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東部時間6月23日、沖縄戦戦没者追悼式のライヴ映像を見て70年前の沖縄の激戦のことを考えていたら、朝方まで眠れなくなった。温暖化のせいか、蒸し暑い梅雨明けの沖縄そっくりのNYでこれをしたためている。辺野古の工事を中止もせず、平然と慰霊の日にやって来た傲岸な安倍晋三に「帰れ帰れ!」という罵声は、もっともっと強くあってもよかったのだ。罵声の主たちを「非国民」呼ばわりするネトウヨたちと「アベ一族」を、さらに強い言葉の「人非人」と呼び返したい衝動にかられる。参列していた沖縄県民の多くも、翁長県知事も、安倍晋三への罵声を自分の気持ちの代弁という思いで聞いていたのではないか。 安倍と翁長県知事との会談は5分が3分に割愛。いつのまにか、見事なまでの「非民主主義国家」になりはてている。 数年前、ドナルド・キーン先生がまだNYCに住まれていたころ、MoMAでのマリーナ・アブラモビッチの展覧会にご一緒し、その5階にあるカフェでこんなお話を伺った。基地問題が普天間から辺野古に移動しはじめた頃と記憶する。 — 先生の日本初上陸は皮肉なことにあの沖縄戦。その夜のホテルは普天間にあった豚小屋でした。 キーン先生:「私の日本初上陸地点は、いま話題の沖縄の普天間でした。米海軍の通訳士官として上陸したのですが、内陸に行った斥候隊は日本軍の猛攻に遇い、その日本での初夜は、普天間の海岸線にあった家畜小屋で、豚さんたちといっしょに寝ることになってしまいました。」 いつものようにジョーク十二分のお話だが、事態を想像するに大笑いするわけにもいかなかった。ぼくの読んだかぎりの先生のご著書にこの話は出てこないが、そのあとの沖縄戦争での通訳士官・ドナルド・キーンの活躍の記録は、日本に永住されるときにいただいた「戦場のエロイカ・シンフォニー 私が体験した日米戦(写真)」に詳しく書かれている。 キーン:沖縄でのお墓は大変、大きかったと記憶していますが、墓地に人が隠れていたり、あるいは洞窟の中にも人が潜んでいました。そういう民間の人は真に気の毒でしたね。アッツ島は実にいやな場所でしたが、少なくとも民間人がいなかったことは救われました。しかし今度(沖縄)はもう本当に人が住む所での本格的な戦争でしたから。そして、アメリカ軍は洞窟の中に隠れている人びとに、出て来いと呼びかけるのですが、誰も顔を出しません。そして実に非人道的な方法が使われました。洞窟の入口で火を焚くのです。 小池政行(聞き手):火炎放射器も使われましたね。 キーン:すると洞窟に煙が入るでしょう。そうすると人がやっと出て来ました。しかし老人ばかりで、あまりに気の毒で見ておられず、私はそれを止めさせました。そんな行為を見たのは一回だけでしたが。私はつぎに洞窟の中を確認すべきだと考えたのですが、誰も入らない。そこで私自身が入ったのですが、しかし、なんとそこにはまだ(日本の)軍人がいたのです。しかも鉄砲を構えて。どうして私を撃たなかったのか不思議です。 小池:先生は、軍服を着ていたのですね。 キーン:ええ、もちろん。 小池:でもすぐには撃たなかったのですか。 キーン:なぜか発砲されませんでした。私はもちろん飛んで逃げたのですが。大体こちらは丸腰で武器も持っていなかったし。 小池:でも、将校だから拳銃は持っていたでしょう。 キーン:立場上、拳銃を持たされたことはありましたが、そのときは何の武器も持っていませんでした。ふだんも携帯していなかったし。私は心から武器を嫌悪していましたし、いまでもそうです。とにかく一度も発砲したことはありません。 小池:それは、嫌いだったというのはよくわかるのですけれども、一度も撃ったことがないのですか。 キーン:絶対にありません。(中略) キーン:ある高地の一角から海が見えたのです。そこからはアメリカの艦隊が集結している様が観えました。あらゆる軍艦が群れをなして。大本営の発表による放送では、アメリカ艦隊撃沈さるというデマを日常的に流していましたが、私たちは「これを見て目を覚ませ」という内容の放送をしたわけです。もちろん私の放送で日本軍が投降を開始したわけではありません。しかし私たちが投降を続けたら、日本側も自ずと現状に懸念を抱きはじめて、やがては事態を把握する筈だ、と。(中略) キーン:戦後、NHKの番組の中で、色々な沖縄人の戦時の回想が語られたとき、あるおばあさんは「アメリカの軍人は天人のようでした」と言ったものですから。アナウンサーはびっくりして「天人のようですか」と鸚鵡返しに応えました。まったく予想外の返答だったからです。とにかく、戦時中(日本)軍は沖縄の人びとに対して、大変冷たかったのです。要するに、日本人、そして日本軍は沖縄人を自分たちと同じ民族とは認めていなかったのです。 ハワイでは現在でも日系人は二つに分かれています。内地出身者と沖縄からの人びとと。施設なども別々で。(中略) キーン:私は戦時中、ハワイには二年間ほどいました。まったくの偶然ですが、いちばん親しくなった人びとはみんな沖縄の出身でした。かれらから戦争や戦略に関する話を聞いたことは一度もありません。みなさん極めて親切な人ばかりで。(「戦場のエロイカシンフォニー」藤原書店 p96-p103 抜粋) もちろん辺野古の基地問題を抱える現代の沖縄人が、アメリカに関してすべて好感度であるはずはない。それでもツイッターやFaceBookに辺野古基地反対の意見を書いても、いままで差別しつづけてきたヤマトンチューに何がわかるのだ、という極端に頑強な日本(人)嫌いが飛び交う。 戦後、占領日本が独立しでからも、ヤマトンチューは20数年もウチナンチュ—を見放しつづけた。沖縄が本土復帰を果たしてからも、今度は「米軍基地」という大きな負担を強いつづけた。沖縄の戦後70年は、いわば、沖縄人の精神の激戦場でありつづけたともいえる。 慰霊の日の琉球新報の社説は「強いられた共死」という小見出しで、このように書く。 沖縄戦の教訓は「軍隊は住民を守らない」である。言い換えれば「軍の駐留は住民の犠牲を招く」ということだ。これは抽象的なスローガンではない。戦場の実態に即した事実である。沖縄戦で壊滅的被害を受けた島と日本軍が駐留していた島は、見事なほど一致する。駐留のない島の被害は軽微だ。駐留と被害は明らかに連動したのである。 別の背景もある。沖縄戦直前、軍部は住民に壕を掘らせ、戦争準備を強いた。従って住民が投降すれば、どこに司令官がいてどこに武器弾薬があるか、敵軍に知られてしまう。だから住民が生き残るよりは住民の全滅を願ったのだ。 ことしもこれから、沖縄とおなじように蒸し暑いNYの夏に、先の大戦で亡くなられた実に多くの聖霊たちと対面することになるだろう。毎年8月のヒロシマ・ナガサキの慰霊祭、終戦記念日にかけて、静かな、しかも無数といっていいほどのおおぜいの霊たちと遭遇しつづける。ことしは、その霊界の先鋒軍が沖縄での戦死者25万人ではないかと考えている。あの薄汚いアベの口から何度も漏れた御霊などというものが、かれに観えているわけがない。観えればあのような好戦的行動をつづけることなどできるわけはないのだ。 すぐ近くに仮想敵がいるとして脅威をあおり、安保法制の成立をがむしゃらにめざす。その脅威とやらを除去するための一抹の外交努力もしないで肩を怒らせつづける。まるで子供の喧嘩を煽るガキ大将である。やがて、霊界多層軍からの報復は必至なのだが、本人たちはそのような存在をまったく信じていないので、口からでまかせの憲法や安保法制の議論をし、嘘をつきつづける。真実を覆い隠す。 いまのところ霊たちは、故国の痴呆的独裁をつづける為政者にあきれ果て、地球を半周回ったこのNYの宙空で大挙集結し、霊界の大軍団の結成準備をされているような気がしてならない。70年前の戦争では、かれらの敵であった国の首都近くに集まって、この好戦大国の足元を掬うような大計画をも考えているのではないだろうか。明け方の豪雨は降霊の徴。霊たちの大軍をほとんど認知できるほどになった眠れぬ明け方に、FaceBookに向かってしたためた数々の情報を、思いつくまま書き出して、ぼくなりの慰霊の儀式を進めたい。 * 沖縄戦突入時の戦況は、もはや戦争とも呼べるようなものではなく、国(大日本帝国)による自国民の大量殺戮となった。安倍首相の魂の底には、満州で暗躍していた祖父・岸信介の亡霊が、強力にへばりついているに相違ない。さもなければ、少なくとも後半の数年、自国民の大量殺戮ゲームに成り果てた先の戦争を肯定しようなどという気になるはずがないではないか。 誰でもご存知の史実を、あえて書き連ねる。ウチナンチュ—の多く住む沖縄で、この自国民の大量殺戮は象徴的に起こったが、当時の日本の全都市がアメリカ軍の空襲で断末魔の悲鳴をあげていた。そして沖縄戦の終わったあとひと月あまりで、あの史上初の敵新型・大量殺戮兵器でヒロシマ・ナガサキが完璧な廃墟となる。その這い上がれないほどの地獄から奇跡的に這い上がり、たった70年でまた同じ価値観の為政者のもとに仕えなくてはならない。政治的意見の相違を考慮しても、その列島の国民全員が気が狂っているとしか思えない。 毎日新聞「沖縄は捨て石だったのか?」から抜粋・引用する。 「轢(ひ)っ殺してゆけ」 作家の故・司馬遼太郎に対し、大本営からの説明者は昂然(こうぜん)と言い切ったという。当時の司馬は陸軍戦車第1連隊の将校として、本土決戦のために北関東に駐屯していた。米上陸軍を迎撃するために南下する場合、北に逃げてくる避難民の交通整理はどうすればいいのか―。 そんな疑問に対する返答だった。「轢(ひ)っ殺してゆけ」。自著「歴史と視点」で、司馬は続ける。「(国民を守るために)軍隊があり、戦争もしているというはずのものが、戦争遂行という至上目的もしくは至高思想が前面に出てくると、むしろ日本人を殺すということが論理的に正しくなる。」 「沖縄戦において県民が軍隊に虐殺されたというのも、よくいわれているようにあれが沖縄における特殊状況だったとどうにもおもえないのである。」 Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2015-06-24 22:53
| 続・多層金魚の戦争夢
8月日本公開、写真家サルガドの軌跡を追ったドキュメンタリー映画「The Salt of the Earth(大地の塩)」のレヴューです。日本語版は邦題サブタイトルが「地球へのラブレター」ということで「お砂糖漬け(流行りのシーソルト・キャラメル味の)サルガド」のようになりましたが、興行だからしかたがない。ひとりでも多くの「人類」にぜひ見ていただきたいと思う傑作です。そして、現在世界巡回のサルガド展 "Genesis"の写真たちのすばらしさ。ほんものの「写真」に出逢うと、ほんものの地球が観えます。この星の未来に大きな希望さえ観えてきます。映画と写真展、サルガドに関するコンバインド・レヴューです。 Directed by : Wim Wenders, Juliano Ribeiro Salgado 写真家セバスチャン・サルガド Sebastião Salgadoが ブラジルの金鉱で働く数万の泥人間たちを撮影した数枚からはじまる。 それらのスティル写真は、まるで動画のように ヴェンダース監督の手のなかで、動きはじめている錯覚がある。 …私がその巨大な穴の縁に着いたとき… …ほんの一瞬間だが… …私のまえに 拡がっているのを観た… …人類の歴史のすべて… …ピラミッドの建設現場… …バベルの塔… …あるいはソロモン王の採掘坑… …かれらは奴隷… …背負っているのは決してすべてが金ではない… …あわよくば… …それでも… …いやいや… …あわよくば…など …決してありえないことを知っている… 映画を観おわった瞬間から 記憶の断片のサルガドの言葉を綴ってみる その映像と 自分たちの魂の形状を照らし合わせてみると この金鉱の奴隷たちは われわれの姿 そのものではないのか 狂った資本主義という土を掘り返し そのなかに一抹の金を見つけようとあがく姿 かれらより 多少はましな衣装に身を包んではいるが 現代の地球に住む人びとのすべてが かれら奴隷とおなじ発想で働かされているのではないのか このシリーズ写真の数枚、地獄を広角レンズで俯瞰したようなレイアウトを見て ひとりの大正時代の日本人が書いた、珠玉の短編物語がよみがえってきた 所(ところ)が或時の事でございます。何氣なく犍陀多(かんだた)が頭を擧げて、血の池の空を眺めますと、そのひつそりとした暗の中を、遠い遠い天上から、銀色の蜘蛛の糸が、まるで人目にかかるのを恐れるやうに、一すぢ細く光りながら、するすると自分の上へ垂れて參るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、思はず手を拍つて喜びました。この糸に縋りついて、どこまでものぼつて行けば、きつと地獄からぬけ出せるのに相違ございません。いや、うまく行くと、極樂へはいる事さへも出來ませう。さうすれば、もう針の山へ追ひ上げられる事もなくなれば、血の池に沈められる事もある筈はございません。 かう思ひましたから犍陀多は、早速その蜘蛛の糸を兩手でしつかりとつかみながら、一生懸命に上へ上へとたぐりのぼり始めました。元より大泥坊の事でございますから、かう云ふ事には昔から、慣れ切つてゐるのでございます。 しかし地獄と極樂との間は、何萬里となくございますから、いくら焦つて見た所で、容易に上へは出られません。稍(やや)しばらくのぼる中(うち)に、とうとう犍陀多もくたびれて、もう一たぐりも上の方へはのぼれなくなつてしまひました。そこで仕方がございませんから、先(まづ)一休み休むつもりで、糸の中途にぶら下りながら、遙かに目の下を見下しました。 すると、一生懸命にのぼつた甲斐があつて、さつきまで自分がいた血の池は、今ではもう暗の底に何時の間にかかくれて居ります。それからあのぼんやり光つてゐる恐しい針の山も、足の下になつてしまひました。この分でのぼつて行けば、地獄からぬけ出すのも存外わけがないかも知れません。犍陀多は兩手を蜘蛛の糸にからみながら、ここへ來てから何年にも出した事のない聲で「しめた。しめた。」と笑ひました。 所がふと氣がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、數限(かずかぎり)もない罪人たちが、自分ののぼつた後をつけて、まるで蟻の行列のやうに、やはり上へ上へ一心によぢのぼつて來るではございませんか。犍陀多はこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、暫くは唯、莫迦(ばか)のやうに大きな口を開いた儘、眼ばかり動かして居りました。 自分一人でさへ斷(き)れさうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人數の重みに堪へる事が出來ませう。もし萬一途中で斷れたと致しましたら、折角ここへまでのぼつて來たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまはなければなりません。さう云ふ中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まつ暗な血の池の底から、うようよと這ひ上つて、細く光つてゐる蜘蛛の糸を、一列になりながら、せつせとのぼつて參ります。今の中(うち)にどうかしなければ、糸はまん中から二つに斷れて、落ちてしまふのに違ひありません。 そこで犍陀多は大きな聲を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己(おれ)のものだぞ。お前たちは一體(いったい)誰に尋(き)いて、のぼつて來た。下りろ。下りろ。」と喚(わめ)きました。 その途端でございます。今まで何ともなかつた蜘蛛の糸が、急に犍陀多のぶら下つている所から、ぷつりと音を立てて斷れました。ですから犍陀多もたまりません。あつと云ふ間もなく風を切つて、獨樂(こま)のやうにくるくるまはりながら、見る見る中(うち)に暗の底へ、まつさかさまに落ちてしまひました。 後には唯極樂の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れてゐるばかりでございます。 御釋迦樣は極樂の蓮池のふちに立つて、この一部始終をぢつと見ていらつしやいましたが、やがて犍陀多が血の池の底へ石のやうに沈んでしまひますと、悲しさうな御顏をなさりながら、又ぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出さうとする、犍陀多の無慈悲な心が、さうしてその心相當な罰(ばち)をうけて、元の地獄へ落ちてしまつたのが、御釋迦樣の御目から見ると、淺間しく思召されたのでございませう。 しかし極樂の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のやうな白い花は、御釋迦樣の御足(おみあし)のまはりに、ゆらゆら萼(うてな)を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云へない好い匀が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極樂ももう午(ひる)に近くなつたのでございませう。(「蜘蛛の糸」芥川龍之介・大正七年四月一 抜粋) 犍陀多(かんだた)は血の池に転落したが、ぼくたちの心のなかに巣食う小さな犍陀多は、いつも喚いている。「この蜘蛛の糸は俺のものだ。下りろ。下りろ。」ほんとうはお釈迦様の手が差し伸べた糸は、何万人の体重を救い上げても、切れることなどなかったのだ。 大泥棒の犍陀多が閉じ込められているのは「血の池地獄」だそうだが、なにも悪業を積んでいない(と思い込んでいるだけの?)この煉獄にすむ俺たち70億の心のなかにも、それぞれ無数の犍陀多が巣食っている。そのひとりづつが、他者に向かって喚き散らし、他者の生命を奪い取ると同時に、自分の生命をも絶とうとする。無数の犍陀多は、この煉獄に「戦争」を撒き散らす。 ◆ サルガドは、さらにエチオピアの飢餓、湾岸戦争の大火事の現場、ユーゴ、そしてコンゴ=ルワンダを歩き、飢餓と戦争に苦しむ人びとの姿をフレームに入れつづけた。 ルワンダでは150キロの死の行進で、200万人とともに歩き、ほとんど骸骨の若い父親が、小さなわが子の亡骸と別れをしているシーンを撮った。苦難と恐怖のはての絶望。かれらの無感動な表情は完全な諦観を意味している。「150キロの道のりのいたる所でその光景が繰り返された」とサルガドは語る。 かれらの屍の山がブルトーザーで築かれていく。いっしょに歩いた200万の同胞のほとんどが死んだ。その死体が放つ腐臭─その光景は頭から離れなくなった。「私は死に向かいはじめた。私の体は病に侵されはじめた」 「人間とはなんとひどい動物(Terrible Animal)なのだ!」 そしてサルガドはさらにおなじ言葉を、静かにではあるが重ねて吐き捨てる。 「すべての人類が、この光景を見る義務がある。私たち人間が、どれほどまでに残虐な種であるかを、知る義務がある」と。 ◆ この映画「The Salt of the Earth・地の塩」をヴィム・ヴェンダースとともに監督した、写真家サルガドの息子ジュリアノは、3月にMoMAで行なわれたヴェンダース・マラソンの壇上でこう語る。「ルワンダの旅の後、父は社会派カメラマンをやめました。残したメモに『私の魂は死んでしまった』とだけ書いて。」 壇上のヴィム・ヴェンダースも、沈黙のまま大きくうなずく。 そのあとサルガドは、10年間まったく活動を停止するのだが、その間にドイツにいたヴェンダースがサルガドの作品に魅せられ、オフィスに一枚のスチール写真を飾る。もとより「気候変動」の闘士でもあるヴィム・ヴェンダースの映画アイディア脳が動きはじめ、この名作が誕生する。 ヴェンダースは、前作「ピナ・バウシュ・踊り続けるいのち」で3D映画をアトラクションから、映像作家の最良質のアートへと高めたが、この度はまた、スティル写真家を取り上げてぼくたちの度肝を抜いた。この映画のなかでは、サルガドの写真(たち)がゆっくりと動いている。一枚づつの写真の残像と、次の写真への予兆が重なり、あるいはときに写真は孤立し、その写真が撮られた場所と時点に連れられていく。それは例えばぼくにとっては、犍陀多(かんだた)の住む血の池地獄だったわけだ。このスティル中心の映像を見たとたん、3D技術が新しい言語であるならば、スティル写真こそが、もっとも基本的な映像言語であることを再確認する。 ◆ 10年のブランクのあと、サルガドは「地球」といういのちそのものを撮りはじめていた。2013年からはじまった Sebastião Salgado展 "Genesis" では、星自身を含めて、地球の生物を被写体とした「ダーウィンの起源をたどる旅」を発表。はげしい寒波のつづく今年の1月、マンハッタンでこの展覧会と遭遇することとなる。 サルガド展"Genesis" ◆ さっきまで暖かかった紙カップのなかのコーヒーも凍てつく激寒の1月初旬、NYCミッドタウンにあるICP=International Center of Photography のギャラリーで、金魚はこのセバスチャン・サルガド Sebastião Salgado 展 "Genesis" を観て、はじめてレヴューを書こうと思い立った。やっとこの稿を書きはじめる時点にもどった。荒ましい寒さの街頭で、荒ましいサルガドの写真を思い出しながらメモした書き出しの部分からはじめる。 Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2015-06-01 03:35
| NYで観た映画たち・本たち
3月、ジャン・リュック・ゴダールの最近作「さらば、愛の言葉よ」 (Adieu au Langage = Goodbye to Language) をヴィレッジのIFCセンターで観た。めずらしく映画館に行くNYの地下鉄路線を間違え、あわてて乗り換えた車輛がパリのメトロではないかと信じてしまった節がある。隣に座っていた女性が「金魚さん?」と日本語で声をかけてきたとき、かの女がパリに住む建築家だったことを思い出し唖然とした。ゴダールの映画を観ようと思いたったら、いつも意識の裏側にフランスやパリが貼りついてしまい、ほとんど幻覚のような現実を観る。あとで事情を訊くと、その建築家女史は最近パリからNYのオフィスに転職した由で、一応は納得したものの、タイミングは不思議としか言いようがない。この世に偶然などはなく、すべて必然 —を再確認する。 ことほど左様に「ゴダールの新作」と聞いただけで、このアメリカ風ロジックで固められた金属都市・NYCの表層が、ガラガラと音をたて、ヨーロッパの甘美な幻覚の方に崩れて行く。ゴダールの新作の周辺にはいつもそんな古風な魔術が仕掛けられている。 月に一度ヴォランティアで掃除をしている場所=この行きつけのヴィレッジの海外作品館のまえに立つと、やはり今日はヨーロッパが香っている。こちらも幻覚でも何でもなく、たとえば去年「高畑かぐや姫」を観たときには、かぐやの住んでいた古代日本とともに、日本国憲法を起草したベアテさんまでが香っていた。映画とは、その映画のもつイメージに合わせて、まわりの空間まで変えてしまう闇箱ゲーム、などと考えてみる。映画を創った側の人びとの想念が、その闇箱のまわりにただよっている。 映画が終り、サングラスを外した瞬間、85歳の巨匠が3Dの世界にデヴューしたその激しい衝撃の映像に、脳天をくだかれたまま「いままでのゴダールの最高傑作」という賛辞からはじまるレヴューを書こうと思いたった。 これが「Adieu au Langage さらば、愛の言葉よ」のフランス版予告編だが、ウェブやDVDでは、この映画本編の極端な3D効果をかいま見ることもできない。かろうじてブル−レイとやらで3Dを感じられるそうだが、映画館でみんなとおなじ眼鏡をかけ、ため息と笑いを共有しないかぎり、このゴダールには共鳴できないという確信がある。「リヴィングでDVD」ではなく、「映画館」という「アテナイの集会場」に集まり、下意識間の交流を呼びかけるヌーヴェルヴァーグ Nouvelle Vague)の方法論である。ゴダールにとっては、その「下意識アテナイの集会場」再建のため、DVD派に抵抗する最後の砦なのかもしれない。 幼い日「これがシネラマだ!」という人類最初の大画面3Dを見た記憶。映画館でジェットコースターに乗る快感。それは映画というもののひとつの原点を突く魅力にあふれていた。ゴダールによってその臨場感テクノロジーは、いまや大人のインテリジェンスを高めるにとどまらず、未来の人類改造計画のテキストにされようとしている。 先日金魚ブログに再掲した、ヴェンダーズ「ピナ・バウシュ-3D」も3Dドキュメンタリーとして秀逸ではあるが、このゴダールは次元の度肝を抜いている。ヴィム・ヴェンダース=「私は3D技術は言語だと思っています。言語は使いこなして初めてものになる。でも、今はアトラクション的なものとしかとらえられていない。われわれ映像作家がちゃんと使いこなさねばならない。」 ヴェンダースは3Dによって観客をまず現実に引き入れ、そのあと潜在意識の支配する夢の世界に連れていく。ゴダールは幻覚魔法とそのための呪文を直接使い、抽象的な愛の世界に観客をむりやり引きずり込む。 あるいは「政治的な退廃」 …テロリズム… …ヒットラーの(二度目の)勝利… …戦争の終焉… この短い3行の言葉が、数度流れ、こちらの潜在意識に突き刺さる。ゴダールは、パリがナチスに占領された時代の体験者だから、鋭いファシズムへの恐怖の言葉が伝わってくるはずなのに…。なんと、いまのぼくの脳裏には、あの祖国の現首相の痴呆顔が思い起こされるだけ。なんということだろう! いつのまにかほとんどイマジンの活性化していない世界に陥れられていることに驚く。決して時代のせいだけにするべきではないが、それがゴダールの映像によって瞬時にまた活動をはじめることで、さらに驚くことになる。 かってのゴダールの数々の映画が予見していた、危険きわまりないグローバリズムの世界はまちがいなく具現化してしまった。国境が崩壊し、国粋の概念すら陳腐になり消えて行く。テロリズムという、国境を越えたミュータント(異種生命体)のようなものが生まれはじめている。それは西欧的ロジックを崩壊させ、より危険な結末を導きはじめている。そのことすら馬鹿にしている祖国の極右首相の緩慢な痴呆顔と、砂漠にいるミュータント(=イスラム国人)の人物像が微妙に重なり、複雑な思いが深まる。今度こそ「ヒットラーの(二度目の)勝利」となり、かれらの想念を先端とするふたつの攻撃的勢力が人類を滅ぼすかも知れない。ゴダールは、まったくちがう次元からヒットラーをくり返し登場させ、警告する。ニヒルに「言葉よ、さようなら」と言いつつ、その裏でさらに大きな声で「自分のなかのウヨク」を弾劾する言葉を叫んでいる。 物語を追おうとするのをやめたとき、 とめどなく誇張された3D映像の快楽があふれはじめる。 …色彩の鋭いパンチ…ケシの花… …樹海… …実は幻覚は…幻覚などではなく… …彼岸に日々近づいているという現実… …実は幻覚は…現実などではなく… …此岸から日々遠のいているという幻覚… …それらの夢が…極端にパースペクティヴに…多層化して… …映画のなかから… …一度に襲いかかる… 年を重ねるとともに強烈に増幅し、フラッシュパックし、 極彩色の、あざやかな、若い、映像が、くり返し、くり返し、攻め寄せる。 それはゴダールがかって 竜宮城の乙姫さまとの別れのあと、 もらった玉手箱を おもわず開けてしまった ということかもしれない。 極端な広角レンズで撮られた、 極端な3D映像は、 玉手箱からのケムリのごとく、 くり返し、くり返し、攻め寄せるが、 決して手で触れたり、舐めたり、嗅ぐことはできない。 しかしそのケムリの、 なんという「切れ味のよさ」であることか。 ケムリの効能とは、深い切れ味とともに、 ひたすら「若返る」ことだったのか。 Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2015-05-17 09:50
| NYで観た映画たち・本たち
4月26日・日曜の午後、日本から二千人の反核の闘士がやってきて、国連までの「核廃絶ラリー」と聞かされて、数年前、いつぞやそんなことがあったワイ、カナ(?)と必死で思い出しながら、ユニオン・スクエアまで駆けつけました。 いきなり二千人の日本人がアメリカ人となかよくお話ししているのを見て、いよいよここは彼岸というところかな、と疑うさなか(もちろんこれはジョークですが)突然 "We Shall Overcome" の日米混声合唱団。長生きはするもんじゃて。日本からの年配の方が「いやぁ、NYCは5年ぶりなんですよ」っとおっしゃるのを聞いて、やっと思い出しました。家に帰ってから自分の金魚ブログ1を検索して、2010年5月2日のことですバイ。右のロゴに見覚えあり。5年前にくらべて、アメリカ国内、ヨーロッパからの参加者が減っているのが気になりましたが、まぁ、屈託なく日本語が話せて、まるっきり日本のデモのような、実に楽しい日曜の午後、金魚は例によって人垣のなかを泳ぎまわり、はしゃぎまわりました。名づけて、Peace& Planet まつり。以下、用意不周到のカメラのバッテリーが切れるまで、1時間ほどの写真構成です。みなさん、NYCにようこそ。 三線の響きも清く、沖縄連。 基地は要らん!!! 核も、もちろん要らん要らん!!! こちら長崎から、 千羽鶴の折ったリサイクル紙に、寄せ書きをし、大きな翼をつくりました。 宇宙に飛び立つ平和の大鳳。 埼玉から来ました。 この傘、かわいいでしょ。 広大なアメリカ大陸を、数十年歩きつづける 日本山妙法寺、安田純師(写真外)と、 ネイティヴ・アメリカンの方たちを中心とする 敬愛するグループです。 威風堂々。 思えば、日本山妙法寺とは 70年代、御殿場で、戸板神輿の上の 藤井日達上人との一瞬の出逢いから、40年、 極私的ですが、深いご縁を感じます。 こちら、レゴでできた原爆ドームに、 みんなで寄せ書きをした「御神輿」 制作管理人がハラハラしながら、つきっきりでしたが、 いったいどうやって飛行機で運んできたの? ラリーが終り、国連・ハマーショルド広場で、 金魚はいろんな人たちと、屈託なく話しつづけました。 同時にやって来た安倍総理に関する悪口を、 日本語でどのひとにも話せるという「自由」は なにものにも変えがたいものでした。 きょう、あちこちでお話させていただいたみなさん、 よかったら、下のコメント欄に、非公開コメントでご連絡ください。 お仲間の写真などありましたら、この記事に追加させていただきます。 そして参加のみなさま全員に、本当にごくろうさま! 大きなエネルギーをいただきました。 ありがとうございました。 ◆ 関連ブログ:5年前の平和ラリー 「生きものの記録」は記録されたか(上) 惑星ソラリスの海に泳ぐイカ(7) 平和ラリー/ホイットニー」 http://nyckingyo.exblog.jp/11092238/ #
by nyckingyo2
| 2015-04-27 11:13
| 写真構成 NYC
3月22日は「World Water Day・世界水の日」でした。東部夏時間(EDT)の9pmから、地球上の数万人のひとたちが「水」に感謝する時間を持ちました。 わがアパートの大きめのバスタブに身を揺蕩え、アルキメデスの浮遊感覚を共有してみました。いつも入っている湯船なのに、水を通してたくさんのひととメディテーションしていると思うと、人類の大きな複合体が大洋のなかに浮いている感覚です。超巨大男女混浴銭湯「人類の湯」。宇宙飛行士が体験するグラヴィティ・ゼロ。そう、ここは水惑星=地球星の上であるまえに、宇宙のただ中を泳いでいるんだなんだなぁと感じます。 ひょっとしたらその宇宙=大洋に見立てたバスタブのお湯の方が、巨大に複合化したわが身に揺蕩たっているんじゃないか。いったいどこからが自分の身体で、どこまでが水なのか、ほとんどわからなくなるほどの快感時間。水と一体になり、その澄んだ流動体に愛を捧げる、幾万の人びとも同時に愛を捧げることは、必ずこの地球星が大きくポジティヴに変貌させていくでしょう。来年のこの日は、もっと多くのひとが水と戯れ、もっと深いメディテーションしているだろうと確信しました。 このWorld Water Dayは、カリフォルニアが発信基地のようですが、その関連ヴィデオにも再三登場されている水の伝道師・江本勝氏は、水の中に愛の波動を送ることで、水を浄化させるという運動をつづけて来られました。昨年10月に惜しまれながら急逝されましたが、水を取りかこんでいる波動や、水とともにいた人間の想念が、その水が結晶化するときに大きな影響を与えるということを数々の結晶写真で実証され、世界的に注目をあびました。 水道水にくらべ、すばらしい結晶を見せてくれる自然水の数々。いい音楽を聴かせたときに水が見せる、なんとも美しい結晶。水に「ありがとう」という言葉を見せたときと「ばかやろう」という言葉を見せたとき、それぞれの結晶の鮮明な対比。水が結晶化するときに、私たちの意識や言葉というエネルギーが、目に見えるものに変わるのを観ることができます。 人間はそもそもこの世に誕生する前、受精卵のときは99%が水です。そして生まれたときには体の90%が、成人になると、70%が水です、おそらく死ぬときになってやっと50%を切るのでしょう。(中略) 人間であるということ以前に「私たちは水なんだ」というふうに考えてみることによって、人間とはいったいなにか、という問いへの答にいっそう近づくように思うのです。 (江本勝「水は答を知っている」サンマーク出版p-12-14) 3-11で福島原発事故が起きた直後、江本氏から「愛と感謝の祈りを福島原発の水たちに送ってください!」というメッセージが全世界に流れました。水が人間の想念や自然界の波動を感じて変化していくものならば、世界の人びとの祈りによって、水の中に融け込んだ放射性物質を浄化させることができるのではないか。科学大国(?)日本では荒唐無稽だという人も多かったのですが、そのときすでに世界中の多くの人びとが、江本氏の「波動による水の浄化」を信じ、フクシマに向けて「祈り」を集中させはじめていました。 しかしながら、ご存知のように、東京電力と日本政府は、その後大量の放射性物質汚染水が海に流出するのを防ぐ根本的対策を、まったく真剣に考えていません。意図的に最も高価な計画を選んだ「凍土遮水壁」は、実施前のおおかたの予測とおり、完全に失敗。巨大なアイスキャンディー1500本はいつまでたっても凍らない。日経特集 福島第1原発 汚染水との闘い。ほんとうに闘っているのでしょうか?? ここでも世界中が一滴の汚染水も大洋に洩らさないでほしいと、東電と政府の対策を固唾を飲んでみていました。だって「私たちは水」なのですから、その汚染は私たち自身が汚染されていることです。なのに、事故以来の政府の対策といえば、まるで悪魔が放射性物質や汚染水と悪いゲームをしているようにピント外れで優柔不断です。 2015年3月のおしどりポータルサイトによる、第33回特定原子力施設監視・評価検討会の評価値。現在、どれくらいの放射性物質が海に流れ続けているか。 毎日海に流出している放射性物質の最新評価値:トリチウム=150億Bq/日。ストロンチウム90=27億Bq/日。セシウム137=12億Bq/日。セシウム134=4億1000万Bq/日。 この天文学的数字がいったいどれほどの放射性物質量であるのか、見当もつきませんが、世界中の人びとを怒らせるには充分な数字だったようです。太平洋岸のカナダや西海岸の住人も激怒していますが、放射性物質がいくら希釈されても、その影響はおなじであり、この地球星にあるすべての水は、すでに汚染されてしまった、という学者も多いのです。 ドイツのアーティスツ・グループ=Film Academy Baden-Württembergがフクシマの放射能汚染水漏れをつく「Fukushima Water」という痛烈な批判動画を制作しました。フクシマ事故から4周年を迎えようということし3月10日のことです。 https://youtu.be/hGHD3pqkKmk フクシマの水を使った架空のエネジー・ドリンクのCMヴィデオを、もちろんブラックジョークとして創ったわけです。エネジー・ドリンク=フクシマ・ウオーター。日本人に扮した女性科学者が「セシウム137の濃度はヒジョーに低く抑えられているため、過剰摂取はまず考えられません」と宣っていらっしゃいます。「ワレワレは短時間のシケンを行なった結果、ヒジョーにいい結果を出すことができ、このたびメ・デ・タ・ク、シジョートーニューできる運びとなりました。」しかし当然ヴィデオの最後には、しっかり、 "Tons of Fukushoma Water Are Leaking into the Pacific Ocean Everyday. Stop Spreading # Fukushima Water" というとてもシリアスなメッセージが出てきます。汚染水問題はジョークなどでは決してすまない。汚染水を放置しつづける東電と日本政府への痛烈な批判です。 世界がどれほどフクシマの汚染水の処理を(無処理を)怒っているか、ということ。さらに政府は国内の原発再稼動の姿勢を崩さず、おまけに日本製の新規原発を地震国トルコにまで売り込む超無責任商法。世界中から、日本人の特性のように讃えられていた「他者に優しい」とか「親切」などという言葉は、この「無責任」という一言でその民族に対する痛烈な罵倒に、完全に逆転してしまいました。くり返しますが、このブラックジョークのペットボトル・ヴィデオがアップされたのがことし3月10日。 ところがこれに先んじて、1月1月28日付けのJiji.comと、2月14日付け(ヴァレンタインディですね!)の「福島民報」にこのような記事が載りました。 水道水で「金賞」目指す=福島市 福島市は、ペットボトル入り水道水「ふくしまの水」を国際的な品質評価コンテスト・モンドセレクション(ベルギー)に出品した。水道水の出品は県内で初めてで、東京電力福島第一原発事故に伴う風評払拭(ふっしょく)につなげる。審査結果は4月末に発表される。 なんと本物の「フクシマの水道水」がペットボトルに入って売り出されていたのです。 上のドイツのブラックジョーク・ヴィデオには怒りを共有しましたが、まさかのこの「ふくしまの水」を売り出した「事実」には茫然自失。激しい怒りを感じます。ここまで来ると、このボトルを作りつづけている「福島市水道局」の精神状態を真剣に疑ってしまいます。オマエさんたちのオツム、ほんとにダイジョーブ?? 上の写真左のボトル表面トップのオレンジ色のシールには、「放射性物質・1ベクレル / kg未満・モニタリング検査結果」と堂々と書かれています。水道水に放射性物質が(かなり)含まれている、ということの隠蔽です。ちなみに日本の食材で1ベクレル / kg未満のものなどありえないといいます。あきらかにウソの表示。最近、右の写真の「NG(検出限界値未満)という表示に変えたと思われますが、これももちろんウソ。 東京オリンピック招致のとき、首相が世界に向かって堂々と「完全にコントロール!」と大ウソを声高らかにぶちまけたものだから、地方の小役人までウソをつかなきゃソンソン、というわけです。この水道水の放射線値が、実際どの程度の値か知る由もありませんが、それらはペットボトルから簡単に子どもたちの喉を通ります。子どもの命を風前にさらしている以外に何もないという自覚の欠如は、あきらかな「重犯罪」です。実害を受けていることを自分の心から隠蔽しても、人びとの意識のなかから福島原発事故そのものを隠蔽しようとしても、人びとの潜在意識や無意識には、より大きな疑惑と不安が溜まります。それはある意味で、放射性物質が溜まることよりもはるかに恐ろしいことかもしれません。「虚無の蔓延」です。せめて子どもたちの飲料水だけでも、遠くから運んであげてください。先進国とも呼べない痴呆行政です。 おまけにこのベルギーのモンドセレクションという品評会は、おカネさえ出せばどんな商品にでも金賞が取れるそうです。これも「補助金」でやってるらしいのですが、いったいなんの「補助」なんだ! はてしなく異常な日本人!この「ふくしまの水」にかかわっている人びとの想念の屈折は、放置していくとどんどん屈折をくり返すでしょう。 世界の人びとがこの水道水の販売をどのように感じるか、日本人に対するいままでの信頼感がどのように消えていくか。そしていちばん重大な事態は、地球星に存在するすべての水に、悪い波動を送りつづけてしまうことだと思います。 さて案の定、この記事をアップしようとした今日になって「福島市の水道水、モンドセレクション金賞受賞」のニュースが入りました。この地方自治体の愚行=東電と日本政府ぐるみの珍奇なる陰謀を、世界中がこぞって苦笑しています。笑われているのは福島市水道局だけでなく、フクシマを抱えもつ日本人全員だということをお忘れなく。 これ以上ネガティヴな言葉を重ねるのはやめます。僕自身の想念も波動となって、すべての水に影響していくわけですから。 左の、ジョン・レノンの曲「イマジン」を聴いたときの水の表情の、なんと清々しく、美しいことでしょうか。 It isn't hard to do Nothing to kill or die for And no religion too Imagine all the people Living life in peace... 以下後半は、地球星に存在するすべての水=私たち自身の存在のことを「水への讃歌」として書き連ねます。 Read More つづきを読む #
by nyckingyo2
| 2015-04-22 22:41
| 続・洪水からの目醒め
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