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全体 はてしない物語 ことばと音をコラージュする モモのいた場所、モモのいる時間 遺伝子から魂伝子へ 金魚の超饒舌ファンタジー タネたちは故郷をめざす 続・多層金魚の戦争夢 続・ソラリスの海に泳ぐイカ NYC・アート時評 NYで観た映画たち・本たち 悪魔の国からオニの国のあなたへ 続・炉心溶融した資本主義 天の明星を飲む 写真構成 NYC 続・洪水からの目醒め Roll Away! 浮遊的散文詩歌 続・街かどでOneShotからの連想 愛は世界を動かす大きなエンジン ポートフォリオ 続・小さき者とのダイアローグ マンハッタン効果 NYC Music Life エッセイらしく 小 Japón 旅そのもの記 未分類 タグ
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コロナ禍が収拾するまで(?)妻が診察のあいだ付き添いびとは病院に入れないので、半年ぶりにリオープンした、近くのメット=Metropolitan Museum をぐるりとひとまわり、飛んで来ました。 オノヨーコの “DREAM TOGETHER” バナーは降りてしまったけれど、私たちが長いロックダウンのあいだにいっしょに観たいと思っていた夢は、この建物のなかにぎっしり詰まっているはずです。メットの建物にとっては、ホントに長い夏休みだったようですね。 入口で、おでこに光線銃のような体温計ガンを撃ち込まれ、このメトロポリスのコロナ禍はまったく終っていないと実感。 リオープンしてもまだガラガラガラの館内を、こころはほとんど奔りまわるように『霊たち』とオニゴッコしてます。子どもに還ったようにたまらなく楽しい! 遊霊園地。 「キミキミ、館内を走っちゃいけないよ」とファラオの棺のようにどでかいガードのおじさん。 「マスクはどうしたの?」「あぁそうだった!」と子どもになりきっているぼくは、ソソクサますく。 ここに住むおおぜいの霊たちは、人間たちが全員マスクをつけて戻ってきたことを、どんな風に感じているのかな。 えと…そうです、ニューヨーク州のIDがあれば、以前のように25セントでも入場できま〜す。 人の数があまりにも少ないので、各彫像に憑いている『霊たち』の行動が、よっく観えてきます。コロナ以前、ぎっしり観客で混んでいたときには、霊たちは昼間は天井近くの暗闇に隠れていて、夜になって人気がなくなると、霊界大パーティーやるんだ、なんて思いこんでいましたが、どうもみなさま四六時中、それぞれの彫像に憑依されておられるようです。 その振る舞いはといえば、R・シュタイナーの言われているように、実に静的で、平和で、長いおだやかなスパンの瞑想時間をつづけている霊々がぎっしりいらっしゃいます。その長い瞑想が、館内のあちこちに蠢く『時間』というものを遅延させているのかなぁ。逆に霊自身の発している客観的時間帯(?)は猛スピード=亜光速で過ぎていくようです。 そちらの世界=霊界は虚空とも呼ばれていて、注意していないと感じられないこともありますが、長いロックダウンを体験したメットの、人気のない広い広い空間という好条件が、かれらの全体像をよけい明快に浮き立たせています。かれらがその虚空である彼岸からこちらの世界=此岸を見渡せば、こちらの方こそが虚空であるということも即座に理解できます。 なぜこのように流れている時間がまちまちなのか、それはそこに展示されている彫像の持っている時間がそれぞれに歪んでいるからです。かれらの瞑想によって、彫像のまわりの空間がRGBで色彩光合成され、落ち着た色合いになっていきます。特にこのようなNYCロックダウン後の人間たちの閑散は、霊たちの会合にはじつに好都合なんですね。 若き日に永平寺の広い禅堂で座禅三昧をしていた風景が甦ります。おおぜいの修行僧といっしょに、壁に向かって瞑想している後ろの広い空間に、彼岸から菩薩や如来がおいでになっている感じがしたのです。壁に向かって座るのですから、背中の方を振り返ったりすると、そく警策(きょうさく=曹洞宗) が飛んできます。ただその背中の向こうにある禅堂に開いた大いなる空に、般若心経の世界を強く感じたのです。1日10時間以上座りっぱなしで、半眼ではっきりモノを見ることさえも許されない。前面にあるのは禅堂の壁だけですから、ついつい全員の背中の後ろにある大きな空間が気になって、そこにどなたかが来ておられるという確信を持つに至ります。 このたとえは、空間設定がこれとはまったく逆のような、うんと狭い茶室という空間に、日本人の武将たち四・五人が集い、濃密な瞑想談話のコミュニケーションをしていたことにも似ています。此岸からみていると霊界の彼方=彼岸がパースペクティヴに見えないときがありますが、このメットという巨大な空間を介すると、世界が次元を超えて存在していることがわかります。世界各地から運ばれてきた宝物が、かつて存在していた時空間をもそっくり運んできているのです。『霊』とはそれらの土地土地のことでもあります。博物館とは世界の土地に憑く霊の集積地ということができます。 空気がゆっくりと動き、風が舞い、それとともにそこにいる極微小生物たちも動きます。コロナ・ウイルスや酵素のような小さな者たちが集まって、風に揺れて飛んでいます。だからかれらは時おり、悪魔や敵の姿ではなく、神のような振る舞いをするのです。 人間だけでなく生物の魂は、もともとすべてが神の世界に属しているのですが、此岸では肉体に閉じ込められているがゆえに、本来の神性を忘れて眠っている時間帯が増えてしまうのです。人びとがこの秘儀に参入して自分自身の本質に気づくと、肉体に囚われていることから解放されます。 話が跳びすぎて、少しくどくなりました。 ◆ 霊物語(1)のはじまりはじまり。 たくさんあるエジプトのファラオのミイラたちの棺桶のひとつを見つめていたときのこと。=棺の底に描かれたイラストのファラオの奥様(つまり女王様)の霊が怒っておられます。「わたくしなんてこの王のお尻に五千年も敷かれつづけておりましたのよ、あんた聞いてる、五千年もよ!」女王はかつてのハズバンド=ファラオに向かって悪態を吐きます。たしかに王のミイラの入っていた棺の底には、線彫りイラストで女王が描かれておりまする。(写真右) 「このわたくしを描いてくれた五千年まえの線彫りイラストレーターが言ってたわ、ファラオは生前寵愛していた100人以上のめかけではなく、どうして女王さまを棺の底に描くんでしょうね? 昔のことはともかくあなたを棺に入れると永遠の憎しみを閉じ込めることになりましょうに、と」 「長い夫婦生活で、仲がよかったのはたった五年ほどよ。いやいや、仲良く愛しあったのは、五夜もあったかしら? その私が、ファラオが死んでから、どうして五千年もかれの尻に敷かれなきゃいけないの!」 「尻に敷く」という日本語のイディオムは、ふつう「亭主を尻に敷く」あるいは「女房の尻に敷かれる」というように女性能動型なのですが、女王さまは五千年もお尻ハラスメントの被害者でありつづけたと主張されています。公正を期すためにファラオの意見も聞きたいのですが、どこにもそのお姿は見当たりません。若い恋人の霊を追いかけて出て行ったのか? ぼく自身が「ぼくの奥様のお尻に敷かれてから、とてつもなく長い!」と思ったところで、たった五十年たらずのこと。やはり女王様の五千年の嘆きというのは想像を絶します。 まてよ、霊から見れば、ここでは時間が経つのが亜光速のように速いんじゃなかったっけ? ロックダウンのまだつづくNYCから観れば、お尻に敷かれつづけたはずの女王さまが、このエジプト館を取り仕切っている様相。この展示物がNYCのこの空間にたどり着いてから、せいぜい百年の時間が経ったいにすぎないのに、この壮大な時空間の眺めは、どういうことでしょう。 時空間というファンタスティックな響きを抱えて、夫婦間の五千年の痴話喧嘩はつづいています。 メットの説明文は、かの女のことを奥さま=女王さまと断定していますが、長い古代エジプト期には、母権性社会も多々あったと推察できます。男性のファラオを影でリードしていたのが、太陽神『ラー』の娘=マアト Ma'at だったという神話もあります。もしこのイラストのかの女が、孔雀の羽根を纏い、頭にダチョウの羽根を指したマアトの女神さまだったとしたら、男性のファラオはその女神マアトの意志で政治を行ない、その象徴として棺にイラストを描いたわけですから、五千年もお尻に敷くつもりなどまったくなかったわけです。ダチョウの羽根は真理の象徴とされ、死者の魂を量るため、天秤の皿の一方に置かれています。 五千年という途方もない時間帯が、霊たちにとっては、一瞬にも感じていないことを反芻して、久しぶりの美術館を離れることにいたしましょう。 わぁお、ついてくるわ、くるわ、遠いぼくのアパートまで。 それは、息のように、生き物の身体に入り込んだり、出ていったりする。 ~『純粋な自然の贈与』中沢新一 ※おまけ:大貫妙子:メトロポリタン美術館: https://www.dailymotion.com/video/xldlhz ●ほかのいくつかの『霊ストーリー』をちりばめ、このブログに載せたいと思っています。 次回の出演予定は、日本館に鎮座されている『十一面観音像』、京都の九品寺からテレポーテーションされてこられました。 #
by nyckingyo2
| 2020-10-17 04:16
| はてしない物語
5月初旬 The Bigining of May, 2020 夜明け前に雪が降り、時おり青空が現れますが、冷たい風が強く吹いてすぐに飛び去っていきます。身も心も寒いロックダウン中のニューヨーク。明らかに天空のすべての方角に、いまだ天の怒りが満ちていることを強く感じます。市内だけでも恐ろしい数の死者数。それでも近所の商店街には、ロックダウン後はじめて人出もクルマも増えはじめました。太陽光が溢れかえる日には「もうすぐ開放されるのではないか」という期待のようなものは強くなっています。次の瞬間、5月にしては異常な冷気に、吸気もとまります。 40年も暮らして来た僕にとっても、ここはとてもおそろしい国になってしまいました。 戦争をつづけてきたヨーロッパからおおぜいが移住してきて、いまだに世界で出張戦争をつづけている唯一の帝国。たとえ新コロナのパンデミックが収束したとしても、大統領は新しい戦争相手を見つけ出し、相手かまわずののしりあい、金儲けのための戦争はさらにつづくことでしょう。 現在までの主なる戦争相手のイスラーム教圏は、プロテスタント原理の末裔のアメリカと、合わせ鏡の裏表のように、とても似ていると中沢新一は語ります(仏教が好き)。似た者同士で、鏡の像のように全部お互いに反対を向いています。アメリカは巨大な帝国として旧世界とはべつの発達をとげ、鏡の裏のイスラームを敵として戦いつづけています。 戦争という大量殺戮行為で世界の覇者となったヨーロッパとアメリカで、新型コロナCovid-19が大パンデミックになったことと、ひとがひとを殺しあう所作=戦争をやめることに、なにか深い意味と関係性があると考え、長期の備忘録として書き留めます。 ヨーロッパのコロナ禍の惨状を見ていると、中世からの数度のペストの脅威が、人びとのDNAの奥底に深く潜んでいるのを再確認できます。6世紀、東ローマ帝国を中心のペスト・パンデミックは約200年もつづき、1億人以上の死者を出したとされています。そして14世紀から数度に及ぶパンデミックで人類はあまりの恐怖ゆえに、ペストとの戦闘意欲さえなくし、万人の恐れと不安の精神状態が、そのままさらなる病根となっていきます。人びとの深い恐怖はエントロピーを極端に増大させ、体内に入り込んだばかりのペスト菌がさらに増殖しやすい人体宇宙を造ることになります。ウイルスからだけでなく、他者との会話から発生した深い恐怖とシンクロし、同時に感染が増えるのです。唯物論の西洋医学の専門家にも、人間の精神がそのひとの病気を生み出す深い関係があるという見方が増えています。 新コロナのため、フィナーレを迎えられなかったことしのヴェネツィア・カーニバル。パレードに出てくる『ペスト医師』の仮面は、まず距離の長い嘴の部分で社会的ディスタンスを形づくり、嘴の先で香草を焚き、悪疫をよせつけない意志のような鳥の仮面を被り、ペストの悪魔を祓います。 まわりの国と戦って来た長い戦争の歴史を、人びとの意識が踏襲すれば、ペストはまぎれもない敵であり、直ちに抹殺すべきなのですが、極微の世界の認識がない中世の人びとには、敵の正体がなんなのかまったくわからず、ひたすら対決する距離をとり、物理的に回避しようとするだけでした。 ときの勇者が、戦争の敵である相手の身体に憑いたペストの悪魔めがけて、渾身の勇気をもって飛び込んだりすれば、悪魔はいとも簡単に勇者の体内に侵入します。いきおいすべての他者からできるだけ離れることだけが、闘う唯一の手段となり、相手の体内に飛び込んで戦うなどという勇者の意志はすでに消えてしまっています。戦争のときには敵の剣をよけるために鎧で身を固めますが、ペスト菌という敵にはなんの意味もありません。 そのことがさらに大きな恐怖を掻き立て、こんどはその悪魔に感染している人間そのものが『敵』に思え、ペストではなくその相手の人間に殺意を持ちます。相手の顔も仮面に覆われているので人格を無視できます。そして結局症状の見えないどの仮面が悪魔なのかさえまったくわからなくなる。『ペスト医師』の仮面のように嘴が長くなくとも、ヴェネツィアのカーニバルのマスクを見るとすべて、他者という他者からできるだけ離れる隔離というゲームの、唯一の戦いの手段がマスク=仮面だったともいえます。 このペストの時代の仮面隔離社会が、21世紀の欧米でなんら変わることなくくり返されていることに心底驚いています。異常な潔癖主義とそれにあわせた極端な管理社会が、世界に冠たる自由都市とされていたニューヨーク・シテイでもはじまりました。 もともとNYCの地下鉄でマスクをしているのは、アジア系移民だけでした。白人も黒人も、地下鉄車内にマスクを付けているアジア人を見つけると、たとえ満員でも全員が逃げるようにそこを去ります。なぜ感染者が満員電車に乗るのか、というわけです。マスクを付けるのは他者からの感染を避け、同時に他者に感染させないためという発想が、それまでのアメリカ人には欠如していました。現にロックダウンのはじまる直前の2月には、マスクを付けていただけのアジア人女性が殴られるという事件がありました。 だから、3月中旬にロックダウンがはじまり、マスクの装着と自宅待機がが義務付けられて、一変したニューヨーカーの従順さに驚いたのは、マスクに慣れていた僕たちアジア系移民の方だったと思います。 動物への虐待 世界でロックダウンがはじまってすぐの4月、英出身の霊長類学者=ジェーン・グドールは、Covid-19パンデミックは人類が自然を無視し、動物を軽視・虐待したことに原因があると指摘します。 例えば、われわれが森を破壊すると、森にいるさまざまな種の動物が近接して生きていかざるを得なくなり、その結果、病気が動物から動物へと伝染します。そして、病気をうつされた動物が人間と密接に接触するようになり、人間に伝染する可能性が高まります。 動物たちは、食用として狩られ、アフリカの市場やアジア地域、特に中国にある野生動物の食肉市場で売られます。また、世界中にある集約農場には数十億匹の動物たちが容赦なく詰め込まれています。こうした環境で、ウイルスが種の壁を越えて動物から人間に伝染する機会が生まれます。 私たちは自然界の一部であり、自然界に依存しており、それを破壊することは子どもたちから未来を奪うことに他ならないということに気づかねばなりません。いま世界中で行われている前例のないロックダウン(都市封鎖)という対応によって、より多くの人が目を覚まし、ひいては、どうすれば自分たちの生き方を変えられるのかということを考えるようになればと思います。 人間が家に引きこもったことで、人間と動物が共生する生態系が変化し、動物が人間の住んでいたエリアまで戻ってきました。山から降りてきたヤギの群れが、パンデミックで人通りのない英・ウェールズ北部のランディドノーの住宅地を走りまわっています。コロラド州ボルダーでは、街路を、銃を持った人間のエリアには入るはずがないマウンテンライオンが歩いています。 狩猟民族が動物を狩るのは、食料獲得のためですが、人類が人類を殺す戦争のはじまりは、お互いのシステムを保つため相手の食料だけでなく、人命とすべてを奪い合ったということです。システム温存のために敵の集団の殺人許可を与えるわけで、人類同士の最も酷い差別意識です。グドールのいう動物虐待より以前に、われわれ人類は、仲間である人類を虐待しつづけて来ました。そしてその集団大量殺人=戦争は、まるでペスト・パンデミックのように、とつぜん広範囲に広がるという類似性を持ってもいました。 100年前のスペイン風邪は、細菌とウイルスのちがいはあれ、その歴史的なペストの脅威を反復したものともいえます。ここでの問題は第一次大戦という人類最初の世界大戦とときを同じくして、欧米軍に被害が拡がったことです。 泥まみれの塹壕のなかで、戦争の敵と、ウイルスという敵の両方と戦わなけれはならなかった兵士たちの、地獄のような体験は想像もできかねます。第一次大戦の戦没者は、民間人とあわせて1650万人となっていますが、戦争の最終局面、1918年から20年にかけての「スペイン風邪」で、これをはるかに上回る3千万~5千万人以上の死者、世界中の5億人が感染したとされ、死者合計は1億人に達したとされています。本当はどこまでが戦死で、感染死なのか判断がつかない。ボストンでは今でもドイツの潜水艇「Uボート」が秘密裏に病原体をまき散らしたのだと信じられています。 アメリカではこのスペイン風邪・パンデミックの最初の年に平均寿命が約12歳低下したそうです。 人智学(アントロポゾフィー)のルドルフ・シュタイナーのことばをくり返すと「人類の嘘(うそ)は疫学的な意味を持ち得る」といっています。嘘をつくことが免疫を弱らせ、ウイルスにつけいる隙間を与えるということです。相手に対して嘘をつきあい、騙しながら人命を奪いあう戦争を、世界大戦にまで拡大させた人類を、天が決して許さなかったのではないか、と受け取っています。 1世紀前のインフルエンザ・ウイルスのデータと比べるのは無謀ですが、新コロナ=Covid-19の今後の予測のために、このスペイン風邪の第2波のウイルスの「変異」を書いておくと、1918年の真夏の8月後半、フリータウン(シエラレオネ)、ブレスト(ベラルーシ)、ボストン(米国)と、不思議に遠く離れた3つの港湾都市で、第2波が同時に起きました。真夏にウイルスが変異し致死性が高まったということです。アメリカではボストン海軍工廠から各地の軍事施設へと急速に感染が広がり、大戦のための軍隊移動とともに、第二波は2カ月のうちに南北アメリカ大陸に拡大。9月末までにブレストからのヨーロッパのほぼ全域にも広がり、各国の軍事作戦も小康状態に陥りました。その後ヨーロッパからロシアへ、ロシア内戦やシベリア鉄道を通じてイランに運ばれ、10月にはインド・中国経由で日本に達しました。 スペイン風邪の第二波は通常のインフルエンザに類似していた第一波とは異なり、健康な25–35歳の若年者層において非常に高い致死性を示し、死亡者数も大幅に増加しました。1918年9月–12月のあいだに、アメリカでは最大30万人の死亡、イギリスでもスペインかぜによる総死者(23万人)の6割がこの第二派の犠牲になりました。感染者は悪性の肺炎を発症して死に、見るからに健康な若者が高熱を伴って、発症からわずか1-2時間でほとんど動けなくなりました。 第一次大戦は開戦から4年後の1918年11月に混乱のなかで終戦。そして天がそれを見越したかのように、戦争とともにパンデミックも終りました。 6月初旬 The Bigining of June, 2020: 新コロナウイルス Covid-19 による米国の死者は停まるところを知らず、6月に入った時点にはとうとう10万人を越えました。BBCは「それは不気味な、そして悲劇的に完全なほどの対称」と比喩してこんな記事を出しました。 朝鮮戦争から、ヴェトナム、イラク、アフガニスタンの、合わせて44年に及ぶ戦争で死んだ米軍人の人数と、トランプ米大統領が『見えない敵』と呼ぶ、新型コロナウイルス COVID-19 の感染症でわずか3カ月のうちに死んだ米国民の人数が、ほぼぴったり同じだと、表を上げて説明しています。 ここ半世紀、アメリカによる出張戦争は延々とつづき、もはや常時戦争を繰り返しているのは米国だけ。殺戮方法も残虐性を極め、ときの大統領は『代理戦争!』と口走りますが、だれもがほかの国の代理で戦争を、などと頼んでいません。世界に君臨しつづけたい帝国の限りない欲望。 新コロナによる全米の死者10万人の半数がニューヨーク州。その大半がNYCということです。なんとまぁ! NYがロックダウンされて3ヵ月。異常な感染者数を目の当たりにしながらも、本当にこんなことをしていていいのだろうか、とみんなまじめに考えはじめています。ほとんど人気のないマンハッタンで、たまにすれちがうひとも、思い切り避けて離れていきます。他者と6フィート開けなさいという基準はしょうがないとしても、人類が長い歴史で培って来た群生動物としてのコミュニケーションというものが、完全消滅しています。このことも、やはり天の意志なのだと考えて我慢していますが、自由を求めてこの都会にやって来た自画像のうしろに、大きな疑問符をかかえてしまった今日このごろです。 人類への虐待 5月25日、ミネアポリスで白人の警察官が8分46秒のあいだ黒人男性ジョージ・フロイドの頸部を膝で強く押さえつけ、呼吸ができない、助けてくれ、と懇願していたにも関わらず、その男性を死亡させました。殺人の克明なヴィデオ記録が、ネットとTVを通じて全米に流れ、意識のはっきりしていた男性の声が苦しそうな虫の息になり、絶えてしまったときに全国民が大きなショック。3日後の28日には、全米に広がったデモ参加者の一部が暴徒化し、略奪や警察官への投石、警察署の窓が割られ店舗が焼失、物品略奪。警察も催涙ガスをデモ隊に発射。暴動や略奪暴徒と化した抗議デモに対して、トランプ政権は軍隊による鎮圧を支持する声明。ロックダウンで綴じ込められた若者のエネルギーとの対立はアメリカをさらに明確に分裂へと導きます。当初から予想はしていたものの、あまりにも早い展開に唖然とします。 事件の翌日、ホワイトハウスがブラックアウトした写真は、皮肉にもトランプ大統領のリーダーシップの『強力な象徴』と呼ばれました。ホワイトハウスには州兵が呼び出され、警察官もデモ参加者にマスタードガスなどをかけて対抗。 5月31日に建物全体の明かりが消えたとき、人々は「Black Lives Matter, I'm breathe」と唱えはじめました。WhiteHouseの強力なシンボルが消え、リーダーシップの完全な欠如を世界に発信。ホワイトハウスの停電は、トランプが家の地下バンカーに隠れた数日後のこと。トランプは6月2日の記者会見で、これらのデモは平和的な抗議行動ではなく国内テロだ、と宣言。自らの臆病で内乱を誘発させようとする史上最低の大統領。 パンデミックがはじまって以来「リーダーシップの欠如」で広く批判されつづけていたトランプは、国内での激しい暴力を終わらせるために「即時の大統領行動」をとると発表しました。彼は、怒っているデモ参加者を「凶悪犯」と呼んだ後「大統領としての最初で最も高い義務は、私たちの偉大な国とアメリカ人を守ること」。 数時間後、デモはメンフィス、ロサンジェルス、ルイスヴィルなど全米各都市に広がり、アンチ人種差別主義者も抗議に加わりました。 上のエンデの言葉を引用したのは、ジョージ・フロイドの死を契機に、Black Lives Matter (BLM) 運動が大きく再燃し、5ヵ月ぶりに外に出る口実ができたジェネレーションZの若者たちの、平和的なデモでニューヨーク市の道路が埋まったときでした。 『灰色の男たち』=時間どろぼうに虐待されていたのは動物だけでなく、人間の方だったのです。まさに『モモ』のなかで子どもたちが自発的にデモをはじめたように、現実の全米の街かどで、BLMのデモがはじまりました。 7月初旬 The Bigining of July, 2020: ニューヨークのロックダウンがはじまって5ヵ月。意外にがまん強かったニューヨーカーも限界に達したようです。 僕も病人を抱え、家に閉じこもっての長期のエントロピーの増大に、この感染症に対する考え方がどんどん変わって行きます。各国政府の対応のインチキ、コロナウイルスに関するあらゆる情報の裏をじっくり観察する時間があるので、ますます陰謀論のただ中にのめり込んでいきます。 地球灼熱化の真っただ中、いったいなんのために息苦しいマスクを着けなくてはならないのでしょう。人通りが少ない場所に行くと、ほとんどの人が顎マスクか、マスクをはずす作業をはじめています。 メトロポリスの人びとのそんな変化をよそに、他州=カリフォルニア、フロリダ、アリゾナなどは、Covid19の第二派に襲われ、多数の感染者を数えはじめました。ベイエリアに住むわが娘は、律儀にほとんど外に出ない日々がつづいているそうです。 7月の時点で、コロナ政策に完全に成功した台湾のIT推進大臣 =オードリー・タンと歴史学者ユヴァル・ノア・ハラリの重要な対談がありました。(settingで日本語字幕あり) オードリー・タン:実は同時に2つの危機があります。1つはパンデミックという生物学的な危機。もう1つは、不安、恐怖、暴挙、陰謀論、パニック買いなどがあります。これらのことを「情報感染」と呼びます。もし陰謀論を耳にし、そして国が心のワクチンを提供しない状態、つまり基本的な科学的理解のためのコミュニケーション材料を積極的に出していない状態であれば、人々は実際に何が起こっているのか分からなくなり、認識論的な空虚感に苦しむことになるでしょう。そうなれば、ぽっかりあいた穴を陰謀論のような思い込みで埋める可能性があります。人々をより分裂させ、事態をさらに悪化させる結果になります。台湾では非常に早い段階で、「速く、公平に、楽しく」という原則を確立しました。 台湾は小さな島国という条件もあって、感染者数の少ない東アジアのなかでもかなり完全に新コロナウイルス制圧に成功。IT大臣の柔軟な思考や、お互いを差別するひとが少ないことも推測できます。東アジアにコロナ感染者や死者が少ないことを感染医学的に説明されてもあまりピンと来ませんが、オードリー・タンのように総括的に、やさしく説明されると、西洋医学専門家とはちがった説得力があります。人類の多様性の象徴であるトランスジェンダーやゲイの人びとの感性は、明らかに新しい時代=ポストコロナ・エラを象徴していると感じています。 陰謀論に関して言えば、ここNYCでは、オードリーのいうようにまったくの空虚感に苛まれ、ポジティヴに楽しくなど受けとれません。世界の支配階級であるグローバル企業が、さらなる地球支配の金儲けのために陰謀を企てるのは明らかで、その意味ではそれは陰謀論などではなく、多分の真実が含まれていると思います。このロックダウンというふしぎな世界的陰謀の全容は、将来必ず明らかになるとともに、陰謀のより少ない、新しいエラに移行していくことを確信しています。 ワクチン接種は、西洋医学の病原菌理論(Germ Theory)にもとづいていて:金魚にワクチン接種することは、水槽のなかの金魚を、さらに小さなプラスティックバッグに閉じ込めるということです。パスツールと同時代のアントワーヌ・ベシャンはテレイン(地形)理論(Terrain Theory)を提唱し、タンクをスカベンジャー(清掃生物)細菌でクリーンにできることを発見しています。病気にかかった身体=「テレイン」(地形)は、弱体化または不十分に防御された組織のスカベンジャー(清掃生物)として細菌を引き寄せます。つまり、微生物は不健康な細胞を減らしていく自然の清掃夫の役割を果たしていると捉えています。パスツール vs.ベシャンは、いわば対症療法 vs.自然療法ということで、悪い者を殺す vs. 良い者を強化するということができます。 Covid19の良質のワクチンができるのかどうか疑問視するひとがおおぜいいますが、いずれにせよ僕の見解とは遠くにあります。 8月+9月初旬・むすび August & September, 2020: この北国にも襲って来た地球灼熱化はひどかったのですが、どうやら暑さのピークは過ぎました。 世界中が極端な異常気象の顕現のなかにあり、ロックダウンとあわせて気が狂ってしまった人類も多いと思います。 NYはフェイズ4ということで、少しづつですが街にひとが戻りはじめました。かわりにカリフォルニア、フロリダ、アリゾナという熱波地帯で第2波のパンデミックがはじまりました。米国での新型コロナによる死者は17万人、ブラジル11万人、メキシコ5万人。南北アメリカ大陸に集中しています。世界での死者累計は8月22日現在、80万人超。ほんとにこんな多数がコロナウイルスに殺されたとはとても信じられません。 BLMに端を発したポートランド/オレゴンのデモは数カ月後の8月が終っても、まだ続いています。8月29日は一人死亡。マフィアの親分然たるトランプは大統領選の相手を「うすのろバイデン」と呼び、ごろつきどもを始末しろ、と罵り合っています。これが世界の超大国の大統領を争う二人。トランプは今日9月1日、自分の17歳の支持者が殺人事件を起こしたウィスコンシン州ケノーシャを訪問予定。州知事が「あんたがきたら混乱するだけ」と止められてますが…。そんな大統領のいる国に、長いこと住んでいるだけでも恥ずかしくなる今日この頃です。 街にずいぶんひとが戻ってきて、レストランが街頭に設置したテーブルには、週末など満員の盛況です。美術館も図書館もリオープンして、ひととコミュニケーションすることも増えてきました。 それでも何かが致命的にちがってしまった、という違和感を持ったままなのは、僕だけでしょうか。あるいは長すぎた隔離で、あの気さくなアメリカ人の世界は、どこか別次元の宇宙に消えてしまったのでしょうか? 人気のもどった街に出ても、以前のように他人に積極的に近づけない違和感で、なぜか打ちのめされます。他のひともおなじように感じているのかもしれません。街頭でブランチしているファミリーを見てもなんだかあまり楽しそうではありません。眼に見えない6フィートの距離と、眼に見えないマスクが、その雰囲気を台無しにしているのかも。それもそのうち消えるさ、とファミリーのお父さんは楽観している様子です。 コロナウイルスとUFO 人びとから目線をはずし、クイーンズ・ブルバードの宏大な青空に眼を移すと、一面に広がる曼荼羅のようなものが見えてきました。先日来読んでいたカール・G・ユングが生前最後に出版した『空飛ぶ円盤』の挿絵に使った曼荼羅とそっくりおなじものが、宇宙船のひとつひとつに至るまで再現していました。『1561年のニュールンベルグの飛行片』と解説が書かれた『円盤群』が、大空狭しとひしめき合っています。さまざまな形の円盤は、RNAやコロナウイルスを拡大したようにも見え、現代のコロナ・エラに体験した感性との類似点が見えます。この曼荼羅が描かれたのは、14世紀ヨーロッパのペストの流行と重なる時間帯です。そのウイルスを表した曼荼羅の姿が、あまりにも解放されたポジティヴなイメージでそこにあり、みんなが何を怖がっていまだに家にこもっているのか、不思議な気がしてきました。 右の現代オゾン層からのネットによる崩壊曼荼羅とは、象徴しているものがまったくちがうように見えます。時代によって人びとの意識のチャクラが変わり、千変万化するUFO曼荼羅。もともと曼荼羅とは、人びとの意識/無意識が綾なす宇宙からの来訪者。 こちらは『夢でUFOを見る』という解釈7のくだりですが、その夢見はまるで個人が政治や社会運動をなしているように書かれています。どこかでデモをしているときと、UFOと出会うときの精神性の共通項を感じています。他者を慮る(おもんぱかる)という共通項かも。難解だったこのユングの著作が、コロナという三文字を介してみごとに謎が解けていきます。以下ユングの1958年『空飛ぶ円盤』の文章抜粋。 ◆ 今日のように、集団化が破壊的な結果を伴って表面に現れている時代にあっては、個性化の問題が真剣な、危険でさえある問題になっていることは、もはや否定できないだろう。これこそ西欧の文明社会が、選択を迫られている大きな問題だからである。ある独裁国家の臣民たちがその個人的自由を奪われているのも事実ならば、われわれがその政治的な膨張に脅かされながら、それを防ぐ適当な手段を持っていないというのもまた事実である。そこでわれわれは、さしせまった問題に直面することになる。 ◆ ひとは集団的方策を求めてあたりを見廻す。そうすることによって闘うべき当の相手である群衆化の効果に対抗できる手段はただひとつ、個人の強調とその価値の増大でしかない。それには意味の転換が、すなわち全人類の真の認識が必要である。 それはひとりひとりの人間の仕事でしかありえない。ひとりひとりの人間が、真に生きるのでなければならない。これが今の夢のメッセージであり、人類の普遍的な本能の奥底から、夢の主に伝えられたものなのである。どんなに大きな政治的社会的組織も、自己目的であってはならない。(p-117 夢に現れたUFOの項) C・G・ユング『空飛ぶ円盤』(Ein Moderner Mythus ユングが1958年、生前最後に出版した『空飛ぶ円盤』からの記述) ● 1561年のニュールンベルグの飛行片(図版)真正の曼陀羅 4月の日の出どきに見られた、いとも戦慄すべき光景を伝えている。多数の男女がこの光景を見たと言う。血のように赤いのや、青っぽいのや黒の無数の『球』ないしは『円盤』が、太陽の近くに見られた。「あるものは三つが1列に、そこかしこで四つが四角をつくり、またあるものはただひとつであった。そしてこれらの球の間に、いくつかの血の色をした十字も見られた」その他にも『ふたつの大きな筒』(あるいは三つ)…「そのなかには大小の球が三つ四つ、あるいはそれ以上見られた」これらは1時間以上続いた。そして「すべては、画に見られるように、太陽から空から地上へ、燃えるように落下して、多量の蒸気を発散しつつ、次第に消えていった」球に混ざって細長いものも見えたが、「大きな黒い槍のようだった」この『光景』が神の警告と解されたのはいうまでもない。このレポートには、読者は見逃さないでいただきたいが、すでになじみのいくつかのディテールが見られる。まず何よりも『筒』だが、これはUFO報告のシリンダー型の物体と似ている。UFO用語でいえば、これは母船で、より小型のレンズ状UFOを長距離輸送するのである。画はこの筒が作動して、UFOを送り出すか収容するかしているところを示している。とりわけ重要なのは、現代のUFO報告に欠けている四位一体が、十字や、十字に組み合わされた四つの球として明らかに見られることで、つまり真正の曼陀羅が見られたわけである。 19年前の9.11同時多発テロのときも、今回のCovid19のときも、その山の名が示すとおり、救護医療の総本山でした。 しかし長い人類史というスパンで見れば、出エジプト記に書かれているモーセが享けた十の戒のひとつ=『汝殺す勿れ』は、その後三千年以上、一瞬たりとも護られたことはなく、人類は同族の殺しあいに終始しつづけました。もしその十戒を授けた絶対神が存在するのであれば、地球星に増えつづけていまや個体数70億を越えた人類という身勝手な動物の倫理を、決して許すはずはないでしょう。 コロナの災いは『神の禍い』と何度も書いてしまいましたが、動物虐待、地球星虐待、そして同族の人類を殺つづけてきたことの『因果応報』と呼ぶことが、最適だと確信します。 酷暑とマスクで息切れしそうになったBLM=ブラック・ライヴス・マターに爽やかな風穴を開けたのは、無観客のUSオープンで優勝した大坂なおみ選手でした。人種差別で被害にあった7人の名前を書き込んだ7つのマスクを着けるというコンセプトで出場したかの女は、決勝を勝ち抜き、7つ目のマスクを披露しました。ただかの女は試合がはじまる前から「トーナメントの数の7つでは不十分」と公言していました。 大坂なおみは、BLM運動について、7月号のELLEに「ジョージ・フロイド事件の数日後に、私がミネアポリスでデモに参加した理由」を寄稿しています。 日本のバイレイシャルの女の子が、私がグランドスラムを制覇したときのような誇らしさで輝いてほしい 今、世界で起こっている活動は一体となりつつあります。今日行われている抗議活動には、モメンタム(勢い)と希望があります。今回はこれまでとは違うエネルギーがあり、違う人々が参加していることも確認できました。この動きはオスロから大阪へ、タラハシー(フロリダ州)から東京へと世界的に広がって、あらゆる人種や民族を巻き込んでいるのです。 日本でも「Black Lives Matter」の抗議活動がありました。日本でのこのような動きは多くの人が予想もしておらず、可能だとも思っていなかったことでした。日本はとても均質的な国なので、人種差別に立ち向かうことは、私にとってはとても大変なことでした。私はネット上で、そしてテレビでさえも、人種差別的なコメントを受けたことがあります。ですが、それは少数です。 「日本はホントは先進的な国。何が許され、何が許されない(言動)かをもっと学ぶ必要があるだけだと思います。」 -大坂なおみ 大坂なおみの言葉は優しく響いてきますが、いまだにひどい人種差別と、おおぜいの子どもを自殺にまで追い込むひどいイジメ社会=日本に、気づこうともしない多くの日本人にとっては、強烈なカウンターパンチとなるでしょう。 ◆金魚:悲惨な戦争で殺されることも残酷ですが、まわりのイジメに悩み、自殺する日本の子どもたちのことを考えると、そんな社会システム全体が、決して許せない気持ちでいっぱいになります。 テニスチャンピオンで、バイレイシャル、日本人のすばらしい意識が開花したかの女の持つ『多様性』はアメリカだけでなく、ポストコロナの世界を変えていく深い予感があります。 BLM運動は、決してアメリカン・イシューではありません。それはコロナが私たちに運んで来た美しい曼荼羅のひとつ=『世界人類の意識革命』となることでしょう。 #
by nyckingyo2
| 2020-09-15 11:23
| 続・炉心溶融した資本主義
断片詩『満月=子宮のなかからの風景 1945』 (断片1) つい三日前まで かぼちゃのタネのようなかたちだった月が 今夜は中秋の名月 まさに大きく孕んだ母の子宮のように輝いています もちろん母の胎内にいたときのことなど 憶えてるはずはないんだけど そこはとてもあたたかかく とても静かだったことを こころがおぼえています 静かな子宮のなかで たゆたい 瞑想していると こころはいつの間にか その大きく円い地球の双子星=満月に移動しています 不思議なことに ここ”月”では すべての音が消えているのに 汐の満ち引きの響きだけが すぐ近くに海岸があるように聞こえてきます だからここを”静かの海”とか呼ぶのかな 潮騒を聞きながら、瞑想していると ここには兎さんどころか なんと この地球星に住んでいたすべての生きものの魂が 生きつづけているように思うのです やがてその母のからだが奏でる潮騒の彼方から 突然だれかが半鐘を衝く音 それと被さって金属的なサイレンが鳴り響きます 割れた警報マイクからは 神経質でメカニカルな鼻にかかった早口の男の声 クゥーシュー・ケェイホー・ハツレイィと叫んでいます ぼくの身体が入ってる 母の身体が 思い切り奔るので あちこちが母の骨盤や肋骨にぶつかる いたい 外の景色はなにも見えないけど いちめん真っ赤に燃え盛った世界を 胎児のこころが見てしまいます まだあったこともないのですが 将来ぼくの兄になる子どもが泣いています 母親は ぼくと同体 ボウクウゴごー こ こっちやで 祖母の息せき切った声で、僕の全身は大きく舞い上がります 母は腰をかがめてボウクウ5ごーのブリキの扉を開け なかに入ります そのとたん 大きな爆発音の連続とともに いま入ってきたばかりの 扉の向うが さらに大きく赤く輝きます ひゅーん ひゅるひゅる どかん いつも泳いでいる母親の血液の海の赤さではなく ついさっきまでいっしょにいた あの悪魔の あの大きな身体が炸裂し 赤く輝いているような ひゅーん ひゅるひゅるひゅるひゅる どかん とつぜん あたまに大きな地球の重力を感じます 奈落の底への旅行 ここで生まれちゃうんですか 満月から ちきゅうに このちきゅうに ちきゅうに テレポーテーションするんですか その悪魔はさっきまでこう言っていました この母親の胎内に来るまで (おまえはあの戦場にいたんだよ) どの?センジョウ?? だって ここもセンジョウでしょ 母のおなかの外側が また大きく赤く点滅します (断片3) (あのインパールの戦場さ) 敵の姿がどこにも見えない あの戦場 その悪魔の声とともに ぼくは生み出されました ちがうセンジョウに ただひたすら食べるものも飲むものもなく へび かえる なめくじ さえもいない 草の根 泥 そして みみず 泥水も絶たれて ありとあらゆるものを呑み込んでみるのだが からだはひりひりと焼けただれ 萎えていく 敵の姿がまったく見えない あるいは戦友という名の敵 そんなセンジョウ (オマエは…) (そこから転生して来たんじゃよ)と悪魔 テンショウ? 雨が道ばたの遺体の腐敗を進め 10日で人体を白骨にします 白骨街道 戦友という名の 味方の兵に うしろから 銃で撃たれる センジョウ どうして? おまえの肉を喰らうためさ 弱肉強食 ぼくは弱くなどなかった (だが嫌われていた) そう ひとの肉を喰らうことだけは拒んだ (そう それがやつらの気に喰わなかった) そして うしろから 銃で撃たれたんだ (断片4) 戦友という名の鬼に 背中から撃たれ ぼくのこころは また このかぼちゃのタネのようなかたちの月に帰るしか ありませんでした 静かの海は いっそう静かに輝いて おなじくもっと大きな かぼちゃのタネのような ちきゅうも輝いています 日本列島が輝いている さっき クゥーシューにあったオーサカは あのあたりやな ぼんやり見つめていたら ここ月からもよくみえる 大きなひかりが 輝きました ふたつも ピカ そして ピカ カクブンレツハンノー しばらくたって たくさんの霊たちが ほんとにたくさんの聖霊たちが 行列をつくり ボロボロの恰好で 自分たちの 皮膚をひきずって 大挙して この月に押し寄せてきました なんというひどいことを ニンゲン なんというひどいことを ニンゲン ぼくたちは この月から ちきゅうを見つめているしかないのでしょうか いやいや ちきゅうに雨がふるときは みんなで大挙して 舞い降りてやりましょう それでも ほんとにセンソーは終った のでしょうか? ぼくはもういちど いまもまだ あのボウクー5ごーにかくれている 母親の胎内にもどらなくちゃ ほんとに このひどいひどい センソーは終ったのか と 訊きたださなくっちゃ #
by nyckingyo2
| 2020-08-12 05:13
| 浮遊的散文詩歌
街からひとが消え、あれだけ他者とくっつきたがっていたニューヨーカーたちが、それぞれのアパートでひっそりと暮らしています。ふだん肉体接触先行型だった人びとが、瞑想とインナートリップをつづけることで、シュタイナーのいうエーテル体(霊的身体)やアストラル体(精神的身体)を意識し、自分自身の心の中身を感じているようです。 シュタイナーは『いかにして超感覚的世界の認識を獲得するか』のなかで、霊界とのコンタクトには平静心と瞑想が効果的だとくりかえしいいます。そして最近流行りのネットの集団瞑想のときなど、驚くほど多くの感性が、確実に彼岸へ行き来していることを感じます。知人の訃報に気落ちするなか、コロナ以後の精神時代への大きな希望も芽生えはじめています。しかしそれにしてもいつ終るやも知れぬ、コロナウイルスの大きな悪戯。 上のタイトル・アートワーク『光』とコロナに関する記述は、最後の稿 “May 3rd. 2020・光“ まで飛んでください。 April.1st, 2020・繚乱 アパートのまえの桜が満開です。少し強い風に揺られていますが、まだ一枚の花びらも散っていません。 太陽からの光子だけが、輝きながら強く舞っています。 ニューヨーク、ロックダウンから10日。実に力強い花たちを、頼もしく見上げている自分がいます。みごとな繚乱の春です。 つれあいの病気が発覚して三度目の春です。本当にながい、重い三年でした。 ことしはそれにもまして深いエントロピーが増大しています。ついとなり町のエルムハースト病院では日々戦争がつづき、日々多くの方たちが亡くなっています。つれあいの通うセントラルパークの病院のとなりの広場には、急遽コロナ対策大テント村ができ、混雑のため明日の診察はキャンセルになりました。すぐ横のフィフス・アヴェニューでは、数台の大型冷凍トラックが常駐し、ウイルスで亡くなった多くの冷凍遺体が、ご家族との最期の別れもないままに運び込まれています。 妻の通う病院では新コロナ以外の外来は当分全部なし、ということです。医師の先生たちも、看護婦さんたちも電話の向こうで本当の悲鳴をあげています。 花たちは、そんなこともまるで知らないかのように、自分たちの人生を謳歌し、揺れています。 みごとに力強い春です。 花に見倣うつもりです。 シュタイナー『神智学』◆私が花の咲いている牧場を通るとしよう。私はその華やかな彩を楽しむ。この事実は私の要件となる。私は自分の感情によって花々を私自身のあり方と結びつけたのだ。1年後再びまたおなじ牧場を通るとしよう。そこにあるのは別の花々だ。もう一度よろこびの感情が、それらから私に生じて来る。去年の私の喜びも、思い出として立ち現れて来るだろう。その喜びは私の中に存在しており、それを呼び起こした対象はもはや存在していない。しかし今私が眼の前に見る花々は去年の花々と同じ種類のものである。それらは去年のものと同じ法則に従って生長しているのだ。(中略) しかし去年私が花々について認識し、ことしも再び認識するもの、それはこのような花が生えている限りは存続するだろう。それは私に開示されたものであるが、私の喜びとは異なり、わたしの存在に依存していない。私の喜びの感情は『私の中』にある。花々の法則と本質は私の外に、世界の中にある。このように人間は常に三重の仕方(体と魂と霊)で世界の事物と結びついている。(高橋厳訳・p-031) April.12th, 2020・停滞 オーガニックフーズの買い出しに、久しぶりにユニオンスクエアまで。三分間のひなたぼっこ。これでもロックダウン以降に見た、サイコーの人出。 とはいえ車(人)間距離は確実に守られていて、コミュニケーションは皆無。 ひとはひとから離れていく。私から離れていく。のけぞるように。毎年この季節のこの広場は、花の香りでムンムンして、いろんなニンゲンが絡んで来てムンムンしているのに… ユニオンスクエア、5月にはカナビス祭りだけど、これも中止かなぁ。 グロッサリ以外の量販店、軒並み閉店! 恐るべしコロナ・リセッション。 この日、生野菜の棚が空っぽのホールフーズでの唯一の会話=「オートミールはどこ?」「あそこ」(^^) ◆自由は、以前の諸状況によって予め定められているかどうかで左右されるのではなく、魂が自分の中から作り出したものに従っているのである。 -神秘学概論=ルドルフ・シュタイナー April 21st. 2020・恐怖 ロックダウンからひと月、急な所用があって10日ぶりに悪天候のマンハッタンに出た。出かけるまでは、不安と少しくのルンルンが混ざっていたが、あいにく猛烈な雷雨と豪雨の時間帯と重なり、早々に逃げ帰ってきた。 ほとんど人気のないマンハッタンの街角で、天が怒り狂っている様相があった。遭遇はしなかったが数本の竜巻も具現していたという。雷雨の後、今度は断続的な豪雨に見舞われ、また心が『豪雨は降霊の徴(しるし)』を実感しはじめている。 霊たちの想念を鑑みるなど、考えるだに恐ろしいので、ひたすらビルの石畳に、激しい雨粒が叩き潰されるのを見つめていた。それはコロナウイルスという不可解な悪魔の突然の来訪で、理不尽にも他界されたおおぜいの、呻きの集積でもあった。 そしてその大量の雨粒はビルの排水口からファサードの階段にあふれ、その悪魔たちの大半を引き連れて流し去っているように見えた。 だがそこにも安堵のイメージなどない。ただ自分たちの命が予期せぬ事態とともに奪われたことへの驚愕と怒りを湛えていた。それは、コロナで亡くなられた大勢の霊たちが降りて来て、『精霊の箒』とでもいうべきもので、黙々と大量のウイルスを洗い流している姿でもあった。同時に、生きている私たちの汚れた魂をも洗っていただいているという甚だ調子のいい様相でもあった。(霊友老金魚) ◆自分自身で思考の輝きを強め、体験の意味を解きながら、宇宙の中に霊の力の源泉を求める。それは、私に与えられた夏の遺産であり、秋の平静であり、冬の希望である。 −魂のこよみ=ルドルフ・シュタイナー May 3rd. 2020・光 コロナは光の輪、光の象徴です。 シュタイナーは『魂のこよみ』のなかで、「光は宇宙の高みから現れ、魂の中に流れ込もうとする」と言っています。 最近の量子物理学でも、宇宙からやってきた光子(波動)が、ひとの(あるいはあらゆる生物の)意識によって、物質化されるといわれています。光(波動)からモノ(物質)への移行が、この世界を創り、動かしているということです。 アインシュタイン以前の、シュタイナーが生きていた時代には、存在もしていなかった量子物理学ですが、この新しい学問では、すべてのはじまりは宇宙からやってきた『光』からはじまる、と考えているようです。 量子力学という考え方すらなかった時代のルドルフ・シュタイナーは、それでも言い切ります。「その光の中には、ひとの魂の謎を解く、宇宙思考の確かさがある。そしてその光の力を集結すれば、ひとのこころのなかに愛をめざめさせることができるのです」 そしてウイルスも、光子がひとの意識によって物質化したものだとすれば、それが存在した時点ですでにさまざまな意識のカルマを背負っていることになります。新コロナウイルスはその光の原初世界から来て、新しく物質化した、変化するRNAだと考えます。 シュタイナーは人智学(アントロポゾフィー)のなかで「人類の嘘(うそ)は疫学的な意味を持ち得る」ともいっています。嘘をつくことが免疫を弱らせ、ウイルスにつけいる隙間を与えるということでしょう。 この言葉に関連して、現代の人智学研究者(ゲーテアヌム精神科学自由大学教授)はこう付け加えます。「そこで問題になっているのは個々の患者ではなく、むしろ公共の議論における真実との関わりです。フェイクニュースや真実に反する歪曲の時代にあっては、このような精神的な次元にも意味が出てきます」 パンデミックに陥るまえから、無策の政治家が出まかせの嘘(うそ)をつきつづけていることも、このウイルスの具現と密接に関係していると思えてなりません。 同様にシュタイナーは、スピリチュアリティの育成と唯物的思考が持つ有害性について、このように述べています: 「病原体が最も集中的に育成されるのは、人間が唯物的な信念をもって睡眠状態に入るときです。病原体の育成にとって、唯物的な表象だけを抱いて眠りに入り、そこから、精神的世界から、自分の自我とアストラル体から物質体の諸器官に働きかけることほど有効な手段はないのです」 『唯物的な信念』とは、行きすぎた資本主義のなかで、さらに必要以上のおカネを求める現代人の無尽蔵な欲望を連想します。 シュタイナーの人智学は精神を重視する東洋哲学/医学に近く、人間が唯物的な信念をもったまま、潜在意識界=睡眠状態に入ることが問題にされています。 引用:コロナ・パンデミックーいくつかの観点と展望 マティアス・ギルケ、ゲオルグ・ゾルトナー(ゲーテアヌム精神科学自由大学・医学部門 共同代表) なぜヒト病原ウイルスが発生するのか?大きな謎は、この新しいウイルスはどこから来たのか、なぜ発生したのか、ということです。興味深いことに、ウイルスの多くは動物界に由来し、コロナウイルスも同様です。私たちも自分の腸管に細菌、マイクロバイオータ(細菌叢)だけでなく、無数のウイルスを宿しています。腸内細菌と同様、それらのウイルスも私たちの健康にとって重要なものです。さらにわかっているのは、私たちの免疫機能だけでなく、生体内の多くの領域、私たちの心の状態までもが、腸内細菌の影響を受けているということです。それでは、なぜ動物界に由来するウイルスが人間にとって危険になるのでしょうか? 現在私たちは、動物たちに表現し難いまでの苦しみを与えています。大量の残酷な殺害から動物実験まで、動物界は救いようのない痛みに晒されているのです。生きた動物の商取引も、動物たちに不安に満ちたストレスを与えます。こうした苦しみの結果が、動物の生体に棲息するウイルスに変異を起こすことはあるのでしょうか? 私たちは、身体的次元を見ること、そして大概はそれを魂の次元から切り離して捉えることに慣れています。 しかし、今日では、たとえば腸と心をつなぐ関係性が知られています。それによって、さまざまなウイルス性疾患を前にしたとき、ウイルスの起源についての微生物学的な問いだけでなく、動物界との関わり方というエコロジーや倫理の問題が持ち上がります。シュタイナーはこの関連について、百年以上も前に指摘しています。今日、こうした関係性に目を向け、自然科学的な分析とともに、より深い問いを発することも、私たち次第なのです。 ◆引用元:コロナ・パンデミックーいくつかの観点と展望= http://j-paam.org/statements/corona-pandemic 光から生まれたウイルスのひとつが、現代人の意識によって変化し、パンデミックとなってこのニューヨークをはじめ世界中を席巻してしまいました。そして世界中のほとんどの街で、自宅待機し、社会的距離を置き、萎縮しているジンルイのかわりに、どの街にも動物が大手を振って歩くようになりました。 サンフランシスコの市街まで散歩に来たハイエナ、パリの街に現れたイノシシの家族、信号無視フリーウエイを横断するぞうさんの大群。クジラはニュージャージー沿岸にまで押し寄せ、沖縄にいたじゅごんちゃんが、ゴミの減ったタイのきれいな海で泳いでいます。イエローストンのオオカミ、クマ、ボブキャットからヨセミテを歩き回るヤギ、シカ、アヒルまで、動物たちは世界中の都市空間を取り戻し、私たち人間がいないあいだに古き良き時代を過ごしています。ハワイの海洋生物は観光客がいなくなり、スキューバダイバー、シュノーケラーもいないので、オアフのサンゴ礁と魚に新しい命をもたらしています。 あれだけの排気ガスを出していた工場が封鎖され、クルマもとまり、CO2は極端に減少。ヒマラヤもマンハッタンも、実に美しく見渡せます。ニューヨークの自宅待機令がはじまって1カ月半、自宅にいつづける者たちは辟易として能動的ひきこもりをつづけていますが、そのことが即ち、現代人がはじめて、天に対して胸を張れる行為をしているのかもしれません。 おりしも米国土安全保障省(DHS)は、4月23日「太陽光や紫外線には、物質の表面と空気中の両方に存在するウイルスを不活性化する作用があるとみられる」「特に直射日光に弱く、温度と湿度が高い環境下では威力が弱まる」という実験結果を公表しました。直射太陽光に当たるとコロナウイルスはたった2分で半減するそうです。高温多湿のシンガポールでいまだに感染が広がっているのは別の理由ではないでしょうか。 光は宇宙の高みから現れ 魂の中に 流れ込もうと… 愛する人たちを護ろうとする人間としての本能は、その愛の概念を広げることで、もう一度宇宙の方にそのコロナの光を投げ返します。そして動物たちとも、新しい愛で結ばれはじめた現代人のその顔は、やがてその新しい光に輝きはじめています。 今日、5月はじめの週末のセントラルパークは、陽光のもと、ほんとうに久しぶりに、ひと、ひと、ひと、に溢れました。 この8週間で1万6000人のニューヨーカーがコロナウイルスで死亡して、クオモ知事は更なる警戒と自宅待機を呼びかけています。どうやらコロナは変化していくようなので、決して油断は禁物です。自宅待機はできるだけ守ろうと思います。 それでもその私たちの母なる恒星からやって来つつある美しいその『光』を見つづけていると、人類の仲間と、動物の仲間とおなじく、このエーテル体(霊的身体)とアストラル体(精神的身体)が、ほんの少しづつではあるけれど成長していることを感じます。 ◆光は 宇宙の高みから現れ 魂の中に 流れ込もうとする。 その光の中には 魂の謎を解く 宇宙思考の確かさがある。 この光の力を結集して 人の心の中に 愛を目覚めさせよう。 -魂のこよみ=ルドルフ・シュタイナー #
by nyckingyo2
| 2020-05-03 14:32
| 愛は世界を動かす大きなエンジン
一年がかりで玉手箱の中身(=龍宮城トーキョーの思い出)を書き込んでいたのですが、NYにもどった今浦島にはなぜか長いあいだ蓋を開けられませんでした。3-11の9周年もすぎ、やはり目に見えないコロナの蔓延を煙に巻きこんで、やっと開けることにいたします。ひさしぶりに帰ったトーキョーの状景を、是枝監督の2時間の映画に凝縮。映画レヴューではありません、原発レヴュー? あるいは、はじまったばかりのパンデミック・レヴュー。 秋の10日あまりの日本旅行での首都トーキョー。最終日の朝、丸の内ピカデリーというピカピカの劇場で是枝「万引き家族」を見ました。わざわざ旅の最中に見なくても、NYに帰って封切りを待てばいいのですが、どこかにトーキョーでこの映画を見るというこだわりがあり、9amスタートの早朝上映に。こんなに早く映画館に行ったのは生まれてはじめて。おかげでこの大都会の早朝の混雑をかいま見ることができました。そのまえに首都圏に帰ったのはなんと10年まえ。そして世界が認めたその映画は、それまで見続けて来た旅の現実、そのなかでもとくに世界最先端のAI近似値ジンルイの大挙住まれる都市=トーキョーの、政府による『作為的な現実』をさまざまに象徴しておりました。 東京の人混みを歩く人々の想念が、朝のカップごとピカピカに光った一杯のキャプチーノのなかに閉じ込められています。カップの表面からモヤモヤ揺らいでいるクリームの、ハート形とともに醸し出されます。通勤びとの喉もとから、毎朝消えていく幾億という数のコーヒー豆たちは、その豆の香りに癒されて生きている幾千万の人びとの動きをじっと見つめています。トーキョーのコーヒーにはそこに住まれるジンルイが持っていない『人格』があります。マンハッタンでも、ほかのどの大都市でも、毎朝相当な量のコーヒー豆が消費されていますが、毎朝の儀式のように寡黙に超大量が『人格』ごと飲まれているトーキョーの珈琲事情には負けています。 アメリカナイズして鈍化したトーキョーの珈琲の味のように、狭い歩道を自信なさげに歩くおおぜいの姿は、明らかに一昔前のこの国の雑踏のイメージとはちがいます。普段歩いているマンハッタン人の雑踏のように、お互いの自信過剰でぶつかり合っているわけではなく、自分はいまここにこうして歩いて、生きていていいのだろうか、という自信のなさ同士が(しかたなしに)ぶつかりあい、避けあっているような感覚があります。僕が若いころのトーキョーには、秦の始皇帝兵馬俑の兵士たちのように、無表情で整然と、それでも魂の奥にみなぎるカイシャ闘志を秘めて、並んで歩く企業兵士の隊列が、確かに存在していました。 旅のあいだ、絶対的ラッシュアワーは避けて動きましたが『押し屋』さんの話を聞くと「押したり押されたり、ギュとなってるときの方が人間的なのか」とか思っちゃいます。交差点などの人混みはかなり減っているように見えました。それが少子化や高齢化とどの程度関連しているのかわかりませんが、数人にぶつかりそうになっても、相手の手応えというものがほとんどありません。正面からぶつかってくる僕のことを、まるで人間じゃないかのように、いや生物としても認めていないような素振りです。人波に逆行しているので、正面からみんなの顔をのぞける位置なのですが、全員が実に巧妙に個というものを隠し果(おお)して歩いています。まるでそのひとはその瞬間にその場から意識を消し去ってすっ飛ばし疑似タイムスリップをつづけているような。 『超小型タイムマシン』 現代の企業兵士諸氏全員のスマフォには、別の機能として0.3秒ほどの未来に設定された「超小型タイムマシン」が組み込まれているにちがいありません。 ひととぶつかりそうになると、スマフォごとその超小型マシンを前方に放り出し、眼にもとまらぬハヤワザで0.3秒後の未来にジャンプして取り戻し、そこにある『カイシャ+シゴト』という時空間にスリップしつづけながら歩いています。未来へスリップなどというとかっこいいですが、マシンにはなんのイデーもない極私的なウチのカイシャ体験しか想定していないので、雑踏という他者との共有時空の歪みや異変 or『君の名は』現象など、どれひとつとして起こるはずもありません。あるいは本人も気づかないあいだの小さな歪んだタイムトラヴェル。 「現実というものだけを信じなさい」 というお上からのキツーイお達しが、近くにある江戸城というプロバイダーからズ―ッと発信されつづけていたので、Edo = Tokyoではいまだに自分の意識無意識に『幻覚』や『幻想』というものを持ち込むひとなど、ほとんどいらっしゃいません。せいぜい夜の飲み屋で世界に冠たる国産うゐすきーによる幻覚がやっとこさ。『飲み放題』という看板たち。これはサケという幻覚媒体を無視した幻覚回避でしかありません。志ん生のゼンゼン酔っぱらっていない幻覚落語は例外、江戸っ子の現実至上主義をうまく隠している。 とにかくお上のお上=総理がウソばっかりつき、とりまく忖度官僚が九官鳥になり切りそのウソをそっくり、くりくり、くり返す。そのまったく真実味のない現実世界が下々まで伝播するのが、その江戸という街の封建社会の原則です。 ところが次の瞬間、お上はたてつづけに「キツーイ『現実』=たとえば原発事故や放射能、地震、格差、差別、ミサイル、極右お上による政治腐敗、高齢労働社会など、ネガティヴな現実はすべてないものと思って生きなさい、後悔のござりませぬように!」とほとんどビッグブラザーの警告のように発しつづけ、こんどは現実そのものを意識的に消せ、と強要してきます。 地震の度に「また原発が…」と心臓を震わせ、それでも後悔だけは決してすまい、と必死に抵抗していたカイシャ・タイムマシンを持つ人びとは「現実も、幻覚も、どっちもダメよぉ」と言われて、空いた口が塞がりません。あまりの矛盾とバカバカしさに、自虐的な諦観へと嵌り込んでゆく。これではオツムにちょんまげと十両小判を貼って将軍家御用達の仕事をしていた封建の日々となにも変わらんじゃんか。お上が湯水のごとく発行するおカネという物資交換券の現実のみを信じて、かつそのなかに巣食うネガティヴな現実は、ないものと思え。そしてその時間を吸い取るタイムマシンによって、あろうことかまったく言われたままに現実を歪め消し去り、自分に都合のいい幻覚だけを信じようとするのです。 あいもかわらずマリファナ厳禁、現実以外のものはいっさい存在しないという大前提で動いているので、ほかを捜してもなにも見つかるわけはない。ケミカルドラッグで飛びそこねた芸人の幻覚を、寄ってたかって痛烈に罵倒する。お上が「てめぇら低級国民が幻覚を味わおうなんて百年も早いんだよ!」と叫んでいるので、その分さらに低級ドラッグのようなひとをイジメているのです。このことは現在のお上が崩壊するごく近未来に、はっきりと明かされることでしょう。こうなったのも、アイデンティティーの基盤まで捨てて『立場』を護ったのが悪かったのは理解できるのですが、たとえ諦観だらけでも後悔だけはできない。極右『お上』から発信された虚構と虚無の世界を、ヒエラルキー序列で因果律を忖度しつづけたゆえの大混乱。そしてそこに0.3秒タイムマシンで仮想『現実』に居ずっぱりになっている自分を見つけるという、まことに複雑な雑踏風景ではあります。 いまお客さまがおいでになったこのパチンコ台までが『現実』で、次の台から打ち止めなしの『幻覚』台となっております、なんてことはあるわきゃない。わたしたちの意識無意識を明解に区分できるはずもありません。宇宙のかなたから飛んできた光子が、意識とぶつかってはじめて物質化する、というのが最新量子物理学の定説のようですが、そこでの光子(波動)と原子の境は曖昧模糊。現実と幻覚の区分なんてさらに『意識的』。そこといいましたが、ここがそこ。ここがこの世に生きてるということのやめられない所以。 ふだん見たり聞いたりできる『現実』と呼ばれているものは、第一の《存在レベル》にあるそうです。私たちが見たり聴いたり触れたり嗅いだり味わったりできる、物質的な領域。 いかにお上といえども、国民全員が見たり聴いたりしている感覚的『現実』までを変えることなど到底できないはずなのに、あら不思議! フクシマの原発事故は、放射性物質が目に見えないことを幸いに、お上は大小さまざまなウソをつきつづけ、そのご尽力のおかげで、今やほとんどなかったことになりました。お上の頑強かつふにゃふにゃの意志を、テレビを見ながら敏感に感じた国民は、即座にお上忖度領域にまで意識を萎縮させます。満員電車とタイムマシンのなかの上司にメチャクチャにされつづけた精神たち。これら極私的体験は一見原発事故とは関係ないようですが、じつはこれこそが大問題。 フクシマを溯ること21年、黒澤明の『夢』のなかの『赤富士』では、空気中に漏れ出した放射性物質に色が着けられ、汚染の現実が『見える』ようになったという設定。 黒澤『赤富士』より: "原発は、安全だ!危険なのは操作のミスで、原発そのものに危険はない。絶対ミスを犯さないから問題はない"とぬかしたヤツラは、許せない!あいつら、みんな縛り首にしなくちゃ、死んでも死に切れないよ! ◆ あの赤いのはプルトニウム239、あれを吸い込むと1千万分の1グラムでも癌になる。黄色いのはストロンチウム90、あれが身体に入ると骨髄に溜まり白血病になる。紫色のはセシウム137、生殖腺に集まり、遺伝子が突然変異を起こす。つまりどんな子どもが生まれるかわからない。しかしまったく人間はアホだ。放射能は目に見えないから危険だといって放射性物質の着色技術を開発したってどうにもならない。知らずに殺されるか、知ってて殺されるか、それだけだ。死神に名刺をもらったって、どうしようもない。 『夢』制作時の黒澤明メモ: 猿は火を使わない。火は自分たちの手に負えないことを知っているからだ。ところが人間は核を使いだした。それが自分たちの手に負えないとは考えないらしい。火山の爆発が手に負えないのはわかっているのに、原子力発電所の爆発ならなんとかなると思っているのはどうかと思うね。人間は猿より利巧かもしれないが、猿より思慮が足りないのもたしかだ。 現実には、見えない放射性物質を撒き散らした福島原発事故からはや9年。これらの物質が目に見えないことをいいことに、お上(クニ+原子力ムラ+電力会社)は、現実を無視し、ねじ曲げ、抹消しつづけています。 どこに放射能なんてあるの? なにも見えないじゃん。見えないから汚染などもちろん現実じゃありません。風評です。風評は風に飛ばされふらふらと、幻覚よりも立ちが悪い。東京オリンピックももうすぐなので、風評も幻覚も絶対禁止! マラソンは涼しい北海道になったけど、それでもこれは『現実』の東京オリンピックだぁ! でも暑さで死者が出たら、即座にそれは『幻覚』。あ、もちろん、オリンピックが終わるまで、首都圏の地震に関するニュースは報道禁止! 私たちの無意識のほとんどは、あろうことかそのお上の風に吹かれてあっちにゆらゆら、こっちにぐにゃぐにゃ。目に見えている現実さえも揺れて、手に持ったタイムマシン付きのスマフォをまたいじりはじめます。遅延無視遅延無視遅延。 いつのまにかみんながいじってるのは萎縮スマフォに組み込まれた『忖度タイムマシン』になっています。集合的無意識のなか、お上の言いつづけた虚構/ウソ/幻覚/幻想はすべてのコクミンにとっての『現実』にすり替わっています。 2019年秋には都合良く超大型台風19号が来て、せっかくまとめた核廃棄物までも水に流してしまっちゃいました。東京湾の水も臭いだけ。大震災なんて金輪際来ません。少なくともオリンピックまではゼッタイ来ない。そしてカイシャ、されどカイシャ! 萎縮忖度をつづけぬかぎり、出世など決してやって来ない、チャンスもない。ここに超AI型お上による『現実を都市ごと万引きする』という壮大な計画は完了したのです。 汚染土を万引きし、全国にばら撒く『悪魔の所業』 日本国家の『恐ろしい企み』がことし2020年になって具現されます。環境省がやろうとしている『汚染土拡散』の理由が、ほかには考えられません。 9年まえ、フクシマの事故のあった2011年のヴィデオ。この学者は2020年の日本の『現実』を語っています。 欧州放射線リスク委員会(ECRR)の科学委員長【クリス・バズビー博士 Christopher Busb 2011年発言要約】 日本政府は、福島原発事故で汚染された震災がれき(放射性廃棄物)を日本中に運ぶそうです。しかも汚染されていない西日本へも震災がれきを運んで燃やす。なぜそんな遠方まで震災がれきを運び燃やすのか。その理由は非常に邪悪で恐ろしいこと。◆理由;日本政府は、放射能汚染地帯で、子どもたちが癌、白血病、心臓病などになり始めたときのことを考えている。親たちは裁判所に行き日本政府を訴えます。そのとき、福島原発事故との因果関係を証明するために、癌が多い放射能汚染地域と、汚染のない地域を比較する疫学的資料が必要、例えば西日本との比較。つまり、震災がれき広域処理とは、日本国民全員を低線量被ばくさせ、日本中を汚染させようとしている。それで日本中の発癌率が上がり、将来、発病率を比較することができなくなります。 第二の《存在レベル》=『量子の領域』 そこでは、すべてが情報とエネルギーで成り立っています。そこに存在するものは、すべて実体というものがありません。しかし、ふだん『自己』だと思っている精神/思考/自我などはこの量子の領域に含まれているので、五感では感じにくいこの世界のことも『現実』として存在していることを疑うひとはいません。この量子の領域でのできごとは光の速さで発生しているため、人間の知覚では処理できません。この領域のエネルギーと情報がかたちとなって現れただけということです。 アインシュタインの一般相対性理論が、巨大な重力をもつ高密度の天体の存在を予言して約100年。2019年4月10日、日米欧の天文物理学者らが初めてブラックホールの姿を画像にとらえました。おとめ座銀河団にある「M87銀河」中心部のブラックホールは、地球から5,500万光年離れていて、太陽の65億倍の質量を持つ巨大なブラックホール。 ブラックホールはその巨大な密度と重力により時空が湾曲していて、その重力の強さから光すら脱出できない天体。よってその観測は、光が逃れられなくなる境界線、すなわち「事象の地平線」を見ることになります。 情報は光や電磁波などにより伝達され、その最大速度は光速ですが、光でも到達できなくなる領域(距離)が存在し、ここより先の情報を私たちは決して知ることはないといいます。 その事象の地平線を飛び越してみませんか? 幼気ない子どもたちが自殺にまで追いつめられることを考えれば、それはあまりむずかしいことには思えません。そのポケットに入っている『カイシャ・タイムマシン』のスイッチを切るだけ。馬鹿馬鹿しいお上の嘘に瞞されたふりをしつづけたことで、全員が正常な意識を失ってしまった。その部分はお上に万引きされたわけじゃなく、自分で自分の『意識』というものを率先して捨てまわっていたわけです。自分の意識が宇宙を創っているという新しい量子論の基本すら自分に当てはめられなかったので、世界はその歪んだ「事象の地平線」の内側から、とんでもない大変革がはじまってしまいました。 ミヒャエル・エンデ: 「この二つの非現実=過去と未来の交点が推定上の現実、つまり瞬間を生みます。瞬間とはなんでしょうか?それはどんどん小さくなって、最終的にナノ秒にまで縮小するため、完全に消え去ります。時間とはなんでしょうか?それは本来存在しません。それにもかかわらず、それは経験内容なのです」 2.意識のパンデミックが『現実』を… トーキョーという龍宮城の乙姫さまからもらった玉手箱=この1年がかりの文章を開けようとしたまま、また数カ月がすぎました。1年ものあいだ筆ををとめていったいなにを待っていたのでしょう。近々トーキョーでなにかが起こるという直感が強力で待っていたのです。それは3.11のときのように地震や洪水、噴火、熱暑などではなく、なにか別の、静かな、まるで巨大な静物画のようなものの予感でもありました。 そして2020年1月、世界の状況は突然一変します。はじまりは、中国から小さな小さなやはり目に見えないウィルスと、大きな大きな意識のパンデミックが押しよせてきました。 その意識のパンデミックがやって来るまでの、極私的・夢のなかのイメージは、なにか大事件が起きてトーキョーの人々が動いてるんだけど、とにかく街がとても静か。普段どおりの雑踏はあるんだけれど、そこにいるひとはみんな白いマスクをして無口で歩いている。地震も津波も、火山の爆発も、はじめに大きな音がやってくるから、それが原因じゃないなとわかったのです。 トーキョーのお上はといえば、このコロナウィルスの感染者を最小限に見せるために、検査をしない(させない)という暴挙にでました。これはもう意識の万引きどころではありません。意識の殺人教唆?。それもこれも大枚はたいてしまった、東京オリンピックを無理やり決行するため、というから空いた口が塞がりません。「フクシマはアンダーコントロール、という大嘘までついて、万引きしたオリンピックを中止などさせてはたまらんぜよ!」とお上。しかし検査をしないだけで、本当のウイルス・パンデミックが止まるわけはありません。 そして ダウ2013ドル安、下げ幅過去最大 原油急落・新型肺炎懸念で:[3月9日 ロイター] - 米国株式市場は急落。原油相場の大幅な値下がりや新型コロナウイルス感染拡大を巡る懸念からリセッション(景気後退)懸念が台頭し、パニック売りに見舞われた。ダウ平均株価.DJIは2000ドル超急落し、過去最大の下げ幅を記録しました。その後もリーマンショックをはるかに越える続落がつづいています。 3月11日、東日本大震災9周年の日に、NY公立図書館のまえでスタンディング。マンハッタンは、普段の半分以下の人出。温暖な気温の日がつづいていましたが、人びとの緊張感を肌で感じる日でした。公立図書館前で仲間と、3.11東日本大震災9周年のスタンディングをしていたのですが、震災のあった日本時間14:46pm(ET.12:46pm)黙祷の最中、WHOの発表がありました。 世界保健機関=WHOのテドロス事務局長は、COVID-19ウイルス性疾患を、やっと『パンデミック』と呼びました。スペインの労働者は、バレンシアでの火祭りの彫像に医療用マスクをかけています。このフェスティバルもコロナウイルスの発生によりキャンセル。 コロナウイルスは世界的な意識のパンデミックになり、EUとアメリカは30日間お出入り禁止。3月に入って戒厳令のような条例がバンバン、21日から外出禁止令。自由の国は瀕死状態です。グローバリズムでひとつのはずだった地球は分断され、国ごとにズタズタ。ネットがあるからだいじょうぶよ!と言ってる隙から地球全域にリセッションの暗が押し寄せます。 もう世界は、東京オリンピックなんて見向きもしていない。延期か中止は必然。 華麗なる末期資本主義を象徴するオリンピックは、グローバリズムがさらに進行しているはずの地球における、ナショナリズムの祭典でもあります。世界中どこでも自国のチームしか応援しないし、米NBCはほとんどグローバリズムの頂点に君臨するUSAの選手しか追っかけません。ナオミ・クラインのいう『惨事便乗型資本主義』とは逆の『祝賀型資本主義』と呼ぶひともいます。いずれにせよ今回のように『祝賀』は一瞬にして『惨事』に変わる可能性がある。グローバル企業では、より速く儲けるためにCEO以下ナイキの靴を穿き、森林を伐採し、温暖化地球のために二酸化炭素を吐きつづけます。僕を含めた東京オリンピック反対派は、その基本がまったく納得できないわけですよね。 世界がコロナウイルスと対峙して、深くインナーの世界に入りこんでいる感覚があります。ネットの世界がその表層を塗り込めて、共通の価値観を構築しようとするのですが、それらは日々それぞれの世界でがらがらと崩れ去り、またコロナの脅威だけが外の世界を覆います。国民はといえばお上に、自分そのものであるインナーの『現実』までを歪まされ、万引きされつづけていたわけだから、まさに泣きっ面にハチ。 敬愛する河瀬直美監督が、東京オリンピックの映画撮影を引き受けられたときはショックでしたが、放射能/猛暑/コロナのトリプルパンチで開催が危うくなったいま、かの女がどんな映像を撮ることになるのか、想像するだけで心がおどります。このことは決して皮肉ではなくて、延期にしろ中止にしろ、今週3月26日にはあの福島の高濃度汚染地区から、聖火リレーというものがはじまるわけで、その珍奇な行列がこのインナーの世界にどう影響を及ぼしていくのか、結末に至るまで、不思議な映像を想像しています。 64年に市川崑監督が撮った『東京オリンピック』は、インナーにすぎる、ということでクニにはたいへん不評でした。今回は世界中のペシミスティックな混乱のうちに、河瀬監督がそれをどう捉えるのか、期待(?)に胸が膨らんでいます。コロナという天の采配でこの不純な動機の大会が中止/延期になることは大歓迎。そういう事態になったときに『オリンピックの不在』という記録映画だけでなく、世界中の人びとのインナーが、本当のオリンピックとはなにか、に目醒めるのではないかと信じています。 『コロナは神さま』 在宅勤務のひとが増えたので、あまり満員じゃなくなったNYCの地下鉄でマンハッタンに向かいました。大きなふたつのお尻のあいだに「Excuse me…」と呟きながら僕の小さなお尻を滑り込ませます。両サイドの大きなお尻が利己主義を叫んでいます。「俺の、私の、お尻に触わるな!」お尻によるフラストレーション表現。それでもふたつのお尻は決して縮もうとはしない。他人と距離を置いてください!お尻に触れないでください! Social Distancing Strategies 社会的距離戦略? なにが戦略だ! コロナパニックが起こるまえの先日までの満員電車では、アジア系かヒスパニックの若者が必ず席を変わってくれていました。年寄り扱いはいやでしたが、心はうんと和みました。世相はどんどん変わります。オバマの治世がなつかしい。オバマに替わったコロナは、傍若無人に、それでもみんなにほぼ平等に、機会を与えてくれていると感じます。コロナは、ひとに謙虚になれ、という教えを説いている『神さま』かもしれません。地球の生きもののなかで、コロナウイルスこそが私たちの存在を考えさせる、という意味がよくわかります。 玉手箱の煙のように、目に見えないもの、見えにくいものこそが現実を変えていくという発想が、とうとう世界中に拡散してしまいました。今日3月21日からNYも自宅待機令。街はひっそりと静まり返り、ニューヨーカーが一時的にしろこれほど従順だったことに驚いています。相手がお上でなく神さまだとしたら、従順になるのは当たり前ですね。 コロナウイルスは、私たちの意識というものが、物質を、宇宙を創っているという量子物理学の原則を再認識させてくれました。 最後に生命誌の中村桂子さんのナショジオの記事を抜粋してお別れします。 《私の地球永住計画 中村桂子》 地球は生きものの星です。人間の星ではありません。ですからここに住み続けたいと思ったら、「生きものとして暮らします」という約束をすることでしょう。 近年、生物学では「高等生物」「下等生物」という言い方をしません。それぞれの生きものが38億年かけて今の姿になっているのであり、アリとライオンを比べてどちらが優れているかと言っても何の意味もありません。アリは自分の体の何倍もの餌を運ぶことができますが、ライオンにはできません。比べ方によってはアリの方がすごいでしょう。生きものに優劣はなく、それぞれに生きているということなのです。 人間もまた生命の歴史の中にいます。それはあたりまえのことなんですが、現代社会を動かしている人たちは「人間は生物界の外側にいる」と思っているように感じます。それを表す言葉が「地球にやさしく」です。この言葉は生物界を上から見た目線で、中から見たら「やさしくしていただかないと生きていけない」なのです。私はこれを「中から目線」と呼びます。 私の地球永住計画 中村桂子 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。 現在、アメリカで、全世界で(多分日本も)コロナは猛威を振るっています。しばらくこの話題をつづけることになると思います。2020年3月、校了 #
by nyckingyo2
| 2020-03-22 11:51
| 小 Japón 旅そのもの記
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