはずです。 しかし急速な経済発展の途上での途上で「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を私たちは見失ってしまいました。 壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人たちの仕事となります。しかし、損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは私たち全員の仕事となります。それはそれは素朴で黙々とした忍耐力を必要とした作業になるはずです。 晴れた春の朝、ひとつの村の人々がそろって畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなが力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。その大がかりな集合作業には、言葉を専門とするわれわれ職業的作家たちが、進んで関われる部分があるはずです。それは私たち全員が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き唄のように、人を励ます律動をもつ物語であるはずです。 Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2016-01-15 14:24
| 愛は世界を動かす大きなエンジン
#
by nyckingyo2
| 2016-01-01 12:59
イマジン・サークルでのヴィデオ撮影:金魚 Dec.08/2015 5pm−7pm I am the Walrus 米時間12月7日の真珠湾記念日と8日のジョンの命日で、金魚は大忙し。 8日のストロベリー・フィールズはかなり温かかったので、いつもの倍ぐらいのおおぜいのセイウチ(Walrus) たちがストロベリー・フィールズに集まってきました。 アウ!アウ!アウ! かれらの雄姿を撮ろうと、TVニュースの撮影車まで入り込んで、大にぎわい。ひときわヤセ型セイウチの金魚は、ことし i-phone video という新メディアを携え、意気揚々とイマジン・サークルの最前線に割り込みました。i-phoneメモリーがすぐなくなってしまうので、それぞれを全曲撮らずに2分ほどのヴィデオにまとめました。初冬の宵にマンハッタン島の真ん中でぎゅうぎゅう詰めになり、身動きがとれなくなった老若男女セイウチたちの押しくらまんじゅうを体感してください。 Revolution いま思い出すと、この曲だけでなくビートルズとジョンの生きざまのすべてが「革命」だったと感じます。かれらの存在そのものが、60年代のアメリカのサブカルチャーの急変と同調して進行するわけですが、同世代の僕らが驚きつづけ、激しく変化しつづけてしまう強力な「革命性」がありました。「ビートルズというグループがドイツでブームになっている」という小さな新聞記事が出たとたん、京都のいなかにいた僕たち画学生のアタマは、大半がマッシュルーム・カットに変わりました。ジョンとポールの創る、まるで『リヴァプール弁』のような不思議な抑揚と和音。グループが解散したあとも、ジョンは人びとのアタマの中に『平和意識』という革命を強力に注入しました。そしていま天国に行ってしまったジョンからも、みんなの平和革命をリードする、新しいメッセージが届きつづけています。 Woman 男も女も、ジョンが創った女性性の歌を歌います。汲めども汲めども、尽きることなく清く澄んだ水があふれ出ずる、谷間にある豊潤の泉のように、われわれのなかの「女性」は、より豊かになるための創造を限りなくつづけます。20世紀の終りにアクエリアスの時代に突入した人類は、これからの5千年紀を母権制の世界ですごすといわれています。アクエリアスの星の下に生まれた平和主義者、オノ・ヨーコさんは、その筆頭を奔る「女性」でしょう。ことしの夏は、かの女のMoMAでの大回顧展があり、自ら創られた映画の講演会で、2度お会いするチャンスがありました。ひとことも言葉を交わしたわけではないのに、七瀬のように鋭いテレパシー能力でこちらのアタマの中を読まれている感覚でした。僕が強く独白したときは、アタマをこちらに傾げて(日本語で!)答えていただきました。すばらしく流暢な英語で、東洋を、日本を、そして平和を、深く語り広めていくかの女に、あらためて敬意を表します。そして昨年(14年)の英グラスゴーでのコンサート。その魂の奥からの叫びは、まったく高齢を感じさせない、エネルギーの塊で、感動しました。MoMAでの回顧展の写真がたくさん集まったので、機会を見て発表します。 この11月から、はじめて北京での個展。「日本人と中国人はともに、非常に知性的だ。その知性を相手と戦うことに使うのではなく、協力するほうがいい」 「私は世界が戦争を望んでいるとは思わない」「しかしかれら(好戦的な為政者)は私たちが常に戦っていることを望んでいる。私たちは弱い。かれらが私たちをだまそうとしていることを知らなくてはならない」「戦争より愛を!」と話されました。 I want to hold your hand 金魚もダンスしながら、歌いながら撮ってます。映像がゆれているのはそのせいです。はじめて好きなひとと手を握ったときのこと、なんともいえない幸せ感に包まれました。あれが恋のはじまりだった、隠せない、隠せない!とかぶと虫たちは歌います。 だんだんヴィデオ撮るのがめんどくさくなってきちゃった! 横のカワイコちゃんの手を握っちゃおかな?「いやいや、すでにここにいるみんなと硬く手を繋いでいるんだよ」天空の向う、枯れ枝のそのまた先から、ジョンが話しかけてきました。そのとおり、そしてそのジョンともしっかり手を繋いでいるんですね。わかってもらえるかなぁ。 I wanna hold your hand And when I touch you I feel happy inside It's such a feeling that my love I can't hide, I can't hide, I can't hide Yeah, you got that something I think you'll understand When I say that something I wanna hold your hand I wanna hold your hand I wanna hold your hand Day Tripper このDay Tripperで歌われている「日帰りの女」「一日こっきりの女」とは、きっと現代日本における「アベ一族」のようなものだと思っています。世界に対して破廉恥で、ウソばかりつき、日本の国民を戦争の真っ只中に陥れる。そんな悪女にいつまでもふり回されていてどうするんですか! かれらが入れあげているのはどうやら僕の住んでいるこの好戦国家のようですが「つきあい方にも工夫しなきゃ。戦争にまでつきあうなんて!」と天国のジョンはまるでお父さんのように心配しています。世界が見ている日本のイメージはがた落ち、というか、一日で逃げ去る性悪女=アベのせいで、日本という男の子は一生を棒に振ってしまいそうです。一刻も早く「アベ一族」とお別れしましょう。 一日こっきりの片道切符の恋ではなく、いつまでもみんなが泳ぎ、みんなが飛びつづけられますように、こころから歌いました。 One way ticket, yeah It took me so long to find out And I found out Ah, ah, ah, ah, ah, ah Day tripper, day tripper, yeah Day tripper, day tripper, yeah Day tripper 思い切り飛びながら、このDay Tripperの曲が終わった時点で、無事 i-phone のメモリーが終了しました。ああよかった、もう撮らなくてすみます。このあと金魚は、思う存分歌い、思う存分踊ります。激しく歌い、激しく踊りました。金魚が歌うとみんなが泳ぐのです。金魚が踊るとみんながもっと飛びはねるのです。みんながそのように思える相互作用。このジョイント、12月8日のストロベリー・フィールズには、毎年ジョンのそのような大きなちからがはたらいています。来年の今夜こそ、皆さまとお会いできることを、こころから。 —金魚でした。 【レイキャヴィーク発】2ヵ月前の10月9日、ジョンの生誕75年を祝ってアイスランド・ヴィーズエイ島に世界平和の実現を願うオノ・ヨーコのモニュメント「イマジン・ピース・タワー」ができました。平和の光は毎年12月8日までと、年の変わる大晦日に点灯されます。 ストロベリー・リポート/バックナンバー: ストロベリー・リポート'14 目醒めるということ「いま」平和を望めば「いま」平和は得られる ストロベリー・リポート 2013 Stand by Me in the Snow ストロベリー・リポート 2012 ストロベリー・リポート 2010 パワー・トゥ・ザ・ピープル ストロベリー・リポート 2009 Strawberry Fields Forever! #
by nyckingyo2
| 2015-12-11 11:13
| 浮遊的散文詩歌
いかにもか細く権威のなさそうな月の夜 研ぎ澄まされた長剣のような イスラームのシンボル・赤新月の夜 13日の金曜の 月の夜 パリで無差別同時テロが起きた オランドは何度も「これは戦争だ」叫ぶ 確かにこれは無差別殺戮という ひどい戦争にはちがいないが もともとそのシリアでの戦争を仕掛けたの いったいだれだったのか コンサート会場を襲った襲撃犯のひとりは 銃を撃ちながらシリアやイラクのことをフランス語で叫んでいたという 「フランスはシリアに関わるな!」 「シリアでなにが起きているのか知っているのか!」 目撃者には かれがフランスで生まれ育った青年に見えた 第一次中東戦争・パレスチナ戦争からレバノン・湾岸 イラクそしてシリアへと 中東に住む者たちにはこの70年以上 戦争が常態であった さらに十字軍vsイスラーム教国とオスマン帝国の歴史を追えば 中東とヨーロッパのあいだには なんと1000年も常態戦争がつづいていることになる 現に今回パリのテロがあった11月13日は ほぼ一世紀まえの1918年 英仏連合軍がオスマン帝国のイスタンブールを制圧した日だった 聖戦を掲げるイスラームにとっての 屈辱の日・復讐の日 テロという戦争から一夜が明け NYC ヴィレッジのワシントンスクエア・パークにも 千人以上のフランス系アメリカ人が集まり慰霊セレモニー 千の魂の深い悲しみが押し寄せ 決してテロリストたちを許せない気持ちが伝播していく だがしかし 晩秋の黄葉のもと 少年たちの歌う「ラ・マルセイエーズ」に聞き耳を立てると テロという戦争が 新たな世代の憎しみを増幅し かれらを新たな戦争に 掻き立てているように捉えてしまう パリの事件の前日 たった一日前のベイルートでの連続自爆攻撃は 欧米のメディアにも隠されていた 僕が気がついたのもパリの事件のあと ベイルートでは200人以上が負傷 44人が死亡した パリと同じくIS (イスラーム国) の犯行声明がでているのに 欧米は反応しない 紛争地帯ではこの規模の惨劇は日常茶飯事だということか ヨーロッパでは ただひたすらパリでの惨劇を 自国や同盟国の悲惨のみを 書きたてる そして またあの復讐のための攻撃と破壊がくり返されるのだ パリのテロから2日後の15日 オランドはシリア北部ラッカへの空爆を再開した 9月からはじまった空爆の最大規模のもの すぐに10月の旅客機爆破墜落への報復でロシアが復帰 / 参戦 やがてアメリカも含めてラッカやモスルへ空爆が激化する たとえISの拠点を殲滅できたとしても テロは決してなくならない 新しい組織が新しい方法で増殖し 憎しみと絶望を増幅し 世界はますます渾沌となる 戦争法案を通した日本も 免れなくその渾沌のなかへとのめり込む この街=NYCの渾沌は 世界の渾沌のメタファーである イスラーム国 (IS) は 次の標的はワシントンDCだと脅しをかけてきたが なに いちばんの標的は この世界一の渾沌を代表する街NYCにちがいない Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2015-11-24 12:24
| 続・多層金魚の戦争夢
この投稿は2010年3月の「エロティシズムの系譜(下)」と2009年11月の「多層金魚の戦争夢 (3)・平和憲法」を抜粋 / 合併 / 結合 / 割愛 / 編集したものです。まさに自分のなかでふたつのブログ記事が性行為しているような(?)奇妙な作業感覚でした。 たった5年前のエッセイなのに、日本国憲法を巡る平和の概念は、思い切り変化してしまいました。2015年9月に日本政府が戦争法制を強制通過させてしまったことで、私たちの理想憲法をゆがめようとする力がますますふえています。その憲法が成立した奇跡的な〈廉潔の時代〉のことを考えると、この〈精神が汚濁しきっている時代〉に改憲してしまおうという提案は、どこからでてきたものであれ、まことに浅はかに感じます。 そう、この秋の空のように「理想」はいつもとてつもなく高くあるべきです。そして私たちは〈すでに〉そんなに高い理念憲法をもっている。そんなプラウドの思いを込めて、生きものの性と戦争のことを、5年前の中沢新一氏のテキストに基づいてさらに発展させました。敗北の時代に産まれたその理念憲法の意味を、もう一度考え直したいと思います。物語は5年前の春からはじまります。 とつぜんの春の祭典 Stravinsky- Rite of Spring, Béjart ballet Sacre du Printemps 恋人たちがはしゃいでいる。水辺の鳥たちもリスも、草木や花のひとひらまでが愛を語っている。ほどなくすべての生物の花が開く。精子と卵子という特殊な生殖細胞が結合し、新しい生命の誕生が始まる。その受精が起こる瞬間、卵子は個体としての自身を守っている細胞膜の一部を、精子の受け入れができるように「開く」。オスの生体から放たれた精子は、メスの卵子にとっては明らかに「異物」であり、普段の生態系ではそんなものの侵入を許さないはずなのに、生殖という場面では、卵子は自分の免疫機構を解除して、あえてこの異物を受け入れる。人類の母体の場合は、この受入れた異物を9ヵ月ものあいだ育み、自分の体内の栄養物をも与えつづける。そこには常時の個体としてのアイデンティティーを無視した行為のようにもとることができる。この個としての異常行動が、生きものとしての必然でもある。 ジョルジュ・バタイユは著書「エロティシズム」のなかでこう語っている。 — ただ生殖の瞬間にだけ連続性があった。最初のひとつがふたつになる瞬間というものがある。むろんふたつになってしまえば、ふたつの生き物にはそれぞれに新たな非連続性が生じる。しかしその過程は、ふたつの生き物のあいだに連続性の瞬間を引き入れるのだ。最初の生き物は死ぬけれども、その死のなかに、ふたつの生き物の連続性の基本的な瞬間があらわれるのである。(J・バタイユ「エロティシズム」澁澤龍彦訳・二見書房) 生命体は普段「個」の世界に閉じこもり、自分のちからで個体性を生み出し、維持しようとする。ところが生殖の瞬間にのみ、このような「非連続性」が破壊され、将来の他の個体との「連続性」の原理があふれ出す。 — 精子と卵子は基本的な状態では非連続の存在であるが、それらがひとつに結びつくことによって、ある連続性がふたつのあいだに確立される(同書) 「非連続性」とは「戦争」やタナトスであり、「連続性」とは性や増殖への参加、さらにいえば「平和」という言葉に近づいていく。 戦争で育ったマリーナ・アブラモビッチ タイトル写真は2010年のMoMAでのマリーナ・アブラモビッチ Marina Abramoviċ の大回顧展から、Nude with Skeleton。マリーナの裸体に覆いかぶさったスケルトンが、常識的な「非連続性」と奇妙な「連続性」を生んでいる。生まれるまえから戦争に明け暮れていたユーゴスラヴィアという国で育ったマリーナのパフォーマンスには、たえず強い死の影と性(生)への深い執着がつきまとう。 Imponderable(測れない): 大きなギャラリー空間の片隅に、白人男女が全裸で向かい合って立っている。黒人のガイダンスがそのふたりのあいだの狭い空間を通り抜けてください、と促す。 すさまじい人数の観客が通り抜けていくので、僕も自然体でそうした。全裸のふたりのあいだは多く見積もっても30cm。僕は男性であるから当然女性の方を向いて、なるべく触れないように(?)通りぬけようと試みたが、それでも僕の胸と女性の乳首とが大きく接触する。その瞬間、同時にお尻が後ろの巨大な男性器とも接触することになる。 このパフォーマンスで、衣類を着ているわれわれ観客は、全裸のふたりのあいだに在ったとき、おなじ人間なのに普段より以上の「連続性」のない断絶を感じることになる。もう少し細かく分析すれば、僕は女性が大好きだから、全裸の男性にくらべて女性のほうに少し強く連続性を感じる。同性が好きなひとなら多分、全裸の同性のほうを向き、そちらにより強い連続性を感じるのではなかろうか。 全裸のふたりの関係はといえば、お互いに30cmの間隔で離れながら見つめあっている。われわれ着衣している観客と比較してしまうと、そのふたりのあいだにはかなり強い「全裸である」という「連続性」が存在しているといえる。 MoMAの大きなギャラリーが、マリーナの生まれ育った幾多の戦争体験によって占拠され、人間がいるそこここに極端な「連続性」と極端な「非連続性」が溢れかえっている。 マリーナ自身は着衣で2階大ホールに一日すわったまま、何万という観客とひとりづつにらめっこパフォーマンスをしていた。その状況はネット通信で24時間流される。ほかに、タイトル写真の「全裸と骸骨」「ちょんまげ連続性」「極小サドルだけに支えられた全裸体(写真下)」などのパフォーマンスが連日続行していた。(パフォーマーさんたち本当にごくろうさま、と思いました) このマリーナのパフォーマンスに2度目に出かけたのは、ドナルド・キーン先生とのMoMAでの初デートだった。とても楽しい思い出がある。それまで Imponderableのイヴェントは全裸の男女1カップルという原則があったのだが、キーン先生が通ろうとしたときは、かわいい美女がふたり全裸で出迎えてくれた。先生は二コニコ/スルリと通られてなんの問題もないのだが、そのあとの先生の表情が実に可愛かった。この風景はひとりでニタつく程度にしておく。キーン先生のコンセプチュアル・アートに関する洞察はすばらしい。このとき先生はこのマリーナのイヴェントが目的ではなく、六階となりのギャラリーで行なわれていた長年のご親友のドキュメンタリー・フォトグラファーの回顧展のために来館されたことを記しておく。 生殖の瞬間にのみ「非連続性」が破壊され、他の個体との「連続性」の原理があふれ出す、というバタイユの言葉は、人間の性行為に準ずるすべてにも当てはまっているように思う。その瞬間の女性の卵子がもつ許容力は、女性の精神性すべてに拡大し「女性性」と名づけられて、現代の男性の意識のなかにも深く根付いている。「愛」ということばに「エロティシズム」の原点があることには、だれも異議はないだろう。 生命と非生命を分けるのは、自分の個体性を自分で創る能力にあるという。しごく単純な単細胞生物にも、自己と非自己を見分け、自己の内部に異物が侵入してくると、免疫個体反応を起こし、その異物を自分の外に排除しようとする。人類の場合、この生命原理は無意識の内部にある言語構造によって、別のレベルにセットされているという。これらの自己保存機能は、生命の「平常態」と呼ばれる。 かたや生命の存在はそのままエロティシズムであり、個体性を壊しても「連続性」を自分のなかに引き入れようとする。バタイユは、性愛と宗教と芸術と戦争をとおして、この「エロティシズム態」が人間の生命を司るもうひとつのモードとして存在していると考えた。 この稿は、中沢新一「イカの哲学」(集英社新書)のなかの記述を参考にし、それをもとに進行させているが、そのつど僕なりの比喩と私見をつけ加えていきたいので、あえて引用のかたちを少なくする。 戦争というエロティシズム態 1万年以上前の旧石器時代の人類の洞窟壁画に、すでに人間同士が戦争をしている光景がある。あきらかではないが多分十数万年も以前から、人類は戦争をしていたのではないだろうか。そのころの戦争はあきらかに狩猟の延長として行なわれていて、狩猟は動物を殺し、戦争は人間を殺すというちがいはあれ、古代人はそのふたつをおなじ「エロティシズム態」としてとらえていたのではないか。狩猟も戦争も、さきほどまで生命に輝いていたものが死ぬ。生き残ったものは、仲間の動物や人間を殺したことで、こころに深い衝撃を抱え込む。 しかしこのような古代人の戦争は、国家というものが出現してからのちの戦争と根本的なちがいがある。古代の戦争は、敵を徹底的に殲滅するまで戦うことを慎重に回避してきたというのだ。国家以前の社会でのプリミティヴ戦争では、こころのエロティシズム態から直接生れ出て、その自分自身を滅ぼすかもしれない死と連続性の要素を引き入れて行なわれるものだったからだ。 そこではたいていの戦争が報復のために行なわれた。村民がほかの部落のものに殺されたり、レイプされたりという事件から、戦争が発生する。戦士となる青年たちは美しく着飾り、戦士の舞踏を舞う。 狩猟のときとおなじように、相手に気づかれないように、戦士たちは慎重に進んでいく。敵との遭遇が起こる。戦闘が開始される。大けがをする者もいれば、そのけががもとで死んでしまう者もでてくる。すると戦闘が止まる。もうそれ以上は戦わないのである。(中略) そうやって戦争が止むと、両方の村や部族から代表者がでて、和平交渉がはじまる。たいていの場合和平の実現は結婚による。それまで互いの間になんとなく距離があって、結婚による娘の交換のなかった集団の間に、戦争をきっかけにして、結婚が成立することも多い。戦争のエロティシズムが、性愛と生殖のエロティシズムに席を譲って、社会はもとの静けさと平和を取り戻していく。(イカの哲学・中沢新一 集英社新書 p-102) Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2015-11-02 10:56
| 天の明星を飲む
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