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スティーヴ・ジョブスのディラン評(赤字)のあとに追記:60年代からのニュー・エイジによるニュー・カルチュアの洗礼を受けた世代は、文字どおり新しい意識でビジネスをも開発していった。あいかわらずアメリカ発の市場原理主義=資本主義を盲信する日本のビジネスマンたちは、この人類の魂がまさに開花したいちばん重要な時期をミスし、未来に出勤するための服装のボタンの掛け違いをつづけている。— この稿は、ボブ・ディランの65年の名作、Positively 4th Street の一曲にしぼって書く。実に美しく優しい曲想のうえに、友人に対する「妥協しない辛辣な敵意」をつづったとされているが、ぼくなりに聴き込んだかぎり、言葉の激しさと反比例して、ディランの果てしない優しさのみが表現されている気がしてならない。どこの国で生活していても、人びとは最初優しく近づいてきて、もともと深い関係の友人同志だったんだ、というようなことを言う。だが、次にあったとき、君はすでに「勝ち組」を目指していることが明白になり、はじめてのときの接点はかぎりなくおぼろげとなる。反原発のデモや、Occupyのデモに一度だけは顔を出すが、その後二度とやって来なくなる。次の選挙には自民党か共和党に票を入れる。そしてそれでも君はいまの地位や境遇に不満をもってる。 いつのまにかぼくと君のあいだには、純粋な志を貫いているものは皆無となる。だれにも都合悪いことがあるんだ。その度に心を汚していったら、たちまち泥沼だぜ。あんただって同じ穴の狢なんだよ、とディランがあのいつも遠いところを見つめているような瞳で歌っている。 ぼくが渡米する直前の1978年、日本武道館での日本公演を皮切りに、西海岸ベイエリアで1-2年の間隔で断続的に10回以上のディランのコンサートに行ったことになる。その都度(1年の時間差のせいもあり、コンサートのスケールもそれぞれ異なっていて)まったくちがう個性を持った別人と出会ったような錯覚に陥った。あの独特の嗄れ声も、その時どきで微妙に変化する。オペラ歌手も真っ青の声量と美声の舞台もあった。実にふしぎな多重人格ミュータント。正義を強要せずに観客の体内に歌とともに注入する。共通していたのは、毎回コンサートから帰るぼく自身が、どこからか異常なほどのエネルギーをもらっていて、翌日から超元気で生きていた、という確信だけが残っている。最後にディランを見たのは確か87年のSFキャンドルスティック・パークで、ディランのバックバンドがグレートフル・デッドという豪華なものだった。このときはデッドの観客動員数5万人以上が集まった。デッドのガルシアはこの国を揺るがすほどの人数のデッド・ヘッズたちの涙のプールとともに95年に夭折したが、ディラン御大はご健在のようだから、どこかでまた会えることを心待ちにしている。 とりあえずこの名作を、さらなる優しさの権化、そのグレートフル・デッドの頭目だったジェリー・ガルシアの歌で聞いてみようか。訳詞もできるだけ柔らかい言葉を使ってみた。 Positively 4th Street (Bob Dylan) まちがいなく4丁目 You got a lotta nerve To say you are my friend When I was down You just stood there grinning 君もソートーあつかましいね 僕のことを親友だなんて言っちゃって ぼくが落ち込んでいたときに 君はただ突っ立ってニヤニヤしてただけじゃないか You got a lotta nerve To say you got a helping hand to lend You just want to be on The side that's winning よくもぬけぬけと言えるね いつでも力を貸すからね、とか 君はただ勝ってる側につきたいだけなんだ You say I let you down You know it's not like that If you're so hurt Why then don't you show it ぼくが君を落ち込ませたって? ほんとはそんなんじゃないって知ってるくせに もしそんなに傷ついたんなら その傷口というヤツを見せてくれないか You say you lost your faith But that's not where it's at You had no faith to lose And you know it 君は信仰を失ったとかいう 今どきそんなこと流行らないよ 失うほどの信仰なんぞ持ち合わせてないくせに それは知ってんだろ? I know the reason That you talk behind my back I used to be among the crowd You're in with 君がぼくの陰口を叩く理由は知ってる 君の仲間のなかに むかしはぼくもいたからね Do you take me for such a fool To think I'd make contact With the one who tries to hide What he don't know to begin with 何からはじめたらいいかわかってないことを 隠そうとするやつらと ぼくが仲良くしたがるとでも思ってんのか それくらいでぼくをバカだと言うのかい You see me on the street You always act surprised You say,"How are you?" "Good luck" But you don't mean it 街であったら君はいつも驚いたふりをする 「元気かい」とか「グッド・ラック」だとか 君は心にもないことを言う When you know as well as me You'd rather see me paralyzed Why don't you just come out once And scream it でもほんとは ぼくがぐでんぐでんに酔っ払ってるところに 出くわせばいいと思っている だったらすぐに表に出て大きな声でそれを叫べばいい No, I do not feel that good When I see the heartbreaks you embrace If I was a master thief Perhaps I'd rob them いや、そんなにいい気持ちはしないね 君が傷ついた人びとをぎゅっと抱きしめているのを見るのは もしぼくが盗賊の親分だったら かれらから全部はぎ取るかもしれない And now I know you're dissatisfied With your position and your place Don't you understand It's not my problem 君がいまの地位や境遇に不満があるのは ぼくにもわかってる でもそんなのぼくの知ったことじゃないってことが 君にはわからないのか I wish that for just one time You could stand inside my shoes And just for that one moment I could be you 一度でいいから ぼくの身になってものごとを考えてくれよ 一瞬でいいから ぼくは君になってみたいよ Yes, I wish that for just one time You could stand inside my shoes You'd know what a drag it is To see you そう、一度でいいから ぼくの身になって考えてみろよ 君を見てるだけでうんざりってことが よくわかるはずだから このライヴ録音では、ストーンしているガルシアが、曲の終りあたりのパラグラフの順が混乱し、上に下に飛びつづけて歌っている。そのときに歌いたくないパラグラフを無意識に飛ばしてしまったり、かれの深層心理が読み取れておもしろい。演奏がすばらしいのでこれを最初に貼ったが、歌詞に忠実に聴きたい方は、下のディランのオリジナル・ヴィディオを。 なお Jerry Garcia Band の Possitively 4th Street は YouTube にちがう演奏十本以上が上がっている。 ガルシアにとってもこの曲は、ただ親友ボブ・ディランの創った名曲を歌っているだけではなく、音楽を創る側と聴く側の真剣勝負のメッセージがある。 「一度でいいから ぼくの身になってものごとを考えてくれよ 一瞬でいいから ぼくは君になってみたいよ」というこの歌詞は、そこで聴いている観客に直接訴えているわけだ。当然この曲の「妥協しない辛辣な敵意」全体が、コンサートに来た観客全員に向けられている。特にふだんのガルシアのかぎりない優しさを熟知しているデッド・ヘッズたちは、その「辛辣な敵意」にすくみ上がる。このことはディランのこの歌詞にかぎらず、デッドナンバーすべてのリリックスが多層的に、重層的に観客にのしかかることになる。おまけに観客全員と演奏者の感覚は売店のアップル・ジュースによって猛烈に鋭敏に研ぎすまされている。 ディランのコンサートも、グレートフル・デッドも、非常に鋭い感性の世界でのプレーヤーと観客の相互啓蒙の大パーティである。一度このように天国とともに地獄をも共有した仲間のことを「友だち」という。お互いに声をかけあったことがなくても、おなじ価値体験をもったことで魂が触れ合ってしまうのである。 一昨年から、Occupyのデモに参加して、デッド・コンサートのようだ、と書き綴ったのはそういう感覚から来ている。 このエッセイシリーズ「Roll Away」ではこれから、実に多くのアメリカ人の魂を新しい解放の世界に導き、18年前に惜しまれつつ逝ったジェリー・ガルシアの思い出と、ぼくなりの解釈を断片的にでも書き綴っていきたいと思っている。 ディランのオリジナル: ディランの熱烈なファンだったスティーヴ・ジョブスは、ローリングストーンズのインタヴューでこう語る。 スティーヴ: ディランは非常に明晰な思想家であると同時に詩人だ。かれは見たもの、頭に浮かんだものをそのまま書いたんだと思う。初期の作品はとりわけ緻密で正確だ。かれが大人になるにつれ、解きほぐさないと分からないようなところがちょっとづつ出てくるけどね。しかし一旦糸がほぐれれば、鐘が鳴るようにすべてが明らかになる。 私をディランに導いたのはスティーヴ・ウォズニアックだ。私がたぶん、13・4のときだったと思う。ふたりは世界中のあらゆる海賊盤テープを持っている男と出会った。ボブ・ディランの会報紙の発行までしている男。本当に入れ込んでたな。かれの人生すべてがボブ・ディランに関するものだった。しかしかれの持っているブートレグ(海賊盤)は最高だった。今日手に入るリリースされたどの作品よりも素晴らしかった。驚くべき代物だ。それゆえぼくたちふたりの部屋はコピーしたボブ・ディランのテープで溢れ返っていたよ。 60年代からのニュー・エイジによるニュー・カルチュアの洗礼を受けた世代は、文字どおり新しい意識でビジネスをも開発していった。あいかわらずアメリカ発の市場原理主義=資本主義を盲信していた日本のビジネスマンたちは、この人類の魂がまさに開花したいちばん重要な時期の、おなじ国アメリカでの「精神革命」をミスし、未来に出勤するための服装のボタンの掛け違いをつづけている。 半世紀前のそのときから、世界に存在する魂という魂は、深く重層的に変化してしまった。その後の数十年でそのことは巧妙に隠されつづけたが、世界の魂を観る方向と方法さえ知ればだれにでもわかる。他者と魂の次元でつきあう気楽さ、それはすなわち=ひどいむずかしさでもあるのだが、そこに「友だち」という言葉をはめ込むと、魔法のように謎が解ける。友だち、そしてほかのだれかが表現したものを深く追求する。そこにはすでに拓かれた、より大きな魂とのふれあいで、万人の魂と触れ合うビジネスが開ける。 ぼくにとっては数少ない日系企業の経営者の友だち諸氏に! どうかベートーヴェンだけでなく、ディランやニューエイジの音楽から深く学ばれ、かれらと「友だち」となられんことを。そこには同世代のアメリカの経営者たちが通りすぎた新しい意識の片鱗が観えてくるはずです。 Beatles: Let It Beのリハーサルのとき、ジョンが(ポールを多分に意識しながら?)最終フレーズを含む数フレーズを歌っている。曰く因縁つきとも思える Positively 4th Street。 これより先、はじめてアメリカを訪れたビートルズは、ディランたちの音楽が社会運動と固く結びついていることに驚いた。イギリスでも学生運動はあったが、アメリカほど激しくはなかったし、パワフルでもなかった。ジョン・レノンは、ディランと会ったときに「君たちの音楽には主張がない」とまで言われた。 67年のビートルズのアルバム「Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band」には、ディランのこの曲に逆説的に呼応するようなポジティヴな友情を歌った「With a Little Help from My Friends」を上げた。(最下段) その一方でボブ・ディランもまたビートルズの影響により、それまでのアコースティック・ギターをエレキ・ギターに持ち替え、65年に発表したアルバム「Bringing It All Back Home」はロック・サウンドを取り入れて、フォーク時代からのファンにはブーイングされたという。 Bryan Ferry ライヴ: The Byrds ライヴ: さまざまなアーティストがディランのこの曲をカヴァーしつづけている。それはかれらひとりひとりが、真の友だちを捜しつづけていることの証だ。そして「友だちとの信頼」というものが、まったく不安定で、ほとんどありえないものと思われる一方、最後にこの世界を救うのは、やはり友だちとの関係でしかありえないのではないか、というディランの暗黙のメッセージがみんなの魂の底にまで響いているからではないだろうか。 半世紀前の60年代と21世紀の2nd Decadeである現代社会はさまざまに呼応し、共鳴しつづけている。さまざまな理由から、未だに膨大な若者人口を持つこの国が、ミュージシャンやアーティスツの放つメッセージどおり、友だち同士の切磋琢磨を運動の単位として、新しい世界を開く可能性は高い。そこはまちがいなく4丁目であり、そこはまちがいなく真のアメリカだ、という場所が必ず見つかると信じて、この国に生きつづけることにする。 日本のなかで少数派になってしまったとされる若者たちに。待っていては何も起こらない。友だちと辛辣に批判しあうことから何か新しいことが必ずはじまる。ひとつの小さな種子が手に入れば、水を与えるだけで、おたがいが大樹に育つ。 ディランのメッセージと呼応するように創られたビートルズの「With a Little Help from My Friends」を歌うウッドストックでのJoe Cocker。いうまでもないが、このジョンのリリックスは、ディラン Positively 4th Street をもういちどポジティヴな方向に裏返した名作である。
by nyckingyo2
| 2013-04-01 07:05
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