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全体 はてしない物語 ことばと音をコラージュする モモのいた場所、モモのいる時間 遺伝子から魂伝子へ 金魚の超饒舌ファンタジー タネたちは故郷をめざす 続・多層金魚の戦争夢 続・ソラリスの海に泳ぐイカ NYC・アート時評 NYで観た映画たち・本たち 悪魔の国からオニの国のあなたへ 続・炉心溶融した資本主義 天の明星を飲む 写真構成 NYC 続・洪水からの目醒め Roll Away! 浮遊的散文詩歌 続・街かどでOneShotからの連想 愛は世界を動かす大きなエンジン ポートフォリオ 続・小さき者とのダイアローグ マンハッタン効果 NYC Music Life エッセイらしく 小 Japón 旅そのもの記 未分類 タグ
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なんということでしょう! 2014年12月の衆院選の直後に書いたエッセイですが、今回2017年の衆院選が終って、一言一句変えないで3度目の掲載をします。2016年7月の参院選のあとにも再掲しています。「はてしない物語」は、完全にキが狂ってしまった国粋主義者の手で、何も変化することなくはてしなく続いていきます。今度こそはアベの首根っこを取ったつもりの時間帯もあったのですが… 5千万人の盲い(めしい)……ウンザリウンザリ!! ◆ 3年前とちがってしまったことは、日本国憲法を護ろうと必死で奮闘されていたふたりの長老=日野原重明氏とむのたけじ氏が、彼岸に旅立たれてしまったこと。すぐにやってくるだろう改憲の国民投票に向けて、今度こそ私たち自身それぞれが、一丸となって戦わねばなりません。 日本で衆院選の投票が行なわれていたあいだ=NY時間の夜明けまで、ミヒャエル・エンデが「モモ」の次に書いた長編ファンタジー「はてしない物語」を読みつづけていました。この美しい装丁の物語のはじまりは「湖が突然消え去り、色のない<虚無の世界>が出現した」というものです。その場所は「まるで… そこに目をやると、急に盲(めしい)になったような」世界で、幻の国ファンタージェンの全土に押し寄せてきます。 NYの朝が明け、今回の衆院選の与党⅔超の結果は、予想していたものとはいえ、たいへん大きなショックでした。「悲願の憲法改変」を公言する首相の姿を、海の向うから見て、わが祖国は<虚無の世界>に完全に包まれてしまった、と嘆いています。これほどまでの多数の盲(めしい)が、徒党を組んでわざわざ投票箱までたどり着き、自公候補者の名を書いたのです。もっと悪いことには、護憲の、平和の仲間だと思っていた者たちが、<虚無>にすっぽり包まれてしまって、投票所に行かなかったこと。最終投票率は52%で前回の戦後最低をさらに7ポイント下回ったということです。 辺見庸までが「投票することはファシズムの悪政を手続的に認めることで、この選挙は犯罪だから投票を「棄権」ではなく、きっぱりと「拒否」する」と宣言。 棄権であろうが拒否であろうが、投票所までたどり着けない盲(めしい)と判断されてしまいます。そして大多数は、都合よく盲(めしい)になれる、虚無を愛しはじめている。そこはもう「人間界ではなくなった」と思われるほどの荒涼さです。 「はてしない物語」断片: 「おまえ、虚無を見たことがあるかい、ぼうず?」「何度も見た。」「どう見えた?」「盲(めしい)になったようだ。」「うん、そうだろ。—そこでだ、おまえたちがそのなかにとびこむと、そいつがおまえたちにとっつく。その虚無がだぜ。おまえたちは伝染病の病原みたいになって人間どもを盲目にしちまう。やられた人間どもは見かけと現実の区別がつかなくなる、とこういうわけだ。あっち(人間界)でおまえたちのことをなんと呼んでいるか知ってるか?」「知らない。」アトレーユは低い声でいった。「虚偽(いつわり)だよ!」グモルグが吐きだすようにいった。(M.エンデ「はてしない物語」上田真而子/佐藤真理子・訳 岩波書店 p-200) 真冬のとある夜明け前に、ほとんど無意識にこの名作を読みはじめたことに、なにか大きな必然を感じています。あるいはルドルフ・シュタイナーの魂の弟子であったエンデの、霊界からの「遠隔操作」のようなものを感じつつ、この重いファンタジー物語にはまり込んでいく自分がいます。 いま読んでいる箇所は、人間界のひとりの少年が、読んでいたその本のなかの世界=ファンタージェンに飛び込み、幻想界の仲間たちといっしょに、<虚無>に捕われながらも世界を大きく改革していく、希望いっぱいの物語に突入しています。幻の世界=ファンタージェンを救うことは、それと直結した人間界の<虚無>を取り去り、虚偽(いつわり)に犯された人間界を救うことになるのです。 エンデ自身が、結末を変更されて嫌ったというハリウッド映画「ネヴァー・エンディング・ストーリー」の方は、うまい工合にまだ見たことがなかったので、無視しました。ぼくのように幸運にもこの映画を観ていない方、不幸にも観てしまった方も、エンデのオリジナル本の方を読まれることを強力に推薦します。本を読めばどうなるのか? 後述でご理解されると思います。 選挙前にはおくびにも出さなかった憲法改変を高らかに叫ぶキチガイ首相に引きづられて、ファンタージェンの国民はずるずる<虚無>の少ない方へと逃げ惑います。ところでメクラとかキチガイという言葉は、差別用語だからその国では使ってはいけないそうです。「はてしない物語」の翻訳家も(ひとりはエンデの伴侶となられたそうです)「盲(めしい)」とふりがなをされていますので、見習って、ぼくもこれからは「精神錯乱首相」と呼ばせていただきます。ごちそうさま。 とにかくファンタージェンの国民はいままでこころの糧であった「憲法九条」を捨てなければ生きていけないところへ追いやられてしまいました。ここでその国を救うことになるのはアトレーユという、幻の国に住むまだほんの小さな男の子だったのです。もうひとりは、この「はてしない物語」の本を読んでいてその幻の国に入り込んでしまった人間、やはり小さな少年のバスチアンです。詳細は本から直接お読みください。読めばあなたもその物語のなかに入って冒険をつづけ、その国を救うことができるかもしれない。 エンデの魂の先生であるルドルフ・シュタイナーによると、当たり前の話ですが、年老いた人間と、生まれたばかりの赤ちゃんが霊界にいちばん近いということです。赤ちゃんは霊界から来たばかりなので、あちらであったことを憶えたまま地球に降り立つのですが、この「はてしない物語」も、霊界での記憶をまだ残している、第二・七年期の少年ふたりが活躍することになるのです。ついでに余談のようですが、シュタイナーはこうも書いています。第二・七年期の終り(14歳ごろ)少女は初潮をむかえ、少年も性の機能が明解になり、現世での人生設計がはじまる。同時に霊界での記憶は急激に薄れてゆく。 日本国憲法は、いのちの泉 「はてしない物語」にも「長老」が登場しますが、ここでは日本という人間界でのふたりの、老賢者を紹介します。ふたりとも先の太平洋大戦で<虚無>に包み込まれた日本を目撃し、激しい怒りとともに、さらにいまさらつづく安倍自民政権を、激しく弾劾されています。 102歳の医師、日野原重明先生:戦時の日本がいかに中国に対してひどいことをやって来たか、私は現場を見てきたからよく知っている。が、見なかった人は知らないわけです。子どもたちに、おたがいがおたがいを許し合うことを考えようと話したんですが、世界の国々が許し合うことをしないから戦争になる。国が許し合うという問題なのですね。その意味で「日本国憲法は、『いのちの泉』のようなものだというてるんです。いま、伝えないとね。伝える時期を失すると思うから。」 日野原先生には、2010年8月の「葉っぱのフレディ」NY公演のサイン会でひとこと「あなたが思ったことをやりなさい!」とフレディの声で「ハッパ」を掛けていただきました。そのときの金魚ブログ「耐えて待つこと - 葉っぱのフレディ@NYC 戦争主義者たちを弾劾する日本の聖者」。 戦後も聖路加病院の医師として、何十万という「いのち」を看取った先生の、憲法こそが「いのちの泉」ということばは大きいと思います。あふれているいのちの泉を絶やさぬ努力。それは日本国内にあふれている<虚無>から人びとを救い出す、老賢者のことばに相違ないのです。日野原先生はこうも語られています「将来日本の選挙権が18歳からに引き下げられたら、かれら若い人たちが国民投票で自分たち兵役を拒否する方向に投票するでしょう。」もう<虚無>の拡がりすぎたために、眠り込んでしまった大人たちにはまかせておけない、というわけです。 そしてもうひとりは、秋田弁で憲法第九条を語った、むのたけじ氏(99歳)。今年2月の東京都知事選での雄姿がまぶたに焼き付いています。「むのたけじ氏 吠える〜安倍の戦争の企み許さない 」 むの:安倍に聞きたい、あなたいつ生まれたの? 70年の戦後体制がありながら、かれ(安倍)のいうことはまるっきり、明治・大正・昭和初期とおんなじじゃない! どうしてあんなことが言えるのか! これはもう民族の自滅だけではない。第三次世界大戦を誘発し、人類全体にひどい悲しみと苦しみを与えるにちがいない。 むのたけじをフィーチャーした、多層金魚の戦争夢はこちら。 むの氏は自著「戦争絶滅へ、人間復活へ」(岩波新書 2008年)のなかでこう書いています。 ところが、一方で人類が生き続けていくためには、戦争を放棄したあの九条の条文を選択する以外にないといえる。だから憲法九条を良い方に考えると「人類の道しるべ」だということもできる。人類の輝かしい平和の道しるべであり、同時に日本自身の軍国主義への死刑判決でもある。その両面をもつのが憲法九条です。 軍国に突っ走ろうとする「精神錯乱首相」とその手先たちは、その国家の「死刑判決」の方が決して許せない。だから<虚無>という毒ガスを撒き、インチキな景気浮揚策で大量の眠った魚をつり上げてしまいました。 このふたりの長老の話を聞いてから、投票所に行けば、あるいは<虚無>の世界が放つ悪臭に耐え、護憲派の候補名を書いた「人間」も少しは増えたでしょう。 考えてみれば、この最悪の政権が拡げている<虚無>の世界こそが、試練であり、それを越えて日本が必ず希望いっぱいの国によみがえる、ということなのかもしれません。それも小さな少年/少女たちの意識から。 エンデの物語は霊界から現世を深く観ている視点を感じます。海の向うから、その「希望の国」に、よりよい想念を送りつづけたいと思います。 NYから日本の政治状況などを観たり、分析しながらときどき、自分がまるで霊界にいて、そこから日本を観ているようだと感じます。企業の駐在員の方々ならば、NYは日本と寸分変わらない環境のまま生きていけるのでしょうが、気ままにメトロポリスを徘徊している身には、その列島は「はてしなく遠い国」だったりします。客観的・抽象的にすぎて、感覚的な落差があれば、どうかお許しください。35年もこの国に住みつづけた身には、故国日本が、若いとき猛烈な恋愛をし、そのまま恋い焦がれつづけている恋人のような感覚です。どうか<虚無>の霧が一刻も早く晴れますように。こころから。 「はてしない物語」を読了してから、熟考して校了する予定でしたが「うかうかしてたら、護憲派は、あの精神錯乱首相に奇襲をかけられて寝首をかかれるぞ!」という、世に倦む日日さんの絶叫にも似たツイッターに急かされて、とりあえずここでアップします。 続編に乞うご期待! NY金魚・タグ<エンデ> モモのいた場所 モモのいる時間(1) モモ、輝く星の時間の国につく あともどりできないモモ — 「エンデの遺言」の復習 あるいはマイケルのムーンウォークの復習
by nyckingyo2
| 2017-10-24 23:43
| はてしない物語
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