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東部時間6月23日、沖縄戦戦没者追悼式のライヴ映像を見て70年前の沖縄の激戦のことを考えていたら、朝方まで眠れなくなった。温暖化のせいか、蒸し暑い梅雨明けの沖縄そっくりのNYでこれをしたためている。辺野古の工事を中止もせず、平然と慰霊の日にやって来た傲岸な安倍晋三に「帰れ帰れ!」という罵声は、もっともっと強くあってもよかったのだ。罵声の主たちを「非国民」呼ばわりするネトウヨたちと「アベ一族」を、さらに強い言葉の「人非人」と呼び返したい衝動にかられる。参列していた沖縄県民の多くも、翁長県知事も、安倍晋三への罵声を自分の気持ちの代弁という思いで聞いていたのではないか。 安倍と翁長県知事との会談は5分が3分に割愛。いつのまにか、見事なまでの「非民主主義国家」になりはてている。 数年前、ドナルド・キーン先生がまだNYCに住まれていたころ、MoMAでのマリーナ・アブラモビッチの展覧会にご一緒し、その5階にあるカフェでこんなお話を伺った。基地問題が普天間から辺野古に移動しはじめた頃と記憶する。 — 先生の日本初上陸は皮肉なことにあの沖縄戦。その夜のホテルは普天間にあった豚小屋でした。 キーン先生:「私の日本初上陸地点は、いま話題の沖縄の普天間でした。米海軍の通訳士官として上陸したのですが、内陸に行った斥候隊は日本軍の猛攻に遇い、その日本での初夜は、普天間の海岸線にあった家畜小屋で、豚さんたちといっしょに寝ることになってしまいました。」 いつものようにジョーク十二分のお話だが、事態を想像するに大笑いするわけにもいかなかった。ぼくの読んだかぎりの先生のご著書にこの話は出てこないが、そのあとの沖縄戦争での通訳士官・ドナルド・キーンの活躍の記録は、日本に永住されるときにいただいた「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦(写真)」に詳しく書かれている。 キーン:沖縄でのお墓は大変、大きかったと記憶していますが、墓地に人が隠れていたり、あるいは洞窟の中にも人が潜んでいました。そういう民間の人は真に気の毒でしたね。アッツ島は実にいやな場所でしたが、少なくとも民間人がいなかったことは救われました。しかし今度(沖縄)はもう本当に人が住む所での本格的な戦争でしたから。そして、アメリカ軍は洞窟の中に隠れている人びとに、出て来いと呼びかけるのですが、誰も顔を出しません。そして実に非人道的な方法が使われました。洞窟の入口で火を焚くのです。 小池政行(聞き手):火炎放射器も使われましたね。 キーン:すると洞窟に煙が入るでしょう。そうすると人がやっと出て来ました。しかし老人ばかりで、あまりに気の毒で見ておられず、私はそれを止めさせました。そんな行為を見たのは一回だけでしたが。私はつぎに洞窟の中を確認すべきだと考えたのですが、誰も入らない。そこで私自身が入ったのですが、しかし、なんとそこにはまだ(日本の)軍人がいたのです。しかも鉄砲を構えて。どうして私を撃たなかったのか不思議です。 小池:先生は、軍服を着ていたのですね。 キーン:ええ、もちろん。 小池:でもすぐには撃たなかったのですか。 キーン:なぜか発砲されませんでした。私はもちろん飛んで逃げたのですが。大体こちらは丸腰で武器も持っていなかったし。 小池:でも、将校だから拳銃は持っていたでしょう。 キーン:立場上、拳銃を持たされたことはありましたが、そのときは何の武器も持っていませんでした。ふだんも携帯していなかったし。私は心から武器を嫌悪していましたし、いまでもそうです。とにかく一度も発砲したことはありません。 小池:それは、嫌いだったというのはよくわかるのですけれども、一度も撃ったことがないのですか。 キーン:絶対にありません。(中略) キーン:ある高地の一角から海が見えたのです。そこからはアメリカの艦隊が集結している様が観えました。あらゆる軍艦が群れをなして。大本営の発表による放送では、アメリカ艦隊撃沈さるというデマを日常的に流していましたが、私たちは「これを見て目を覚ませ」という内容の放送をしたわけです。もちろん私の放送で日本軍が投降を開始したわけではありません。しかし私たちが投降を続けたら、日本側も自ずと現状に懸念を抱きはじめて、やがては事態を把握する筈だ、と。(中略) キーン:戦後、NHKの番組の中で、色々な沖縄人の戦時の回想が語られたとき、あるおばあさんは「アメリカの軍人は天人のようでした」と言ったものですから。アナウンサーはびっくりして「天人のようですか」と鸚鵡返しに応えました。まったく予想外の返答だったからです。とにかく、戦時中(日本)軍は沖縄の人びとに対して、大変冷たかったのです。要するに、日本人、そして日本軍は沖縄人を自分たちと同じ民族とは認めていなかったのです。 ハワイでは現在でも日系人は二つに分かれています。内地出身者と沖縄からの人びとと。施設なども別々で。(中略) キーン:私は戦時中、ハワイには二年間ほどいました。まったくの偶然ですが、いちばん親しくなった人びとはみんな沖縄の出身でした。かれらから戦争や戦略に関する話を聞いたことは一度もありません。みなさん極めて親切な人ばかりで。(「戦場のエロイカシンフォニー」藤原書店 p96-p103 抜粋) もちろん辺野古の基地問題を抱える現代の沖縄人が、アメリカに関してすべて好感度であるはずはない。それでもツイッターやFaceBookに辺野古基地反対の意見を書いても、いままで差別しつづけてきたヤマトンチューに何がわかるのだ、という極端に頑強な日本(人)嫌いが飛び交う。 戦後、占領日本が独立しでからも、ヤマトンチューは20数年もウチナンチュ—を見放しつづけた。沖縄が本土復帰を果たしてからも、今度は「米軍基地」という大きな負担を強いつづけた。沖縄の戦後70年は、いわば、沖縄人の精神の激戦場でありつづけたともいえる。 慰霊の日の琉球新報の社説は「強いられた共死」という小見出しで、このように書く。 沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。言い換えれば「軍の駐留は住民の犠牲を招く」ということだ。これは抽象的なスローガンではない。戦場の実態に即した事実である。沖縄戦で壊滅的被害を受けた島と日本軍が駐留していた島は、見事なほど一致する。駐留のない島の被害は軽微だ。駐留と被害は明らかに連動したのである。 別の背景もある。沖縄戦直前、軍部は住民に壕を掘らせ、戦争準備を強いた。従って住民が投降すれば、どこに司令官がいてどこに武器弾薬があるか、敵軍に知られてしまう。だから住民が生き残るよりは住民の全滅を願ったのだ。 ことしもこれから、沖縄とおなじように蒸し暑いNYの夏に、先の大戦で亡くなられた実に多くの聖霊たちと対面することになるだろう。毎年8月のヒロシマ・ナガサキの慰霊祭、終戦記念日にかけて、静かな、しかも無数といっていいほどのおおぜいの霊たちと遭遇しつづける。ことしは、その霊界の先鋒軍が沖縄での戦死者25万人ではないかと考えている。あの薄汚いアベの口から何度も漏れた御霊などというものが、かれに観えているわけがない。観えればあのような好戦的行動をつづけることなどできるわけはないのだ。 すぐ近くに仮想敵がいるとして脅威をあおり、安保法制の成立をがむしゃらにめざす。その脅威とやらを除去するための一抹の外交努力もしないで肩を怒らせつづける。まるで子供の喧嘩を煽るガキ大将である。やがて、霊界多層軍からの報復は必至なのだが、本人たちはそのような存在をまったく信じていないので、口からでまかせの憲法や安保法制の議論をし、嘘をつきつづける。真実を覆い隠す。 いまのところ霊たちは、故国の痴呆的独裁をつづける為政者にあきれ果て、地球を半周回ったこのNYの宙空で大挙集結し、霊界の大軍団の結成準備をされているような気がしてならない。70年前の戦争では、かれらの敵であった国の首都近くに集まって、この好戦大国の足元を掬うような大計画をも考えているのではないだろうか。明け方の豪雨は降霊の徴。霊たちの大軍をほとんど認知できるほどになった眠れぬ明け方に、FaceBookに向かってしたためた数々の情報を、思いつくまま書き出して、ぼくなりの慰霊の儀式を進めたい。 * 沖縄戦突入時の戦況は、もはや戦争とも呼べるようなものではなく、国(大日本帝国)による自国民の大量殺戮となった。安倍首相の魂の底には、満州で暗躍していた祖父・岸信介の亡霊が、強力にへばりついているに相違ない。さもなければ、少なくとも後半の数年、自国民の大量殺戮ゲームに成り果てた先の戦争を肯定しようなどという気になるはずがないではないか。 誰でもご存知の史実を、あえて書き連ねる。ウチナンチュ—の多く住む沖縄で、この自国民の大量殺戮は象徴的に起こったが、当時の日本の全都市がアメリカ軍の空襲で断末魔の悲鳴をあげていた。そして沖縄戦の終わったあとひと月あまりで、あの史上初の敵新型・大量殺戮兵器でヒロシマ・ナガサキが完璧な廃墟となる。その這い上がれないほどの地獄から奇跡的に這い上がり、たった70年でまた同じ価値観の為政者のもとに仕えなくてはならない。政治的意見の相違を考慮しても、その列島の国民全員が気が狂っているとしか思えない。 毎日新聞「沖縄は捨て石だったのか?」から抜粋・引用する。 「轢(ひ)っ殺してゆけ」 作家の故・司馬遼太郎に対し、大本営からの説明者は昂然(こうぜん)と言い切ったという。当時の司馬は陸軍戦車第1連隊の将校として、本土決戦のために北関東に駐屯していた。米上陸軍を迎撃するために南下する場合、北に逃げてくる避難民の交通整理はどうすればいいのか―。 そんな疑問に対する返答だった。「轢(ひ)っ殺してゆけ」。自著「歴史と視点」で、司馬は続ける。「(国民を守るために)軍隊があり、戦争もしているというはずのものが、戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなる。」 「沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれているようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにもおもえないのである。」 沖縄は滂沱(ぼうだ)と流れた血であふれかえっていた。沖縄島南端、摩文仁の洞窟内の戦闘指揮所で1945年6月23日、第32軍の牛島満司令官と長勇参謀長が自決。しかし、軍としての休戦・降伏はなく、住民を巻き込んだゲリラ戦は続いた。 沖縄県によると、沖縄戦における戦没者は米国が1万2520人、日本が本土出身の軍人6万5908人だった。さらに沖縄県出身者は軍人軍属2万8228人、戦闘参加の住民5万7044人、一般住民(推定)3万6956人。計12万2228人で、当時の人口の4人に1人に達したという。 もし「予定どおり本土決戦が実施されていたとしたら、本土民衆は、疑いもなく沖縄戦の二の舞いを演じる結果となったに違いない」。元沖縄県知事の大田昌秀氏は予測する。日本軍の沖縄住民に対する ● 殺害スパイ容疑での処刑 ● 強姦(ごうかん) ● 食糧強奪 ● 壕(ごう)追いだし ● 集団自決強要 ―などを〝告発〟。敵撃滅を本能とする軍隊は結局、住民を踏みにじると警鐘を鳴らす。 国内最大の地上戦が沖縄に残した負の影響は、米国による占領・基地化だけではなかった。1945年8月の人口の男女比は 38対62といういびつさ。特に防衛隊の中核を担わされた15~44歳の男性は、全人口の4.7%しか残されなかった。(毎日新聞・戦後70年:数字は証言する〜データで見る太平洋戦争〜「沖縄は捨て石だったのか?」から抜粋) 4月末の日米首脳会談で、普天間基地の移転に関するオバマ発言を、NHKが同時通訳の誤訳をした、という新聞記事が出た。通訳ではオバマは「普天間基地の移転について、より柔軟に対応したい」と言ったということだったが、実際は「沖縄に駐留する海兵隊のグアムへの移転を前進させることを再確認した」という実に具体的な発言だったというのである。これはあきらかに基地の移転に関する抽象論に見せかけるための、日本政府による作為的捏造翻訳としか考えられない。 この件のオバマの真意は専門家に任せるとして、アメリカは、海兵隊をグアムまで後退させた方が対中関係上都合がいいと考えはじめたのかもしれない。いずれにせよ辺野古基地計画は、本当にアメリカが喉から手が出るほど渇望しているものなのだろうか。 最後に、集結する沖縄人の魂たちに、真の慰霊を意味するふたつの詩: 宮沢和史「島唄」と、昨日の慰霊祭での高校3年生の詩「みるく世(ゆ)がやゆら」を。 島唄 うちなぁ~ぐちバージョン でぇごぬ花ぬ咲ち 風(かじ)を呼(ゆ)び 嵐が来(ちゅ)た でぇごぬ咲ち乱り 風(かじ)を呼(ゆ)び 嵐が来(ちゅ)た 繰り返(け)す くぬ哀り 島渡る波ぬぐどぅ うーじぬ森(むぃ)んじ うんじゅと いちゃて うーじぬ下(しちゃ)うて 千代にさよなら 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 鳥(とぅい)と まじゅん 海ゆ渡り 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 届きてたもり 私(わん)くぬ涙(なだぐゎ) でぇごぬ花ぬ散り さざ波ぬ 揺りるびけぇ〜ん ささやかな幸しや うたかたぬ 波ぬ花 うーじぬ森(むぃ)んじ 歌った友(るし)ぐゎ うーじぬ下(しちゃ)うて 八千代ぬ別り 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 鳥(とぅい)と まじゅん 海ゆ渡り 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 届きてたもり 私(わん)くぬ 思(うむ)い 海よ 宇宙よ 神よ 命よ くぬまま 永久(とうわ)ぬ 夕凪よ〜 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 鳥(とぅい)と まじゅん 海ゆ渡り 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 届きてたもり 私(わん)くぬ 思(うむ)い 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 鳥(とぅい)と まじゅん 海ゆ渡り 島歌ぐゎ 風(かじ)に乗(ぬ)い 届きてたもり 私(わん)くぬ 涙(なだぐゎ) ららら〜らら ららららら らららうわぁ ららららら 追悼式では、沖縄県立与勝高校3年の知念捷(まさる)さん(17)が自作の詩を読み上げた。沖縄戦で夫を失った祖父の姉の体験にふれながら、戦後70年の世の中は「平和でしょうか」と問いかけた。(デジタル朝日から) みるく世(ゆ)がやゆら(いまは平和でしょうか) 平和を願った 古(いにしえ)の琉球人が詠んだ琉歌(りゅうか)が 私へ訴える 「戦世(いくさゆ)や済(し)まち みるく世ややがて 嘆(なじ)くなよ臣下 命(ぬち)ど宝」 七〇年前のあの日と同じように 今年もまたせみの鳴き声が梅雨の終りを告げる 七〇年目の慰霊の日 大地の恵みを受け 大きく育ったクワディーサーの木々の間を 夏至南風(かーちーべー)の 湿った潮風が吹き抜ける せみの声は微かに 風の中へと消えてゆく クワディーサーの木々に触れ せみの声に耳を澄ます みるく世がやゆら 「今は平和でしょうか」と 私は風に問う 花を愛し 踊りを愛し 私を孫のように愛してくれた 祖父の姉 戦後七〇年 再婚をせず戦争未亡人として生き抜いた 祖父の姉 九十才を超え 彼女の体は折れ曲がり ベッドへと横臥(おうが)する 一九四五年 沖縄戦 彼女は愛する夫を失った 一人 妻と乳飲み子を残し 二十二才の若い死 南部の戦跡へと 礎へと 夫の足跡を 夫のぬくもりを 求め探しまわった 彼女のもとには 戦死を報せる紙一枚 亀甲墓に納められた骨壺には 彼女が拾った小さな石 戦後七〇年を前にして 彼女は認知症を患った 愛する夫のことを 若い夫婦の幸せを奪った あの戦争を すべての記憶が 漆黒の闇へと消えゆくのを前にして 彼女は歌う 愛する夫と戦争の記憶を呼び止めるかのように あなたが笑ってお戻りになられることをお待ちしていますと 軍人節の歌に込め 何十回 何百回と 次第に途切れ途切れになる 彼女の歌声 無慈悲にも自然の摂理は 彼女の記憶を風の中へと消してゆく 七〇年の時を経て 彼女の哀しみが 刻まれた頬を涙がつたう 蒼天(そうてん)に飛び立つ鳩を 平和の象徴というのなら 彼女が戦争の惨めさと 戦争の風化の現状を 私へ物語る みるく世がやゆら 彼女の夫の名が 二十四万もの犠牲者の名が 刻まれた礎に 私は問う みるく世がやゆら 頭上を飛び交う戦闘機 クワディーサーの葉のたゆたい 六月二十三日の世界に 私は問う みるく世がやゆら 戦争の恐ろしさを知らぬ私に 私は問う 気が重い 一層 戦争のことは風に流してしまいたい しかし忘れてはならぬ 彼女の記憶を 戦争の惨めさを 伝えねばならぬ 彼女の哀しさを 平和の尊さを みるく世がやゆら せみよ 大きく鳴け 思うがままに クワディーサーよ 大きく育て 燦燦と注ぐ光を浴びて 古のあの琉歌(うた)よ 時を超え今 世界中を駆け巡れ 今が平和で これからも平和であり続けるために みるく世がやゆら ◆ 沖縄に光を! そしてその光が、この週末、国会議事堂に集まった人びとのからだにリフレクトして、 さらに大きな輝きとなってその列島を包みます。
by nyckingyo2
| 2015-06-24 22:53
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